■昨年8月21日の北京オリンピックの女子ソフトボールで、日本チームが念願の金メダルを獲得したことは、まだ記憶に新しいと思います。このとき活躍した選手が所属するルネサス高崎、太陽誘電はともに群馬県内に事業所を有しており、女子ソフトボール日本リーグ第1部に参加しています。
日本のトップレベルの選手たちがいる群馬県の女子ソフトボールは、歴史的にも組織的にも厚みがあります。日本のトップレベルということは、今や世界のトップレベルという意味であり、女子ソフトボールでは、「世界のメッカ」と言っても過言ではありません。
■群馬県の中でも、わが安中市では、女子シフトボールが盛んで、小学校をはじめ、中学、高校ともレベルが高く、群馬県内はもとより全国においても優秀な成績を収めています。この背景として、女子ソフトボールの普及や発展に貢献してきた関係者のたゆまぬ努力を抜きには語れません。
このたび、かねてから交流の深い台湾から、女子塁球隊が訪日して、親善試合を通じて競技力の向上を目指し、さらに友好親善の輪を広げることができたので、ここに報告します。
↑8月4日(火)午前9時から久芳グラウンドで行われた日台親善ソフトボール大会の開会式の模様。↑
■日台親善ソフトボール大会(主催:群馬県ソフトボール協会http://gunmasoftball.ikaduchi.com/、主管:安中市ソフトボール協会、後援:安中市・安中市教育委員会・安中市体育協会・上毛新聞社、協賛:群馬県中体連ソフトボール部・安中市少女ソフトボール連盟http://www.geocities.jp/annaka_soft/・内外ゴム㈱http://www.naigai-rubber.co.jp/)と銘打ったイベントに参加したのは、台湾から、台北懸徳音國民小学塁球隊(役員12名、選手16名)と、南投懸埔里國民中学塁球隊(役員6名、選手15名)の2チームです。
↑長旅の疲れも見せず、8月2日(日)夜10時半に宿舎についた台湾の徳音國小塁球隊の役員・児童ら一行。↑
対戦する日本側チームは、小学校が、原市プリティースターズ、5・8スーパーレッド&安中リトルメッツ、松井田・東横野選抜、原市フラワーズ、原市ビューティーかやの実&上町シーガールズの5チームと、中学校が、安中市立第一中学校、安中市立第二中学校、高崎市立榛名中学校、高崎市立箕郷中学校の4チームです。会場は、安中市の久芳運動公園グランドで、2009年8月3日(月)から6日(木)にわたって熱戦が繰り広げられました。
試合方式は、小学生の部と中学生の部に分けて、小学生の部は、台湾チームに上記の安中市少女ソフトボール連盟加盟5チームが挑戦する形式をとり、中学生の部では、台湾1チーム、日本4チームによるリーグ戦としました。日程は次の通りでした。
◆小学生の部
8月2日(日) 徳音國小塁球隊、成田着(17:05 JL646)、バスで妙義町の宿舎に移動し、22:30到着。
8月3日(月) 13:00から徳音國小VS原市プリティースターズ。15:00から徳音國小VS5・8スーパーレッド&安中リトルメッツ。
8月4日(火) 09:00から中学生の部と一緒に開会式。10:00から徳音國小VS松井田・東横野選抜。13:00から徳音國小VS原市フラワーズ。19:00から歓迎パーティー。
8月5日(水) 10:00から徳音國小VS原市ビューティーかやの実&上町シーガールズ。終了後、徳音國小チームはバスで東京に移動。
↑対戦前、青ユニフォームの徳音國小チームと地元チームとが仲良く記念写真。↑
◆中学生の部
8月3日(月) 埔里國中塁球隊、成田着(13:15 BR2198)、バスで妙義町の宿舎に移動し、18:30到着。
8月4日(火) 09:00から小学生の部と一緒に開会式。10:00から埔里國中VS安中一中、安中二中VS榛名中。13:00から埔里國中VS榛名中、安中一中VS箕郷中。19:00から合同の歓迎パーティー。
