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日々

穏やかな日々を

まだ青き夕空に

2011年10月31日 23時57分25秒 | 
まだ青き夕空に
するどい三日月
その上を一本の飛行機雲
それのみの空
ほか一片の雲なし

すきとおる空
どこまでも青し

秋の空は
かぎりなく美しく
浮ぶ月も限りなく美し

この青さの
大気の色は
人の世になし

なれど人の眼に刻まれて
人の世に存在し
仰ぐ人に残る

なにもかも忘れ
なにもかもうたかたの霞
存在のみ意識する

人の世のなにもかもがグレーで
闇の中
この空は消えず
この空のみを思い
日々の営みを行う

貧しきが故に善を行い
愚かであるが故に善を行い
悲しみの深いが故に善を行う
善といえるほどの善はできなかったが
おかげで悪に溺れることはなかった
そんな意味合いの事を昔の人が言っていた

善と言い切れる
輝く月を愛でて
善と尊ぶ青空に
生き切って
明日も無事でありますように


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つばきのお話し

2011年10月31日 23時33分08秒 | 草花
つばきのお話し
http://peshimane.s3.zmx.jp/kenkyu/pdf/2005s.pdf#search='松江 公園 椿 銀座'

4, 出雲発東京銀座の修景緑化
先に述べた八重垣神社の門前にあるツバキは、縁結びのツバキとして有名である。小泉八雲も八重垣神社の紀行文の中で、「なお、一つ見ておくべきもの」として、このツバキを紹介している。
推定の樹齢は400年を超えるといわれている、ご神木である。このツバキは、根元付近で、2本の幹が合体している。また、時として葉脈が二つに分かれる連理葉を生ずることもあり、「連理玉椿」としてあがめられている。
また、ツバキは、松江市の「市の花」に選定されている。古く藩政の時代から椿油を殖産産業として市民生活と密接に結ばれるとともに、連理玉椿や松江城山公園内の椿谷、大名茶人「松平不昧公」の茶道における茶花として、市民に親しまれていることから、昭和49(1974)年に市の木「松」と併せて選定されたものである。
東京銀座は、徳川幕府が慶長8年から海岸埋め立て造成したまちである。松江藩が、今の銀座七丁目から八丁目付近を普請けしたことから、その地は出雲町と名付けら、通りは出雲通りと呼ばれていた。明治5(1915)年その地に花椿を商標とした化粧品会社が創業された。その椿の商標は、松江の八重垣神社の玉椿をモチーフにしたといわれ、出雲通りには出雲椿の街路樹があったことから、近年は旧出雲町界隈の通りが「花椿通り」と呼ばれるようになっていた。
平成5(1993)年、歩道の改修に伴い、再び出雲椿を銀座花椿通りに植栽することとなった。東京で最もにぎわいのある銀座の街路樹として、東京の修景緑化に出雲椿が寄与している。小泉八雲の言う「神々の国の首都」から日本の国の首都に緑が送られたのである。

その化粧品会社とは
資生堂のことかなと・・?
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にわか雨のごとし 我が日々

2011年10月31日 16時00分37秒 | 
日々 おいおいばぁばの人生の諸難といえば
にわか雨のようなもんだね

夫さんの天国行きも
にわか雨のごとく消えていく記憶の中


空がとても美しい
特に
真上を仰いでごらんよ
まっさらな青
まっさらな白雲
光る飛行機

その空に
突然雨雲ができて
太陽の消えぬまま
降る雨
すぐ消える
にわか雨
婆の頭上にのみ降っているかのような局所雨

そうだよ
今日のできごとも
照る秋の日差しを受けながら
流れる雨雲
にわか雨

日々
そんな気のする
近日の出来事

愛するこまご(子孫)の笑顔だけが婆の生き甲斐となって
おいしい食事を用意する喜び

申し訳ないけれど
宍道湖のほとりで
渡り鳥をながめながら
世の中の出来事が思い出せなくなっていく
にわか雨のごとし
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