昭和6年9月16日、満州事変の起こる二日前のことである。関東軍の高級参謀、板垣征四郎大佐は同志を集めて、打ち合わせをした。
顔ぶれは、作戦主任参謀・石原莞爾中佐、奉天特務機関長・花谷正少佐、張学良顧問・今田新太郎大尉、それに鉄道独立守備隊の大、中隊長などであった。
議題は鉄道爆破と北大営攻撃を決行するかどうかということだった。議論をし酒を飲んでいるうちに夜が明けた。
板垣大佐はやむなく、「おれがハシを立てて、右に倒れたら中止、左に倒れたら決行だ」
ハシは右に倒れた。中止である。みんなが諦めようとした時に、今田大尉が立ち上がって「命の惜しい者はやめろ。おれがひとりでやる」と軍刀を持って出ようとした。
それを花谷少佐が押さえた。「ぬけがけはゆるさんぞ。俺も行く」といきり立った。
この勢いに板垣大佐が負けて、「それでは、やることにするか」と採決した。こうして満州事変は起こった。
昭和7年6月、花谷少佐は富山市の歩兵第三十五連隊の第一大隊長になった。満州事変の張本人として処罰のため左遷させられたのだ。
そのころ富山市で発行されていた北陸タイムスが、昭和8年3月10日の陸軍記念日に、軍部に対して批判的な記事を掲載した。
花谷少佐は大いに怒った。翌早朝、非常呼集を命じて大隊の兵を率いて営門を出た。花谷大隊は北陸タイムスの社屋を包囲して発砲した。
「陰謀・暗殺・軍刀、一外交官の回想」(岩波新書)によると、著者の森島守人は当時奉天総領事代理であった。
9月18日満州事変の発火点となった柳条溝事件の夜の十時四十分頃、特務機関から、柳条溝で中国軍が満鉄線を爆破した。至急来てくれと電話があった。
特務機関では板垣大佐をはじめ参謀連中が荒々しく動いていた。板垣大佐は「満鉄線が爆破されたから、軍はすでに出動中である」と述べて総領事の協力を求めた。
森島氏は「軍命令は誰が出したか」と尋ねたところ、「緊急突発事件でもあり、司令官が旅順にいるため、自分が代行した」との答えであった。
森島氏は軍が怪しいとの感想を抱いたが繰り返し、外交交渉による平和的解決の必要を力説した。
板垣大佐は語気も荒々しく「すでに統帥権の発動を見たのに、総領事館は統帥権に容喙、干渉せんとするのか」と反問した。
同席していた花谷少佐の如きは、森島氏の面前で軍刀を引き抜き、「統帥権に容喙する者は容赦しない」と威嚇的態度にさえ出た。
9月20日深夜、森島氏の自宅を「軍の使いだ、早くあけろ」とて軍刀をちゃらつかせながら、非常な力で戸を叩く者があった。
顔ぶれは、作戦主任参謀・石原莞爾中佐、奉天特務機関長・花谷正少佐、張学良顧問・今田新太郎大尉、それに鉄道独立守備隊の大、中隊長などであった。
議題は鉄道爆破と北大営攻撃を決行するかどうかということだった。議論をし酒を飲んでいるうちに夜が明けた。
板垣大佐はやむなく、「おれがハシを立てて、右に倒れたら中止、左に倒れたら決行だ」
ハシは右に倒れた。中止である。みんなが諦めようとした時に、今田大尉が立ち上がって「命の惜しい者はやめろ。おれがひとりでやる」と軍刀を持って出ようとした。
それを花谷少佐が押さえた。「ぬけがけはゆるさんぞ。俺も行く」といきり立った。
この勢いに板垣大佐が負けて、「それでは、やることにするか」と採決した。こうして満州事変は起こった。
昭和7年6月、花谷少佐は富山市の歩兵第三十五連隊の第一大隊長になった。満州事変の張本人として処罰のため左遷させられたのだ。
そのころ富山市で発行されていた北陸タイムスが、昭和8年3月10日の陸軍記念日に、軍部に対して批判的な記事を掲載した。
花谷少佐は大いに怒った。翌早朝、非常呼集を命じて大隊の兵を率いて営門を出た。花谷大隊は北陸タイムスの社屋を包囲して発砲した。
「陰謀・暗殺・軍刀、一外交官の回想」(岩波新書)によると、著者の森島守人は当時奉天総領事代理であった。
9月18日満州事変の発火点となった柳条溝事件の夜の十時四十分頃、特務機関から、柳条溝で中国軍が満鉄線を爆破した。至急来てくれと電話があった。
特務機関では板垣大佐をはじめ参謀連中が荒々しく動いていた。板垣大佐は「満鉄線が爆破されたから、軍はすでに出動中である」と述べて総領事の協力を求めた。
森島氏は「軍命令は誰が出したか」と尋ねたところ、「緊急突発事件でもあり、司令官が旅順にいるため、自分が代行した」との答えであった。
森島氏は軍が怪しいとの感想を抱いたが繰り返し、外交交渉による平和的解決の必要を力説した。
板垣大佐は語気も荒々しく「すでに統帥権の発動を見たのに、総領事館は統帥権に容喙、干渉せんとするのか」と反問した。
同席していた花谷少佐の如きは、森島氏の面前で軍刀を引き抜き、「統帥権に容喙する者は容赦しない」と威嚇的態度にさえ出た。
9月20日深夜、森島氏の自宅を「軍の使いだ、早くあけろ」とて軍刀をちゃらつかせながら、非常な力で戸を叩く者があった。
アメリカの原潜の館長が、核攻撃されると偽情報を駆使してロシアに原爆を投下するというのは、起こり得る事態です。
もっとも、シビリアンコントロールが利くし、核攻撃には複数のバリアが設けられており抑止されそうでもあります。
満州事変は、出先機関の暴走であったことも考えるべきでしょうね。
この統帥権については、「この国のかたち」司馬遼太郎で識りました。