8月5日(水) 10:00から埔里國中VS箕郷中、安中二中VS安中一中。13:00から埔里國中VS安中二中、箕郷中VS安中一中。
8月6日(木) 10:00から埔里國中VS安中一中、箕郷中VS安中二中。終了後、埔里國中チームはバスで東京に移動。
■対戦結果については、紙面の都合もあり、また親善大会ということで詳細は省きますが、アウェーでの試合のためか、初戦は硬さが残った台湾チームでしたが、その後はノビノビとプレーをしていました。また、台湾では、米国式で、新学期が9月からなので、小学生6年生といっても、半年ほど年上になり、体格面で、これで小学生と思うくらい上回っていました。体力面で不利な日本チームは、いろいろな作戦を駆使して互角の勝負を挑んでいました。
■実は、台湾と安中市の女子ソフト交流は2005年に続き、今回が二度目です。今回の大会の名誉会長で、大会準備委員として尽力した岡賢氏は、米国の投球技術を日本に紹介するなど、その活発な行動力に注目した台湾ソフトボール協会が、岡氏の指導を仰ぎ、岡氏もその期待に応えたため、高い信頼を寄せることになりました。その結果、アテネ五輪当時、台湾女子ナショナルチームの倪兆良総監督は、投手陣のヘッドコーチを岡氏に要請したほどです。こうして、岡氏は現在でも台湾ソフトボール協会から絶大な信頼を得ており、台湾への影響力も大きく、今回の大会開催も、台湾側から岡氏への打診をきっかけに、岡氏ら日本側の協力で実現しました。岡氏は、今でも年2回程度、自分の指導する大学チームを引き連れて、台湾に遠征しており、次回は、来年3月に台湾で試合予定です。
そのため、今回来日した台湾チームの監督やコーチの中には、アテネ総監督だった倪兆良氏も、北京五輪で台湾チーム総監督の張家興氏もいました。張家興総監督は、前日まで仙台で開催されていたジャパンカップ大会に台湾代表チームを率いて参加してから、こちらに合流しました。その他にも、台湾代表チームの現役、OBなど錚々たる面々がコーチとして参加していました。
■8月4日(火)午後7時から、選手らの宿舎でもある妙義グリーンホテル11階で開催された歓迎パーティーでは、両国の女子ソフト関係者が勢ぞろいし、互いに友好親善を確かめ合いました。
両国の女子ソフトボール事情について、両国の関係者の話などから次のことがわかります。日本では、チーム数が多く、試合場所も機会もたくさんあり、とりわけ群馬県では練習環境に恵まれていること、一方、台湾では、チーム数が少なく、年間の試合数も少ないのですが、少女ソフトの強さの秘訣としては、台湾のナショナルチームの選手が引退後、直に各学校の専属の女子ソフトのコーチとして、指導にあたっていることが挙げられています。高校までに実力が認められれば推薦で大学に入り、台湾のナショナルチームのメンバーとして選抜されればよいのですが、選抜に漏れると、せっかくの実力を活かせるための社会人リーグなどが台湾にはないため、実力ある選手層の維持が難しいということです。
■それにしても、参加した台湾チームの子どもたちにとっては、今回の親善大会は大変貴重な体験になったことは間違いありません。一方、対戦相手となった、地元の子どもたちにとっても同じことが言えると思います。なお、台湾との子どもたちを通じた交流は、最近増加しており、台湾の高校生が修学旅行で群馬県の高校を訪問し、生徒主体にプログラムを準備して、互いの学校やクラブ活動の紹介を行ったり、一緒にスポーツやゲームに興じたりして、親睦を深める行事も盛んにおこなわれています。
■さて、今回の日台親善ソフトボール大会のもうひとりの名誉会長でもある岡田義弘市長も、8月4日(火)の歓迎パーティーに参加し、得意のスピーチを披露しました。岡田市長は、あらかじめ用意された「歓迎のことば」の原稿を見ないで、得意のアドリブで、挨拶をおこないました。
岡田市長は、蒋介石のことにこだわって次のようなスピーチしました。「・・・日本が今日、このような繁栄を享受できているのは、戦後の賠償交渉で、(中華民国の)蒋介石が、500億ドルもの賠償権をすべて放棄してくれたおかげであり、われわれ日本人として一日たりとも忘れることはできない・・・」
