10年も20年も前から危惧し、その日をどう迎えるか。。と常に意識はしてきたつもりだった。
電気が無くても、お金が無くても、特に困らずしゃらしゃらと生きていく。。。そんなことを
いつも、仲間と寄ればさわれば、面白おかしく語り合いワクワクするのだった。
米と野菜を作って、薪を焚き、太陽と共に寝起きし、独占に耐えられないお互いに
成り合ってゆきさえすれば、何とかなる・・・と 10年前 いまの暮らしを始めたのだった。
この倉庫暮らしで最初に引き落とされた電気料金は3000円だった。
「おお!!」と感動したのもつかの間、10年の間に冷蔵庫、冷凍庫、FAX3台
テレビ、パソコンetc・・・と「その日」に対する危機感は持ちながらも、気持ちはゆるみ、
夜更かし大好き。ここ数年の電気料金は10000円を下回ることが無い実態が情けない。
ガソリンの高騰騒ぎがあるたびに少し気を引き締めたりはするが、商売をしている以上は諸々の矛盾にも
まあまあと、やりすごしながらも、この暮らしを体得しておけば大丈夫。と10年間に培った感覚に確信を深めてはいた。
13日東京の父の一周忌に参列するために、二人で7日間JR乗り放題99900円のフルムーン切符を買った。
日本海周りのトワイライトエキスプレスが大阪に着く9日昼12時前に「地震大丈夫!?」と長沼のえりちゃんからメール。
(長沼地震来たんだ)と思いながら、その後の相次ぐ地震情報横目に岡山、松山、広島を「感謝」で物見遊山。
鉄道の仕事に就いている弟郁夫さんから法事は延期と連絡が入る。
こんなときに不謹慎だが、せっかく蝦夷地から本州、四国と来たんだから九州に渡って来るべ、と12日開通の
九州新幹線「さくら」で博多に、そして大分別府の湯治場で赤峰百姓塾の同期生あゆみちゃんと合流する。
偶然そこで赤峰農場の生産物別府店を切り盛りする赤峰さんの実の妹大西さんと引き合わされた。
リュウマチで長いこと苦しんだが食を正したら、自分よがりな心が正され、身体が救われた。
という話を聴いて、ここに来た意味を知る。
あゆみちゃんが炊いて持ち込んでくれた玄米ご飯と、大西さん手作りのお惣菜が テーブルにところ狭しと並んで、こんなときにこんな豊な食卓が用意されていることにただただ感謝が湧き上がる。
JRもいつどうなるか分からないから一刻も早く札幌に帰ろう・・とおもいつつ、「東京に行こう」と夫が言った。
13日夜、東京駅周辺で娘と食事をしたが、店は急遽8時に閉めるということで、やはり空気はシンとした感じだった。
その時点で町田までの電車は通常に運転していた。周りの人も冷静にこの事態を受け止めている空気感だった。
9時過ぎに町田の家に着くとテレビが明日からの計画停電の時間帯を延々と流していた。
「風呂桶に水溜めておけばいざの時は飲めばいいし、電気来てる間にご飯炊いておにぎりつくったらいいよね」
車庫のシャッターリモコンだから今から開けっ放したほうがいいか、それとも車使わないと決めるか・・・・
車庫で七輪える。カセットコンロも便利だ。。。暖房切れたらアキラみたいに布団で寝てればいいね。
近くの店に乾電池、食品を買いに行ったがもうなかったという。
14日朝、町の広報マイクが「全学校休校」を繰り返し告げた。
このまま、来週に延びた法事までここに潜伏しているほうが得策か。。とも思ったが、あんまり天気が良いので
「ホッカイドーチーム、アタック開始しまーす」と駅まで行くが駅は閉鎖。デパートも閉鎖。
そこで意識がシャキっとなる。
本当に運よく、バスで羽田空港まで行けた。夫は最後までフルムーン切符を使いきる意気込みで、空港から東京駅に出て間引き運転の上越新幹線で長岡からトワイライトに乗る算段をしている。が、そのときすでにトワイライトは運休。
空港の土産物店はほとんどシャッターを閉めて節電対策を実践していたが、思いのほか空港は落ち着いていた。
運よく乗れた千歳行きのエアドウの翼の横の席で、(ありがとう、ありがとう、ありがとう、、、)と翼に言い続けた。
10年も前から、「その日」を想定しながら、「その日」を迎えたのは、準備の整ったこの長沼ではなく東京だった。
