てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

セミが鳴かない

2006-07-14 08:50:37 | 気象・気候
 「今年はまだセミの声を聞かんなぁ!」
 朝食を食べながらつぶやくかみさんの一言で改めて気付かされた。

 まだ梅雨は明けないものの、昨日は岡山で35.2℃を記録、関東以西を中心にこの夏一番の暑さとなった。
 セミの鳴き声がないまま、この暑さはちょっと不気味であり、寂しくもなる。強い日差しに負けじとばかりに声を張り上げる樹上の音楽隊は、夏の主役としてどうしても欠かせない。

 もっとも都会ではセミの寿命が短くなっていると聞く。成虫は周りが明るいと鳴くため、夜がないような都会では、一日中鳴き暮らし、その結果、短い成虫の期間がさらに短くなっているのだそうだ。


コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金ボタル

2006-07-13 09:21:16 | 暮らしと生活
 12日付山陽新聞一面に、神秘の輝きを放つ“金ボタル(ヒメボタル)”が載った。かねがね一度は観てみたいと念じていたので、新見市哲多町蚊家にある天王八幡神社を訪れた。
 この記事に誘われての大勢の人出を承知で早めに現着したが、果たしてベストポジションにはカメラの放列が敷かれ、ざっと300人を超す観光客が、8時ごろからの出番をじーっと待つ。

 やがて静かな光が天の川のように、社叢のクマザサの茂みを覆う。陸棲で雌は飛ぶことができず、雄も高くは飛ばないため、夕闇の中で瞬く黄金の光はまるで宝石をちりばめたよう。

 普通のホタルが黄緑色でゆっくりと“ピカーッ、ピカーッ”と光ってはスーッと消えいくのに比べ、ヒメボタルは金色で“チカチカ”とせわしなく光る。まるで調子の狂ったウインカーのようだ。
 こうして目前に広がる光景は、描いていたイメージとは異なる。何せ数が多いので、長時間・多重露光の合成写真で捉えると、このような光景となる。少し錯覚していた。今回、写真撮影は技術的に叶わず、しっかりと自身の網膜に焼き付けた。

 当地は天然記念物金ボタルの全国有数の生息地にもかかわらず、受け入れ態勢が乏しい。
 道中の案内標識も分かりにくく、少ない駐車場からの天王八幡神社へのアプローチは急峻な山道が、年寄りや子どもの訪問を阻む。
 ホタル保存管理料として100円の徴収ではどだい無理。もっと料金をアップしてでも整備料にあてて、一層のこと町おこしに取り組んだらどうだろうか。もっともホタルのシーズンが、たった10日前後と短期間なのが難点だが。

  
  天王八幡神社の社叢で“ヒメたち”の登場を待つ
  
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ごっつぉさま

2006-07-12 09:26:53 | パソコンとインターネット
 この両日のブログを受けて、ひまわりさんから有益なコメントを次々に頂いた。
 その一つ。
 『以前「みんなのうた」で紹介されていた歌を思い出しました。食物連鎖の歌でしたねぇ。小さな子供にもわかりやすい内容の歌でしたよ(*^o^*)』

 興味深い話なので、ネットで調べた。すぐに、その歌は「ごっつぉさま」であると分かった。同歌は、みんなのうた特に再放送してほしい曲100選にも挙げられたが、前代未聞の極悪事件(「ごっつぉさま」事件)で、本放送中に姿を消したという、思わぬ時代背景までもが露呈した。

 そしてその歌の作詞・作曲者須貝智郎さんのサイトで、「ごっつぉさま」を試聴ができた。

 それにつけても90分の講演要旨をまとめた私の拙い文章から、「食物連鎖=人間の命を支えてくれている動物たちに感謝」との結論を導いてくれた上、楽しいネットサーフィンのきっかけを与えてくれた、ひまわりさんに改めて感謝。
 先日ブログを通じて出会ったばかりだが、一体どんな人なのだろうとあれこれ想像をめぐらしてみる。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マグロ3切れの意味

2006-07-11 22:33:07 | 健康と医学
 昨日レポートした講演会、実はサン・クリニックが数多く主催する行事の一つだ。同じ町内会の誼で会長とともに招待され拝聴したもの。
 山縣院長が主催者の立場で、ブログに端的に一言で総括されていたので、昨日の追補としてご紹介する。
 