岡田市長は、市役所の職員に書かせた、ありきたりの「歓迎のことば」では、台湾側関係者の琴線に触れることはできないと事前に認識し、あらかじめ自分自身の言葉で挨拶をしようと、市長なりに考えた挙句、蒋介石の名前を前面に出した挨拶を決意したようです。
■たしかに、かつて、夜間外出禁止令が出ていた国民党の一党独裁統治時代では、蒋介石の話題を持ち出せば、それなりにアピールができました。しかし戦後、中国大陸での毛沢東らの中国共産党の覇権争いに敗れて、台湾に移ってきた蒋介石率いる国民党の独裁政治に長年圧迫されていた本来の台湾の人々(本省人)にとって、蒋介石の話題にわだかまりを持つ人は少なくありません。蒋介石の息子の蒋経国が死去して以来、大きく躍進した台湾の民主化により、日本人が感じている蒋介石への想いと、台湾の民衆のそれとのギャップはかなり開きがあるのです。
■2008年3月22日の台湾総統選挙では、2000年以来、民進党の陳水扁政権が2期続いた後、国民党の馬英九候補が当選しましたが、余りにも中国寄りの政策に批判がでていることはご存じのことと思います。
世話になっている大勲位ナカソネ先生が尊敬する蒋介石の「以徳報怨」への謝辞を台湾のゲストの前で披露した岡田市長ですが、やはり、蒋介石の話題を前面に強調するのは不適切だったかもしれません。というのは、台湾女子ソフトボール関係者の間の政治的な信条は多種多様だからです。政治への関心の高い台湾では、選挙の投票率は日本の比ではありません。
■でも、懐の深い台湾の関係者の皆さんは、蒋介石の功績を賛美する岡田市長のスピーチにも、決して文句をいわず、パーティーでは、岡田市長を取り囲んで「シチョーサン」と親しく呼びかけ「乾杯(カンペイ)」を連呼してくれました。
↑倪兆良氏(手前右)をはじめ台湾側役員らの乾杯コールに顔をほころばす岡田市長。右奥には群馬県ソフトボール協会の南波会長。↑
パーティーには、群馬県ソフトボール協会会長の南波和憲県議も、大会会長として姿を見せていました。政務調査費を使って北京五輪の女子ソフトの活躍ぶりを直に観察しに旅行したほどの熱の入れようですから、今回の大会にも顔を出したものと思われます。このほか、安中市議会からなぜか大会運営役員でもないのに、横山登市議が参列しており、岡田市長のために、一生懸命ウーロン茶や焼きソバのおかわりを運んでいました。
大会参与として、自ら野球好きな岩井均県議も挨拶しましたが、同じく大会参与の瀧本夏代市議の姿は最後まで見当たりませんでした。やはり、配偶者が6月に起こした飲酒運転人身事故の影響で、公的な場への出席自粛を続けているようです。
↑パーティの中締めの挨拶をする中澤教育長。↑
■長年の歴史を誇る安中市ソフトボール協会は、多くの優秀な指導者を輩出し、地元の女子ソフトの発展に多大な功績を果たしてきました。同協会の会長には昨年まで、地元の咲前神社宮司の和田正氏が長年にわたり就任していましたが、昨年7月12日夜、飲酒運転による死亡事故を起こしたため、今年から正田病院長の正田弘一氏が会長を引き継いでいます。
このため、歓迎パーティーでは、車を運転して帰る予定の日本側関係者はみな飲酒厳禁を自らに課して、ウーロン茶でのカンパイを肝に銘じていました。
■今回の大会の準備に大わらわだった安中市ソフトボール協会事務局の中島修氏によると、大会経費は全額同協会への浄財で賄い、行政からの補助金は一切受けていないとのことです。自前でこれだけのイベントを切り盛りした同協会関係者の熱意と手腕に拍手を送りたいとおもいます。
【ひらく会情報部・地域取材班】
↑お馴染みとなった後閑城址公園の北入口付近の山林に佇む蒋介石の銅像。岡田市長が、尊敬する蒋介石の恩義に報いるためには、まずこの銅像の建立費用が公金から支出されたのかどうか、あるいはタゴ事件の横領金から支出されたのか、よく調査し、いずれの場合にも、きちんとダイクンイ先生に揮毫を依頼した御仁に費用負担をさせて、これ以上、元総統がヤブ蚊に食われないよう、きちんと周辺環境整備を行うことが先決なのでは・・・。↑
