三保の松原からの帰りです。
行きはいい感じの追い風でしたから、当然帰りは向かい風
脚のほうもそれまで快調だったのに、急に痛みが出てきました。
先を進む夫との距離がだんだん広がっていきます。
それでも時折休んでは進み、海を後ろに曲がったころには痛みもなくなり
ずいぶん変わってしまった今は街並みになってしまったあたりを走り抜け
市の中心地へ
と、その前に、朝ごはんを2回食べたのにお昼だからと向かったのは・・・

静岡市葵区にある”大やきいも”
昔からこう呼んでいますけど、実際○○商店とかいう名前があるのでしょうか?
高校時代、ここからすぐのところに住んでいた友人の家にいく度、寄っては
おいしい静岡おでん、焼き芋を何度食べたことでしょう。
この石焼の窯は歴史を感じますね。
大学芋と焼き芋、実家にお土産にしました。
大やきいもと実家の間にあるのが、徳川家康が終焉の地と選んだ駿府城跡
”駿府公園”です。
我々には駿府城跡というより駿府公園のほうがなじみがあるくらい
児童公園あり、イベントを行う会館あり、テニスコートに野球場ありの公園でしたが
今ではそのすべてが無くなり、駿府城跡の顔を前面に出した公園に変化したようです。

このお堀にも昔は貸ボートがあったんですけどね。
ずいぶんお城らしくなってしまって・・・お城だったんだけど
そのお城あとにはこんな木が”ひとつばたご”通称”なんじゃもんじゃの木”といいます。
市内の城北公園には群生しているようですが・・


そして4年前にもご紹介しましたが、駿府城のすぐ前にあるのが

わが母校、静岡市立青葉小学校の、これも跡、2007年3月21日を以て閉校となってしまったけど
この石垣沿いの通学路は変わっていないし、びっくりしたのは、校門の塀に懐かしい校章が残っていたことでした。
それに、校歌にもある”くすのき”も健在でした。
すぐお隣は県庁なんですよ。

そして市役所

実際はお隣の高層ビルでほとんどの仕事は行われているようですが、歴史的建造物の一つですね。
三保の松原からここまで、そして実家まで、約50kmの旅でした。
なんとか走ることができて、夕方からは実家で総勢12人、義姉のもてなしで楽しい時を過ごすことができました。

姪が持ってきてくれたスパークリングワイン、グラスが空くとすぐ注いでくれるのでどれだけ飲んだかわからない
というくらいこの夜は体調不良が嘘のように絶好調でした。
余りの絶好調に「ずっとこっちにいれば」と言ったのは、夫のほかにいるわけがないじゃありませんか
いられるものならいたいけど、やっぱり横浜も好き
すぐに行ける故郷があるから幸せなんですよねえ
翌日は両方の親のお墓参り
母の日が近いのでカーネーションをあげてきました。
父も入ってるんだけど、まあお許しを

また来るからね。 見守ってください・・祈ってきました。
行きはいい感じの追い風でしたから、当然帰りは向かい風

脚のほうもそれまで快調だったのに、急に痛みが出てきました。
先を進む夫との距離がだんだん広がっていきます。
それでも時折休んでは進み、海を後ろに曲がったころには痛みもなくなり
ずいぶん変わってしまった今は街並みになってしまったあたりを走り抜け
市の中心地へ
と、その前に、朝ごはんを2回食べたのにお昼だからと向かったのは・・・

静岡市葵区にある”大やきいも”
昔からこう呼んでいますけど、実際○○商店とかいう名前があるのでしょうか?
高校時代、ここからすぐのところに住んでいた友人の家にいく度、寄っては
おいしい静岡おでん、焼き芋を何度食べたことでしょう。
この石焼の窯は歴史を感じますね。
大学芋と焼き芋、実家にお土産にしました。
大やきいもと実家の間にあるのが、徳川家康が終焉の地と選んだ駿府城跡
”駿府公園”です。
我々には駿府城跡というより駿府公園のほうがなじみがあるくらい
児童公園あり、イベントを行う会館あり、テニスコートに野球場ありの公園でしたが
今ではそのすべてが無くなり、駿府城跡の顔を前面に出した公園に変化したようです。

このお堀にも昔は貸ボートがあったんですけどね。
ずいぶんお城らしくなってしまって・・・お城だったんだけど
そのお城あとにはこんな木が”ひとつばたご”通称”なんじゃもんじゃの木”といいます。
市内の城北公園には群生しているようですが・・


そして4年前にもご紹介しましたが、駿府城のすぐ前にあるのが

わが母校、静岡市立青葉小学校の、これも跡、2007年3月21日を以て閉校となってしまったけど
この石垣沿いの通学路は変わっていないし、びっくりしたのは、校門の塀に懐かしい校章が残っていたことでした。
それに、校歌にもある”くすのき”も健在でした。
すぐお隣は県庁なんですよ。

そして市役所

実際はお隣の高層ビルでほとんどの仕事は行われているようですが、歴史的建造物の一つですね。
三保の松原からここまで、そして実家まで、約50kmの旅でした。
なんとか走ることができて、夕方からは実家で総勢12人、義姉のもてなしで楽しい時を過ごすことができました。

姪が持ってきてくれたスパークリングワイン、グラスが空くとすぐ注いでくれるのでどれだけ飲んだかわからない
というくらいこの夜は体調不良が嘘のように絶好調でした。
余りの絶好調に「ずっとこっちにいれば」と言ったのは、夫のほかにいるわけがないじゃありませんか
いられるものならいたいけど、やっぱり横浜も好き
すぐに行ける故郷があるから幸せなんですよねえ
翌日は両方の親のお墓参り
母の日が近いのでカーネーションをあげてきました。
父も入ってるんだけど、まあお許しを

また来るからね。 見守ってください・・祈ってきました。