サッカーJリーグは今日5/15、20周年を迎えました。
20年前の1993年5月15日、開幕戦は当時の川崎ヴェルディ横浜マリノスの人気チーム同士の顔合わせでした。
テレビの前で川渕チェアマンの開幕挨拶、初めて聞いた”サポーター”という名の応援団
国立競技場を満杯にして、トラックには数えられないほどの報道陣
テレビ放映もなく、人もまばらな社会人サッカーのころと比べたら天地雲泥の差
ピッチに立った両イレブンのメンバーは鳥肌が立ったと述懐していました。
開幕イベントで流れていた音楽、覚えているでしょうか?
男性グループ、”チューブ”のギタリスト、春畑道哉氏が作曲した<J'S THEME>
素敵な曲です。感動的な曲です。
まさに開幕にふさわしい、これからの日本サッカーの盛隆を予感させるような曲でした。
当時、川崎ヴェルディは読売ヴェルディだったし、横浜マリノスは日産マリノスでした。
読売系の大物さんが猛反対したという企業名をはずすという画期的なチーム名は
チェアマン曰く「いずれ地域に根差した地域のチームにしていきたいから」
何かで読みましたが「企業を前面に出すと、その企業の業績が悪くなったとき、真っ先に切られるのがスポーツ部である」と
たしかにそれは図星です。
これまでも、今も、どれだけの社会人チームがその企業名と共に消滅していったことか
たとえ、前年度優勝したようなチームでさえ、簡単に切り捨てられてしまう
この事実をチェアマンは憂いていたようです。
こうして、北は北海道から、南は沖縄まで、各地に、その地域名を冠にしたチームができていきました。
発足当時10チームしかなかったのが今では40チーム、それでもその筋の皆さんに言わせるとまだまだ少ないのだそうです。
ヨーロッパなどは何百チーム(各国ごとです)サッカー王国ブラジルに至っては2000チーム以上あるそうです。
どこの国も我が日本より人口が少ないのにね。
チーム数が多いということはサッカー人口が多い、だからその中から優秀な選手が出る確率が高いという式になるようです。
本日めでたく20周年を迎えたJリーグですが、発足当時からいまだに現役選手として活躍しているのはたった一人
そうです。 キングカズこと三浦知良選手
すごいですねえ、素晴らしいです。
彼は20年前26歳でしたから46歳になったのですね。
テレビのインタビューで「あっという間の20年、気持ちは当時と変わっていませんよ」と話してました。
そういう私も、清水エスパルスのサポーターになって20年、本当にささやかな、わずかな支援ですが
発足当時の10チーム中、唯一バックに企業の支えのない、
まさに市民チーム=貧乏チームを応援するため後援会に入会しました。
初めてJリーグの試合を実際に見たのは1993年7月、横浜の三ツ沢球技場での 横浜マリノス清水エスパルス戦でした。
今では考えられないくらいチケット入手が困難でした。
往年の名選手、木村和司選手、水沼貴史選手が活躍していたころ、清水はもちろん三羽ガラスが中心選手としてチームを引っ張っていました。
この話になると長くなるので、熱くなるので適当にしておきますが・・適当ってわけにも行かないけど
またの機会にということで
とにかくこの市民が出資して市民が作って、地元選手が戻ってきて出来上がったチームは
初年度、キングカズ、ラモス瑠偉、柱谷、北沢、武田、都並など、多くの日本代表を擁した最強スター軍団を
向こうに張って優勝を争うというすごいことをしてくれたのです。
現在のチームには私が夢中になっていたころの選手が一人もいません。
その上選手の名前と顔が一致しない・・こんなサポーターがいてもいいのだろうか
と、思いつつ、1度は倒産、解体の直前まで行ったチームを救ったのも、相変わらず応援を続けているサポーターと
不景気の中でも、支援を続けてくれている地元企業のおかげですから、一抜けた~はできません。
ということで、続けられる限りささやかな応援を続けていくつもりです。
Jリーグ20周年の今日、久々にサッカーを呟いてみました。
20年前の1993年5月15日、開幕戦は当時の川崎ヴェルディ横浜マリノスの人気チーム同士の顔合わせでした。
テレビの前で川渕チェアマンの開幕挨拶、初めて聞いた”サポーター”という名の応援団
国立競技場を満杯にして、トラックには数えられないほどの報道陣
テレビ放映もなく、人もまばらな社会人サッカーのころと比べたら天地雲泥の差
ピッチに立った両イレブンのメンバーは鳥肌が立ったと述懐していました。
開幕イベントで流れていた音楽、覚えているでしょうか?
男性グループ、”チューブ”のギタリスト、春畑道哉氏が作曲した<J'S THEME>
素敵な曲です。感動的な曲です。
まさに開幕にふさわしい、これからの日本サッカーの盛隆を予感させるような曲でした。
当時、川崎ヴェルディは読売ヴェルディだったし、横浜マリノスは日産マリノスでした。
読売系の大物さんが猛反対したという企業名をはずすという画期的なチーム名は
チェアマン曰く「いずれ地域に根差した地域のチームにしていきたいから」
何かで読みましたが「企業を前面に出すと、その企業の業績が悪くなったとき、真っ先に切られるのがスポーツ部である」と
たしかにそれは図星です。
これまでも、今も、どれだけの社会人チームがその企業名と共に消滅していったことか
たとえ、前年度優勝したようなチームでさえ、簡単に切り捨てられてしまう
この事実をチェアマンは憂いていたようです。
こうして、北は北海道から、南は沖縄まで、各地に、その地域名を冠にしたチームができていきました。
発足当時10チームしかなかったのが今では40チーム、それでもその筋の皆さんに言わせるとまだまだ少ないのだそうです。
ヨーロッパなどは何百チーム(各国ごとです)サッカー王国ブラジルに至っては2000チーム以上あるそうです。
どこの国も我が日本より人口が少ないのにね。
チーム数が多いということはサッカー人口が多い、だからその中から優秀な選手が出る確率が高いという式になるようです。
本日めでたく20周年を迎えたJリーグですが、発足当時からいまだに現役選手として活躍しているのはたった一人
そうです。 キングカズこと三浦知良選手
すごいですねえ、素晴らしいです。
彼は20年前26歳でしたから46歳になったのですね。
テレビのインタビューで「あっという間の20年、気持ちは当時と変わっていませんよ」と話してました。
そういう私も、清水エスパルスのサポーターになって20年、本当にささやかな、わずかな支援ですが
発足当時の10チーム中、唯一バックに企業の支えのない、
まさに市民チーム=貧乏チームを応援するため後援会に入会しました。
初めてJリーグの試合を実際に見たのは1993年7月、横浜の三ツ沢球技場での 横浜マリノス清水エスパルス戦でした。
今では考えられないくらいチケット入手が困難でした。
往年の名選手、木村和司選手、水沼貴史選手が活躍していたころ、清水はもちろん三羽ガラスが中心選手としてチームを引っ張っていました。
この話になると長くなるので、熱くなるので適当にしておきますが・・適当ってわけにも行かないけど
またの機会にということで
とにかくこの市民が出資して市民が作って、地元選手が戻ってきて出来上がったチームは
初年度、キングカズ、ラモス瑠偉、柱谷、北沢、武田、都並など、多くの日本代表を擁した最強スター軍団を
向こうに張って優勝を争うというすごいことをしてくれたのです。
現在のチームには私が夢中になっていたころの選手が一人もいません。
その上選手の名前と顔が一致しない・・こんなサポーターがいてもいいのだろうか
と、思いつつ、1度は倒産、解体の直前まで行ったチームを救ったのも、相変わらず応援を続けているサポーターと
不景気の中でも、支援を続けてくれている地元企業のおかげですから、一抜けた~はできません。
ということで、続けられる限りささやかな応援を続けていくつもりです。
Jリーグ20周年の今日、久々にサッカーを呟いてみました。