日本のトップレベルの選手たちがいる群馬県の女子ソフトボールは、歴史的にも組織的にも厚みがあります。日本のトップレベルということは、今や世界のトップレベルという意味であり、女子ソフトボールでは、「世界のメッカ」と言っても過言ではありません。
■群馬県の中でも、わが安中市では、女子シフトボールが盛んで、小学校をはじめ、中学、高校ともレベルが高く、群馬県内はもとより全国においても優秀な成績を収めています。この背景として、女子ソフトボールの普及や発展に貢献してきた関係者のたゆまぬ努力を抜きには語れません。
このたび、かねてから交流の深い台湾から、女子塁球隊が訪日して、親善試合を通じて競技力の向上を目指し、さらに友好親善の輪を広げることができたので、ここに報告します。
↑8月4日(火)午前9時から久芳グラウンドで行われた日台親善ソフトボール大会の開会式の模様。↑
■日台親善ソフトボール大会(主催:群馬県ソフトボール協会http://gunmasoftball.ikaduchi.com/、主管:安中市ソフトボール協会、後援:安中市・安中市教育委員会・安中市体育協会・上毛新聞社、協賛:群馬県中体連ソフトボール部・安中市少女ソフトボール連盟http://www.geocities.jp/annaka_soft/・内外ゴム㈱http://www.naigai-rubber.co.jp/)と銘打ったイベントに参加したのは、台湾から、台北懸徳音國民小学塁球隊(役員12名、選手16名)と、南投懸埔里國民中学塁球隊(役員6名、選手15名)の2チームです。
↑長旅の疲れも見せず、8月2日(日)夜10時半に宿舎についた台湾の徳音國小塁球隊の役員・児童ら一行。↑
対戦する日本側チームは、小学校が、原市プリティースターズ、5・8スーパーレッド&安中リトルメッツ、松井田・東横野選抜、原市フラワーズ、原市ビューティーかやの実&上町シーガールズの5チームと、中学校が、安中市立第一中学校、安中市立第二中学校、高崎市立榛名中学校、高崎市立箕郷中学校の4チームです。会場は、安中市の久芳運動公園グランドで、2009年8月3日(月)から6日(木)にわたって熱戦が繰り広げられました。
試合方式は、小学生の部と中学生の部に分けて、小学生の部は、台湾チームに上記の安中市少女ソフトボール連盟加盟5チームが挑戦する形式をとり、中学生の部では、台湾1チーム、日本4チームによるリーグ戦としました。日程は次の通りでした。
◆小学生の部
8月2日(日) 徳音國小塁球隊、成田着(17:05 JL646)、バスで妙義町の宿舎に移動し、22:30到着。
8月3日(月) 13:00から徳音國小VS原市プリティースターズ。15:00から徳音國小VS5・8スーパーレッド&安中リトルメッツ。
8月4日(火) 09:00から中学生の部と一緒に開会式。10:00から徳音國小VS松井田・東横野選抜。13:00から徳音國小VS原市フラワーズ。19:00から歓迎パーティー。
8月5日(水) 10:00から徳音國小VS原市ビューティーかやの実&上町シーガールズ。終了後、徳音國小チームはバスで東京に移動。
↑対戦前、青ユニフォームの徳音國小チームと地元チームとが仲良く記念写真。↑
◆中学生の部
8月3日(月) 埔里國中塁球隊、成田着(13:15 BR2198)、バスで妙義町の宿舎に移動し、18:30到着。
8月4日(火) 09:00から小学生の部と一緒に開会式。10:00から埔里國中VS安中一中、安中二中VS榛名中。13:00から埔里國中VS榛名中、安中一中VS箕郷中。19:00から合同の歓迎パーティー。
8月5日(水) 10:00から埔里國中VS箕郷中、安中二中VS安中一中。13:00から埔里國中VS安中二中、箕郷中VS安中一中。
8月6日(木) 10:00から埔里國中VS安中一中、箕郷中VS安中二中。終了後、埔里國中チームはバスで東京に移動。
