昭和15年8月、花谷正少将は第二十九旅団長になり、中国河南省の信陽県にいた。
「愛の手紙は幾歳月」(朝日新聞社)の中で、著者の川島正巳氏は当時花谷旅団長の部下だった。川島氏は次のように述べている。
花谷少将は旅団長に着任されたその日、司令部の全員を集めて訓示した。
「諸君は階級を段々に考えるではない。中尉より大尉のほうが偉いと決めてかかるな。わが味方は大将から二等兵までおり、わが敵にもまた大将から二等兵まである。わが味方の上には、上ご一人(天皇陛下)をいただいているのだ」
陸軍広しといえども、こんなことを言う人は他にはあるまい。さすがに横紙破りだと、噂された。
三井信託社員で旅団司令部付の鈴木中尉が着任の申告に旅団長の部屋に入り、型通りの申告の儀式を終えると、「ご苦労、掛け給え」と花谷少将は言った。
すると花谷旅団長は机の上にあった支那新聞を取り上げると、「これを読んでみ給え」と言った。新聞を読むくらい何とも無いので声を出して読んでみると、「よろしい」と言った。
そのあと突然「満州事変は俺が起こした」とやりだした。鈴木中尉は何のことやら判らぬままに、唯「はあ、はあ」と答えて高級副官の部屋に戻った。
ある日、鈴木中尉は呼ばれて、花谷旅団長の碁の相手をした。対局したが、二たて食わせて三局目には花谷旅団長が鈴木中尉の「しちょう」にはまった。
「閣下、こりゃしちょうです。駄目です」と言うと、「いや、しちょうじゃない」と言って、花谷旅団長は強情に逃げ出した。
鈴木中尉は待ってやるつもりだったが、余りに強情なので、しちょうを続けて追った。そして遂に死んでしまった。
花谷旅団長は「うっ」と奇妙な声を出すと、いきなり碁盤に手を掛けひっくり返してしまった。
「何をする」鈴木中尉は怒鳴った。そしてにらみ合いが続いた。「俺が悪かった。今夜は酔っていたんで」と花谷旅団長は謝った。
鈴木中尉は静かに散らばった石を集め碁笥に容れ、盤を直すと黙って部屋を出た。
その夜、鈴木中尉は癪に障って寝つかれなかったが、その内に急に可笑しさが込み上げて来て、大声で笑い出した。
「しちょう知らずに碁を打つな」昔からいわれている言葉だが、花谷旅団長はその通りにやってしまった。
花谷中将が師団長時代、かつてプロ野球の大洋ホェールズの名監督、三原氏は、第五十五師団の参謀部に勤務していた。
「愛の手紙は幾歳月」(朝日新聞社)の中で、著者の川島正巳氏は当時花谷旅団長の部下だった。川島氏は次のように述べている。
花谷少将は旅団長に着任されたその日、司令部の全員を集めて訓示した。
「諸君は階級を段々に考えるではない。中尉より大尉のほうが偉いと決めてかかるな。わが味方は大将から二等兵までおり、わが敵にもまた大将から二等兵まである。わが味方の上には、上ご一人(天皇陛下)をいただいているのだ」
陸軍広しといえども、こんなことを言う人は他にはあるまい。さすがに横紙破りだと、噂された。
三井信託社員で旅団司令部付の鈴木中尉が着任の申告に旅団長の部屋に入り、型通りの申告の儀式を終えると、「ご苦労、掛け給え」と花谷少将は言った。
すると花谷旅団長は机の上にあった支那新聞を取り上げると、「これを読んでみ給え」と言った。新聞を読むくらい何とも無いので声を出して読んでみると、「よろしい」と言った。
そのあと突然「満州事変は俺が起こした」とやりだした。鈴木中尉は何のことやら判らぬままに、唯「はあ、はあ」と答えて高級副官の部屋に戻った。
ある日、鈴木中尉は呼ばれて、花谷旅団長の碁の相手をした。対局したが、二たて食わせて三局目には花谷旅団長が鈴木中尉の「しちょう」にはまった。
「閣下、こりゃしちょうです。駄目です」と言うと、「いや、しちょうじゃない」と言って、花谷旅団長は強情に逃げ出した。
鈴木中尉は待ってやるつもりだったが、余りに強情なので、しちょうを続けて追った。そして遂に死んでしまった。
花谷旅団長は「うっ」と奇妙な声を出すと、いきなり碁盤に手を掛けひっくり返してしまった。
「何をする」鈴木中尉は怒鳴った。そしてにらみ合いが続いた。「俺が悪かった。今夜は酔っていたんで」と花谷旅団長は謝った。
鈴木中尉は静かに散らばった石を集め碁笥に容れ、盤を直すと黙って部屋を出た。
その夜、鈴木中尉は癪に障って寝つかれなかったが、その内に急に可笑しさが込み上げて来て、大声で笑い出した。
「しちょう知らずに碁を打つな」昔からいわれている言葉だが、花谷旅団長はその通りにやってしまった。
花谷中将が師団長時代、かつてプロ野球の大洋ホェールズの名監督、三原氏は、第五十五師団の参謀部に勤務していた。