陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

280.今村均陸軍大将(20)その東條をミスキャストしたのは木戸幸一である

2011年08月05日 | 今村均陸軍大将
 七月、事件がおきた。防空演習のため灯火管制がおこなわれていたことを知らずに電灯をつけていたスカルノが家に踏み込んできた将校にいきなり頬をぶたれたのだ。

 これを聞いた、今村中将は、中山大佐とその将校をスカルノの許に行かせ、詫びさせた。スカルノも「私のほうにも非があった」と笑顔で握手を交わした。

 翌日礼を述べに来たスカルノに向かって、今村中将は「日本軍には昔からビンタという悪弊があり、なかなか改められません。今後民衆にビンタをやる者がありましたら、遠慮なく私に知らせてください」と言った。

 ところが、「スカルノ自伝」(スカルノ・黒田春海訳・角川文庫)によると、スカルノもこの事件に触れているが、「灯りを消し遅れただけで、私は日本の将校に顔をめちゃくちゃにひっぱたかれた」と述べており、今村中将がこの事件に対処したことには一行も触れていない。

 「スカルノ自伝」は、彼が大統領であった一九六一年(昭和三十六年)に、アメリカの女性記者シンディ・アダムスに口述したものである。

 権力の座にあったスカルノだが、インドネシア独立前の日本軍部との関係は、いつまでも彼の“アキレス腱”だったのである。「スカルノ自伝」の随所に、自分の立場を誇張し、正当化しようとする意図が見られる。

 スカルノは「今村大将は本当の侍(さむらい)だった。……紳士的で、丁重で、気品があった」と述べているが、「政治的交渉においては私のほうが上手だった。……私の手にあって、彼は乳児に等しかった」と自分の優位を誇示している。

 また、スカルノは後に副大統領になるハッタにむかって「…私は日本と共に働く道を選ぶ。諸君の力を強化し、日本が敗れるのを待つのだ」とも語っている。

 今村中将とスカルノは互いに相手の立場を理解した上で、個人として好意を抱き合った。それから七年後、インドネシア独立直前のスカルノは、戦犯としてジャカルタの刑務所に収監されている今村元大将を、非常手段を用いても救出しようとしたこともあった。

 「将軍の十字架」(秋永芳郎・光人社)によると、もし、オランダが今村に死刑を宣告するようなことがあれば、その監獄をおそって今村を奪回するか、死刑場を襲って救出する計画をたて、事実、二つの部隊を編成していたという。

 ジャワの第十六軍司令官・今村中将は、その後、昭和十七年十一月九日、ラバウルの第八方面軍司令官に親補され、昭和十八年五月一日、陸軍大将に昇進した。

 「丸・戦争と人物20・軍司令官と師団長」(潮書房)所収「開戦時軍司令官の経歴」(森山康平)によると、今村均(陸士一九・陸大二七首席・大将)は戦後、「人物往来」昭和四十一年二月号で、岡村寧次(おかむら・やすじ・陸士一六・陸大二五恩賜・陸軍大将)と対談している。

 その席で、今村は東條英機(陸士一七・陸大二七・大将・陸軍大臣)について次の様に語っている。

 「あの人(東條英機)を、あの武人を、政治の場に持ってきたのは木戸幸一さんなんです。木戸さんと私とは、私の家内の血縁をたどると親戚関係になるが、いまでも毎年一回親戚中が集まって話をするとき、私は木戸さんの顔を見るとこう言うんです。『大東亜戦争の原因は、あなたが大責任者だ。どうして東條をあんな責任の地位に置いたのか…』と」

 「岡村さんの言われる通り、あの人は政治家じゃない。軍人ですよ。その人が国の政治をやったのが間違いの元だったのです。それに対して、木戸さんは『その通りだ』と言っています。そして、いまだに謹慎していて、誰とも会おうとしません」

 今村均は、この席で岡村寧次に「参謀本部で作戦課長をやっていた時(昭和六年八月から満州事変を挟んでの数ヶ月)、東條さんは編成課長でして、個人的には非常に親しくしていました・・・」と語っている。

 今村均は、太平洋戦争開戦時は第十六軍司令官(インドネシアのジャワ島攻略)、次に第八方面軍司令官(ソロモン・ニューギニア作戦)として、開戦から終戦まで常に第一線指揮官として前線にいた。

 その太平洋戦争の直接の引き金役は、東條であり、その東條をミスキャストしたのは木戸幸一である、というのが、今村均の胸中にわだかまっていた。

 終戦後、今村大将はラバウルで戦犯収容所に収監され、昭和二十二年、オーストラリア軍による軍事裁判判決(禁錮十年)を受けジャワ島移送された。

 昭和二十五年にインドネシアより帰国するが、ニューギニアのマヌス島で服役することを自ら申し出てマヌス島で服役開始。

 昭和二十八年日本の巣鴨拘置所に移送され、昭和二十九年十一月刑期を終え出所した。昭和四十三年十月四日死去。享年八十二歳だった。

(「今村均陸軍大将」は今回で終わりです。次回からは「鈴木貫太郎海軍大将」が始まります)