■対戦結果については、紙面の都合もあり、また親善大会ということで詳細は省きますが、アウェーでの試合のためか、初戦は硬さが残った台湾チームでしたが、その後はノビノビとプレーをしていました。また、台湾では、米国式で、新学期が9月からなので、小学生6年生といっても、半年ほど年上になり、体格面で、これで小学生と思うくらい上回っていました。体力面で不利な日本チームは、いろいろな作戦を駆使して互角の勝負を挑んでいました。
■実は、台湾と安中市の女子ソフト交流は2005年に続き、今回が二度目です。今回の大会の名誉会長で、大会準備委員として尽力した岡賢氏は、米国の投球技術を日本に紹介するなど、その活発な行動力に注目した台湾ソフトボール協会が、岡氏の指導を仰ぎ、岡氏もその期待に応えたため、高い信頼を寄せることになりました。その結果、アテネ五輪当時、台湾女子ナショナルチームの倪兆良総監督は、投手陣のヘッドコーチを岡氏に要請したほどです。こうして、岡氏は現在でも台湾ソフトボール協会から絶大な信頼を得ており、台湾への影響力も大きく、今回の大会開催も、台湾側から岡氏への打診をきっかけに、岡氏ら日本側の協力で実現しました。岡氏は、今でも年2回程度、自分の指導する大学チームを引き連れて、台湾に遠征しており、次回は、来年3月に台湾で試合予定です。
そのため、今回来日した台湾チームの監督やコーチの中には、アテネ総監督だった倪兆良氏も、北京五輪で台湾チーム総監督の張家興氏もいました。張家興総監督は、前日まで仙台で開催されていたジャパンカップ大会に台湾代表チームを率いて参加してから、こちらに合流しました。その他にも、台湾代表チームの現役、OBなど錚々たる面々がコーチとして参加していました。
■8月4日(火)午後7時から、選手らの宿舎でもある妙義グリーンホテル11階で開催された歓迎パーティーでは、両国の女子ソフト関係者が勢ぞろいし、互いに友好親善を確かめ合いました。
両国の女子ソフトボール事情について、両国の関係者の話などから次のことがわかります。日本では、チーム数が多く、試合場所も機会もたくさんあり、とりわけ群馬県では練習環境に恵まれていること、一方、台湾では、チーム数が少なく、年間の試合数も少ないのですが、少女ソフトの強さの秘訣としては、台湾のナショナルチームの選手が引退後、直に各学校の専属の女子ソフトのコーチとして、指導にあたっていることが挙げられています。高校までに実力が認められれば推薦で大学に入り、台湾のナショナルチームのメンバーとして選抜されればよいのですが、選抜に漏れると、せっかくの実力を活かせるための社会人リーグなどが台湾にはないため、実力ある選手層の維持が難しいということです。
■それにしても、参加した台湾チームの子どもたちにとっては、今回の親善大会は大変貴重な体験になったことは間違いありません。一方、対戦相手となった、地元の子どもたちにとっても同じことが言えると思います。なお、台湾との子どもたちを通じた交流は、最近増加しており、台湾の高校生が修学旅行で群馬県の高校を訪問し、生徒主体にプログラムを準備して、互いの学校やクラブ活動の紹介を行ったり、一緒にスポーツやゲームに興じたりして、親睦を深める行事も盛んにおこなわれています。
■さて、今回の日台親善ソフトボール大会のもうひとりの名誉会長でもある岡田義弘市長も、8月4日(火)の歓迎パーティーに参加し、得意のスピーチを披露しました。岡田市長は、あらかじめ用意された「歓迎のことば」の原稿を見ないで、得意のアドリブで、挨拶をおこないました。
岡田市長は、蒋介石のことにこだわって次のようなスピーチしました。「・・・日本が今日、このような繁栄を享受できているのは、戦後の賠償交渉で、(中華民国の)蒋介石が、500億ドルもの賠償権をすべて放棄してくれたおかげであり、われわれ日本人として一日たりとも忘れることはできない・・・」
