ポテトチップスの福岡版として<ごぼう天うどん>味ができたことを紹介しました。うどん発祥の地を称し、石碑も有りますから納得していましたが…なんでごぼう天なのかと言われると?? なしてやろか?
ところが歴史の紐解けば~「福岡藩では将軍への献上品に12月の寒中見舞いとして」、ごぼうとホヤ(老海鼠)が送られたそうです。
「貝原益軒が著した『筑前国続風土記』の<土産考>によれば、『遠賀郡高井村に産するを好品とす。同郡底井野の近村なるゆえ、底井野牛蒡と称す。国君より毎年江戸に献ぜらる。筑後の北野牛蒡に似たり』と説明」されているそうです。さらに「江戸時代後期に編纂された『筑前国続風土記付録』の<土産考>によれば、『今は怡土郡井原、三雲、瑞梅寺、この三村に劣れり。ゆえに、江戸にも毎年、井原、瑞梅寺の牛蒡を献ぜらる。名産なり」と説明があり、「底井野牛蒡に代わって怡土郡産の牛蒡が献上されるようになった」そうです。牛蒡が博多でも産していたのですね‼今は?牛蒡は<なぐちゃん>の所にだけ採れるていると思ってました。
福田先生は「博多うどん+ごぼう天の組み合わせは、明治になってからだというが、福岡の名産だった献上牛蒡の歴史を知ると、うどんと牛蒡の結びつきには何か知られざる物語があったかもしれない、と思えてくる」と書かれています。面白いですね❗
茶塘の椿が咲いてましたよ!と、2月23日まっちゃんより写メールがありました。謝謝!掲載が遅くなってごめんね!4月の二十日恵比寿には椿の殻の作品作りワークショップをいたします!どうぞ新栄町商店街にもお出かけください!
(下:2018年2月24日西日本新聞<福博ヒストリア黒田家の献上品>欄福田千鶴-九州大教授-日本近世史「老海鼠と牛蒡 セットで寒中見舞いに うどんとのただならぬ縁」一部より)
ところが歴史の紐解けば~「福岡藩では将軍への献上品に12月の寒中見舞いとして」、ごぼうとホヤ(老海鼠)が送られたそうです。
「貝原益軒が著した『筑前国続風土記』の<土産考>によれば、『遠賀郡高井村に産するを好品とす。同郡底井野の近村なるゆえ、底井野牛蒡と称す。国君より毎年江戸に献ぜらる。筑後の北野牛蒡に似たり』と説明」されているそうです。さらに「江戸時代後期に編纂された『筑前国続風土記付録』の<土産考>によれば、『今は怡土郡井原、三雲、瑞梅寺、この三村に劣れり。ゆえに、江戸にも毎年、井原、瑞梅寺の牛蒡を献ぜらる。名産なり」と説明があり、「底井野牛蒡に代わって怡土郡産の牛蒡が献上されるようになった」そうです。牛蒡が博多でも産していたのですね‼今は?牛蒡は<なぐちゃん>の所にだけ採れるていると思ってました。
福田先生は「博多うどん+ごぼう天の組み合わせは、明治になってからだというが、福岡の名産だった献上牛蒡の歴史を知ると、うどんと牛蒡の結びつきには何か知られざる物語があったかもしれない、と思えてくる」と書かれています。面白いですね❗
茶塘の椿が咲いてましたよ!と、2月23日まっちゃんより写メールがありました。謝謝!掲載が遅くなってごめんね!4月の二十日恵比寿には椿の殻の作品作りワークショップをいたします!どうぞ新栄町商店街にもお出かけください!
(下:2018年2月24日西日本新聞<福博ヒストリア黒田家の献上品>欄福田千鶴-九州大教授-日本近世史「老海鼠と牛蒡 セットで寒中見舞いに うどんとのただならぬ縁」一部より)