2011年3月14日 55歳の誕生日を迎える前夜の出来事だ。
電気が無くても、お金が無くても、特に困らずしゃらしゃらと生きていく。。。そんなことを
いつも、仲間と寄ればさわれば、面白おかしく語り合いワクワクするのだった。
米と野菜を作って、薪を焚き、太陽と共に寝起きし、独占に耐えられないお互いに
成り合ってゆきさえすれば、何とかなる・・・と 10年前 いまの暮らしを始めたのだった。
この倉庫暮らしで最初に引き落とされた電気料金は3000円だった。
「おお!!」と感動したのもつかの間、10年の間に冷蔵庫、冷凍庫、FAX3台
テレビ、パソコンetc・・・と「その日」に対する危機感は持ちながらも、気持ちはゆるみ、
夜更かし大好き。ここ数年の電気料金は10000円を下回ることが無い実態が情けない。
ガソリンの高騰騒ぎがあるたびに少し気を引き締めたりはするが、商売をしている以上は諸々の矛盾にも
まあまあと、やりすごしながらも、この暮らしを体得しておけば大丈夫。と10年間に培った感覚に確信を深めてはいた。
13日東京の父の一周忌に参列するために、二人で7日間JR乗り放題99900円のフルムーン切符を買った。
日本海周りのトワイライトエキスプレスが大阪に着く9日昼12時前に「地震大丈夫!?」と長沼のえりちゃんからメール。
(長沼地震来たんだ)と思いながら、その後の相次ぐ地震情報横目に岡山、松山、広島を「感謝」で物見遊山。
鉄道の仕事に就いている弟郁夫さんから法事は延期と連絡が入る。
こんなときに不謹慎だが、せっかく蝦夷地から本州、四国と来たんだから九州に渡って来るべ、と12日開通の
九州新幹線「さくら」で博多に、そして大分別府の湯治場で赤峰百姓塾の同期生あゆみちゃんと合流する。
偶然そこで赤峰農場の生産物別府店を切り盛りする赤峰さんの実の妹大西さんと引き合わされた。
リュウマチで長いこと苦しんだが食を正したら、自分よがりな心が正され、身体が救われた。
という話を聴いて、ここに来た意味を知る。
あゆみちゃんが炊いて持ち込んでくれた玄米ご飯と、大西さん手作りのお惣菜が テーブルにところ狭しと並んで、こんなときにこんな豊な食卓が用意されていることにただただ感謝が湧き上がる。
JRもいつどうなるか分からないから一刻も早く札幌に帰ろう・・とおもいつつ、「東京に行こう」と夫が言った。
13日夜、東京駅周辺で娘と食事をしたが、店は急遽8時に閉めるということで、やはり空気はシンとした感じだった。
その時点で町田までの電車は通常に運転していた。周りの人も冷静にこの事態を受け止めている空気感だった。
9時過ぎに町田の家に着くとテレビが明日からの計画停電の時間帯を延々と流していた。
「風呂桶に水溜めておけばいざの時は飲めばいいし、電気来てる間にご飯炊いておにぎりつくったらいいよね」
車庫のシャッターリモコンだから今から開けっ放したほうがいいか、それとも車使わないと決めるか・・・・
車庫で七輪える。カセットコンロも便利だ。。。暖房切れたらアキラみたいに布団で寝てればいいね。
近くの店に乾電池、食品を買いに行ったがもうなかったという。
14日朝、町の広報マイクが「全学校休校」を繰り返し告げた。
このまま、来週に延びた法事までここに潜伏しているほうが得策か。。とも思ったが、あんまり天気が良いので
「ホッカイドーチーム、アタック開始しまーす」と駅まで行くが駅は閉鎖。デパートも閉鎖。
そこで意識がシャキっとなる。
本当に運よく、バスで羽田空港まで行けた。夫は最後までフルムーン切符を使いきる意気込みで、空港から東京駅に出て間引き運転の上越新幹線で長岡からトワイライトに乗る算段をしている。が、そのときすでにトワイライトは運休。
空港の土産物店はほとんどシャッターを閉めて節電対策を実践していたが、思いのほか空港は落ち着いていた。
運よく乗れた千歳行きのエアドウの翼の横の席で、(ありがとう、ありがとう、ありがとう、、、)と翼に言い続けた。
10年も前から、「その日」を想定しながら、「その日」を迎えたのは、準備の整ったこの長沼ではなく東京だった。
2011年3月14日 55歳の誕生日を迎える前夜の出来事だ。