岡田市長は、市役所の職員に書かせた、ありきたりの「歓迎のことば」では、台湾側関係者の琴線に触れることはできないと事前に認識し、あらかじめ自分自身の言葉で挨拶をしようと、市長なりに考えた挙句、蒋介石の名前を前面に出した挨拶を決意したようです。
■たしかに、かつて、夜間外出禁止令が出ていた国民党の一党独裁統治時代では、蒋介石の話題を持ち出せば、それなりにアピールができました。しかし戦後、中国大陸での毛沢東らの中国共産党の覇権争いに敗れて、台湾に移ってきた蒋介石率いる国民党の独裁政治に長年圧迫されていた本来の台湾の人々(本省人)にとって、蒋介石の話題にわだかまりを持つ人は少なくありません。蒋介石の息子の蒋経国が死去して以来、大きく躍進した台湾の民主化により、日本人が感じている蒋介石への想いと、台湾の民衆のそれとのギャップはかなり開きがあるのです。
■2008年3月22日の台湾総統選挙では、2000年以来、民進党の陳水扁政権が2期続いた後、国民党の馬英九候補が当選しましたが、余りにも中国寄りの政策に批判がでていることはご存じのことと思います。
世話になっている大勲位ナカソネ先生が尊敬する蒋介石の「以徳報怨」への謝辞を台湾のゲストの前で披露した岡田市長ですが、やはり、蒋介石の話題を前面に強調するのは不適切だったかもしれません。というのは、台湾女子ソフトボール関係者の間の政治的な信条は多種多様だからです。政治への関心の高い台湾では、選挙の投票率は日本の比ではありません。
■でも、懐の深い台湾の関係者の皆さんは、蒋介石の功績を賛美する岡田市長のスピーチにも、決して文句をいわず、パーティーでは、岡田市長を取り囲んで「シチョーサン」と親しく呼びかけ「乾杯(カンペイ)」を連呼してくれました。
↑倪兆良氏(手前右)をはじめ台湾側役員らの乾杯コールに顔をほころばす岡田市長。右奥には群馬県ソフトボール協会の南波会長。↑
パーティーには、群馬県ソフトボール協会会長の南波和憲県議も、大会会長として姿を見せていました。政務調査費を使って北京五輪の女子ソフトの活躍ぶりを直に観察しに旅行したほどの熱の入れようですから、今回の大会にも顔を出したものと思われます。このほか、安中市議会からなぜか大会運営役員でもないのに、横山登市議が参列しており、岡田市長のために、一生懸命ウーロン茶や焼きソバのおかわりを運んでいました。
大会参与として、自ら野球好きな岩井均県議も挨拶しましたが、同じく大会参与の瀧本夏代市議の姿は最後まで見当たりませんでした。やはり、配偶者が6月に起こした飲酒運転人身事故の影響で、公的な場への出席自粛を続けているようです。
↑パーティの中締めの挨拶をする中澤教育長。↑
■長年の歴史を誇る安中市ソフトボール協会は、多くの優秀な指導者を輩出し、地元の女子ソフトの発展に多大な功績を果たしてきました。同協会の会長には昨年まで、地元の咲前神社宮司の和田正氏が長年にわたり就任していましたが、昨年7月12日夜、飲酒運転による死亡事故を起こしたため、今年から正田病院長の正田弘一氏が会長を引き継いでいます。
このため、歓迎パーティーでは、車を運転して帰る予定の日本側関係者はみな飲酒厳禁を自らに課して、ウーロン茶でのカンパイを肝に銘じていました。
■今回の大会の準備に大わらわだった安中市ソフトボール協会事務局の中島修氏によると、大会経費は全額同協会への浄財で賄い、行政からの補助金は一切受けていないとのことです。自前でこれだけのイベントを切り盛りした同協会関係者の熱意と手腕に拍手を送りたいとおもいます。
【ひらく会情報部・地域取材班】
↑お馴染みとなった後閑城址公園の北入口付近の山林に佇む蒋介石の銅像。岡田市長が、尊敬する蒋介石の恩義に報いるためには、まずこの銅像の建立費用が公金から支出されたのかどうか、あるいはタゴ事件の横領金から支出されたのか、よく調査し、いずれの場合にも、きちんとダイクンイ先生に揮毫を依頼した御仁に費用負担をさせて、これ以上、元総統がヤブ蚊に食われないよう、きちんと周辺環境整備を行うことが先決なのでは・・・。↑