後に兵器部長の人見大佐は花谷師団長から重謹慎三十日の処分を言い渡された。
そのあと、花谷師団長は人見大佐に
「貴様はカデットじゃないか」
と怒鳴りつけた。
「貴様、カデットの誇りを知れ。カデットのつらよごしだ」
と殴りつけた。
人見大佐は兵器部長の部屋に帰っていった。しばらくして、銃声が響いた。栗田中佐は急いでかけつけた。
人見大佐は寝台の上に横たわっていた。右手には小型のコルトを握っていた。
額から血が流れていた。四十九歳であった。死亡の広報には次のように記されている。
「昭和十九年八月二十五日、ビルマ、アキャブ県ノータンゴにおいて、頭部貫通銃創のため戦死」
死亡した人見大佐に少将に進級の手続きがとられたのは、戦後の昭和三十一年であった。
「戦死」(文春文庫)によると、昭和20年3月、鳥取の歩兵第百十一連隊の長沢貫一連隊長は第百十位連隊はアキャブ南方のラムリー島で連合軍の上陸に対し防戦を行なった。
その直後、長沢大佐は少将に進級し、第五十五歩兵団長に任命され、転出した。長沢少将は夜も寝ないでラムリー島の戦況を心配していた。
長沢少将は部下を思い涙を流した。栄転も意中になくただ残る将兵に気を引かれていた。そういう軍人であった。
このようにして長沢少将はヘンザダの五十五師団司令部に着任した。花谷師団長は自分の宿舎に迎えた。
花谷師団長、参謀ら司令部の幕僚が列席して、長沢歩兵団長の歓迎の宴が開かれた。
花谷師団長はゆかたを着込んで機嫌が良かったが、沈痛な長沢少将の胸中を思いやろうとはしなかった。
花谷師団長は、長沢少将にいきなり
「なんだ貴様、蒋介石のおかげで少将になれたんじゃないか。無天の低能め」
と、いつものように、陸軍大学校の卒業生でないことを軽蔑した言葉をはいた。
長沢少将は気持ちが練れていたので、にやにや笑って聞いていた。
花谷師団長はさらにしつこくからんだ。
「平時なら貴様のような低能は閣下になるような人間じゃないぞ」
長沢少将も、さすがに怒りを押さえかねて
「私はいかにも無天だ。しかし、歩兵団長としての任務は遂行しているつもりだ。何を言うか。貴様は大阪幼年学校では、俺の後輩じゃないか」
花谷師団長は顔を赤くして、ビール瓶をつかむと、永沢少将の頭をなぐりかかった。長沢少将はすばやく立ち上がって、軍刀の柄に手をかけた。
そのあと、花谷師団長は人見大佐に
「貴様はカデットじゃないか」
と怒鳴りつけた。
「貴様、カデットの誇りを知れ。カデットのつらよごしだ」
と殴りつけた。
人見大佐は兵器部長の部屋に帰っていった。しばらくして、銃声が響いた。栗田中佐は急いでかけつけた。
人見大佐は寝台の上に横たわっていた。右手には小型のコルトを握っていた。
額から血が流れていた。四十九歳であった。死亡の広報には次のように記されている。
「昭和十九年八月二十五日、ビルマ、アキャブ県ノータンゴにおいて、頭部貫通銃創のため戦死」
死亡した人見大佐に少将に進級の手続きがとられたのは、戦後の昭和三十一年であった。
「戦死」(文春文庫)によると、昭和20年3月、鳥取の歩兵第百十一連隊の長沢貫一連隊長は第百十位連隊はアキャブ南方のラムリー島で連合軍の上陸に対し防戦を行なった。
その直後、長沢大佐は少将に進級し、第五十五歩兵団長に任命され、転出した。長沢少将は夜も寝ないでラムリー島の戦況を心配していた。
長沢少将は部下を思い涙を流した。栄転も意中になくただ残る将兵に気を引かれていた。そういう軍人であった。
このようにして長沢少将はヘンザダの五十五師団司令部に着任した。花谷師団長は自分の宿舎に迎えた。
花谷師団長、参謀ら司令部の幕僚が列席して、長沢歩兵団長の歓迎の宴が開かれた。
花谷師団長はゆかたを着込んで機嫌が良かったが、沈痛な長沢少将の胸中を思いやろうとはしなかった。
花谷師団長は、長沢少将にいきなり
「なんだ貴様、蒋介石のおかげで少将になれたんじゃないか。無天の低能め」
と、いつものように、陸軍大学校の卒業生でないことを軽蔑した言葉をはいた。
長沢少将は気持ちが練れていたので、にやにや笑って聞いていた。
花谷師団長はさらにしつこくからんだ。
「平時なら貴様のような低能は閣下になるような人間じゃないぞ」
長沢少将も、さすがに怒りを押さえかねて
「私はいかにも無天だ。しかし、歩兵団長としての任務は遂行しているつもりだ。何を言うか。貴様は大阪幼年学校では、俺の後輩じゃないか」
花谷師団長は顔を赤くして、ビール瓶をつかむと、永沢少将の頭をなぐりかかった。長沢少将はすばやく立ち上がって、軍刀の柄に手をかけた。