陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

508.永田鉄山陸軍中将(8)彼は陸軍の革新というより、国の革新まで最初から考えていました

2015年12月18日 | 永田鉄山陸軍中将
 さらに、十八期の山下奉文(高知・陸士一八・陸大二八恩賜・陸軍省軍事調査部長・中将・第四師団長・陸軍航空総監兼陸軍航空本部長・関東防衛司令官・第二五軍司令官・第一方面軍司令官・大将・第一四方面軍司令官・マニラで死刑)、二十期の橋本群(広島・陸士二〇・砲工高一八恩賜・陸大二八恩賜・第一軍参謀長・参謀本部第一部長・中将・予備役)、草場辰巳(滋賀・陸士二〇・陸大二七・歩兵第一九旅団長・第二野戦鉄道司令官・中将・関東軍野戦鉄道司令官・関東防衛軍司令官・第四軍司令官・予備役・大陸鉄道司令官・自決)、これくらいのところでできたのが、「一夕会」なのです。

 この「一夕会」の最初の目的は、部内の人事の革新と、軍を国民と共にもっていこうということだった。あまりに軍が国民から離れていましたから。

 「同人会」「双葉会」というグループもできましたが、「双葉会」は我々(岡村寧次ら一夕会)の仲間です。また、「満蒙問題研究会」といったものを課長連中がつくらされていました。

 「一夕会」の連中もだんだん年を取って、少佐、中佐になると、みんな要職につくものですから青年将校時代からずっと中国研究一点張りでいったというのは、十五期の河本大作、十六期の私(岡村寧次)と磯谷廉介、板垣征四郎、土肥原賢二。

 十七期、十八期にもありますが、それに二十一期の石原莞爾(山形・陸士二一・六席・陸大三〇・次席・参謀本部第一部長・関東軍参謀副長・舞鶴要塞司令官・中将・第一六師団長・予備役)、二十三期の根本博(福島・陸士二三・陸大三四・第二一軍参謀長・中将・第三軍司令官・駐蒙軍司令官・北支那方面軍司令官)、これだけしかないんです。

 満州事変の前ごろ、だんだん中国の空気が険悪になってきて、関東軍が独断で何かやりそうだとか、いろんな流言が飛びますし、それで、前述の「時局満蒙対策研究会」をつくった。

 当たり前なら、参謀本部第二部支那班の重藤千秋(福岡・陸士一八・陸大三〇・陸軍大学校兵学教官・参謀本部支那課支那班長・歩兵大佐・参謀本部支那課長・第一一師団参謀長・少将・台湾守備隊司令官・中将・予備役)、陸軍省軍事課長の永田鉄山と、これだけでやればいいことを、事が重大だから、仕事に関係なしに、適任と認めたものを最高首脳部が指名した訳です。

 陸軍省では軍事課長の永田と、私は人事局の人事課長(補任課長)をしておりましたから、それに加わり、参謀本部第一課長の東條、欧米課長の渡久雄(東京・陸士一七・陸大二五恩賜・歩兵第六旅団長・参謀本部第二部長・中将・第一一師団長・戦死)、作戦課長の今村均(宮城・陸士一九・陸大二七首席・陸軍省兵務局長・中将・第二三軍司令官・第一六軍司令官・第八方面軍司令官・大将・戦犯で禁錮十年)、教育総監部の磯谷など、八人が指名された訳です。

 その委員長が参謀本部第二部長の建川美次少将(新潟・陸士一三・陸大二一恩賜・参謀本部第一部長・国際連盟陸軍代表・中将・ジュネーブ軍縮会議全権委員・第一〇師団長・第四師団長・予備役・「ソビエト」連邦在勤特命全権大使・大日本翼賛壮年団長)です。

 みんな課長は忙しいものですから、退庁後に集まって夕飯の弁当を食べながら研究したんです。事変の前後になってからは、ほとんど毎日やりましたね。

 事件が起きるたびに議論して、それを建川さんが統制していく。そしてできた案を大臣、総長に報告する。だから、この課長会は「一夕会」とは関係ないのです。

 以上が岡村寧次氏の回想だが、さらに、中村菊男氏の、「『桜会』の動きは『一夕会』に対抗する意味でできたのですか」という問いに対して、岡村寧次元陸軍大将は次のように、述べている。

 そうじゃないんです、あれはまたちがうんですね。階級が一段下ですから。「一夕会」とダブっているのもいますね。たとえば、根本は「桜会」に入っていましたね。

 「桜会」というのは、やはり陸軍の革新の機を起こしたのですが、橋本欣五郎は生粋の福岡だましいで、非常に積極的な男ですが、トルコ駐在武官として、この二、三年前に帰って来たんです。トルコにいた時に、ソビエトの革命、トルコの国内の革新を見てきて、どうしても日本も改革しなければいかんというので、彼は陸軍の革新というより、国の革新まで最初から考えていました。それに共鳴したのが「桜会」です。

 それから、二・二六事件を起こした者のうち、少尉、中尉はまた別なんです。私は人事局の課長を長くやっていまして、彼らを呼びつけて、話を聞いておりますが、これは純真なる気持ちで出発しているんです。

 彼ら若い将校は世間をまるで知りませんから、元気のない兵隊を呼んで聞いてみると、妹がどこかに売られていっているとか、家ではろくなものを食べていないとか、政治が悪いという事になるのですが、中・少尉の間にそういうグループが出来て来たのです。

 彼らは「桜会」に対して非常な反感を持っている。陸軍大学校を出て、参謀本部で威張っている奴が、ヨーロッパに行って来て、なんだ、……、我々こそが本当に純真なんだと……、これが二・二六を起こした。