『マグロ3切れの意味
今日午後、船越康弘氏の食養講演会がありました。
先生は自然食という本来の食養を世界に広める活動をされています。
お話はとてもわかりやすく、単なる健康のためというのではなく、人生そのものを変える食の意味を、噛んでふくめるように、しかも笑いいっぱいの中で語られます。
その中のひとつ。
「今日夕飯でマグロ3切れ食べるとしましょう。それだけのマグロの身が育つために、イワシ1000匹が命をささげました。イワシ1000匹を育てるために、オキアミ3億匹が命をささげました。オキアミ3億匹を育てるために、動物性プランクトン5兆匹が命をささげました。みんな喜んで命をささげました。それらの生命を私たちはいただいているのです。いただき方が大切です」』

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

命は食にあり 食は命なり

2006-07-10 21:20:16 | 健康と医学
 船越康弘氏の「健康は食と生き方で決まる」と題した講演を聴く機会があった。氏は「わら」という自然食の民宿で有名になった、自然食の料理人。現在は家族でニュージーランドに移住し、自然の中で日本の自然食民宿を営む。
 
--<食を通して本当の豊かさ、人生の楽しみ方を説いた講演の抜粋>--
 日本で治った症例をみたことがない…という脳性髄膜炎と、水頭症のわが子を声かけで治してしまった。
・宇宙の意志は、すべての命を育てたいという愛情であり、人にはできない宿題は存在しない。例えば「病気」という宿題を通して意識の向上があるのだと思えばいい。

・人間は生まれてくるときに、宇宙から「幸せになってこいよ、そのために全力で応援するからな」と言われてこの世に誕生してくる。(多くの臨死体験者のアンケートより)幸せになることこそが、命として存在する唯一絶対の理由なのだ。

・今が一番、ちょうどいいと思いきる。藤場美津路『丁度よい』の詩を引用して、思いをきることの大切さを説く。「丁度よい」そう思うことができれば、悲しみも喜びもなくなる。安堵感にどっぷりと浸って暮らせる。

     丁度よい(仏様の言葉)
    お前はお前で丁度よい
    顔も体も名前も姓も
    お前にそれは丁度よい
    貧も富も親も子も
    息子の嫁もその孫も
    それはお前に丁度よい
    幸も不幸もよろこびも
    悲しみさえも丁度よい
    歩いたお前の人生は
    悪くもなければ良くもない
    お前にとって丁度よい
    地獄へ行こうと極楽へ行こうと
    行ったところが丁度よい
    うぬぼれる要もなく卑下する要もない
    上もなければ下もない
    死ぬ月日さえも丁度よい
    仏様と二人連の人生
    丁度よくないはずがない
    丁度よいのだと聞こえた時
    憶念の信が生まれます
    南無阿弥陀仏

・全力を出し切ってもどうにもならないときは、「天に電話をかけろ」。ただし、自分自身にうそをつかず全力をだしきってどうしてもできないときにだけ、天に電話をかけることができるようになる。船越氏の場合は、電話をかけたときに、天(神)が「ごめん」といったらしい。そのときに解決策がひらめいたという。天が謝ったぐらいだからもうこわいものはなにもないという。

・“重ね煮”というのは、鍋の中に食材を積み上げるとき、陰性の「上昇する力を下に・陽性の下降する力を上に積む」ことで、ちょうど真ん中で陰陽の力が混ざり合う。調和(中庸)を生む料理法。

・「わら」では心の底から感謝し、自然界との交流をするために、食べる野菜に対して輪になって手を繋ぎ声をかける。「天地(あめつち)のおめぐみとこれを作られた方々のご愛念に感謝して料理させていただきます。この食べ物が私たちの体に入って、自他共にお役にたちますように。(鍋に向かって手をあわせる)」

・人間が20分間生存するために食べるマグロ3キレのために→いわし1,000匹が→3億のアミエビが→5兆の動物性プランクトンが犠牲になっている。命を投げ出してくれた食べ物を食べるにあたって、失礼がないように生きる。

・命は食にあり、食は命なり。江戸時代の偉大な観相家水野南北は『食は命なり』という名言を残している。開運の秘訣は食にあり。飲食を慎むこと。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする