Mさんとお会いしたのは4月の食事会の時でした。
いろんな事情があって、セントラルのお友達たちとなかなか一緒になることが出来なくなりました。
そこで、Uさんから提案「月に一度、第三水曜日は食事会の日にしましょう」
それからは、よほどの用事がない限り毎月必ず参加、近況を伝えあってきました。
Mさんは・・・あの日の記事の主人公
元気になられて、4月のその日には、趣味であった写真を撮りに行ってきたと、うれしそうに話し
写した写真を見せてくれました。
この写真をいただきました

今となってははっきり覚えていないのですが、この富士は山梨県側、河口湖か山中湖でしょうか
そして、こちらに行ってきたのよ、と、切抜きまでくださいました。

「もう、どこにでも行けそうだから、来年は行ってみてね」との言葉と一緒に
去年まであんなに大変そうだったのに、撮影旅行にまで行けるようになって
参加していた全員が感動してしまいました。
翌月(5月)の集まりは欠席、ちょっと調子が悪いので、ということで
6月も欠席、最も私も小田さんのライブ当日だったので欠席でしたけど
入院した話は聞きました。でも今までだって入退院の繰り返し、きっとまた元気になって戻ってくれる
確信していました。
それは7/5の午後でした。
携帯が鳴った、相手を見るとMさんの名前が・・<わあ~Mさんだ、うれしい~きっと元気になったんだ>
会話が始まるほんのわずかの間に私の気持ちはハイテンション
「Mさん どうしたんですか~?」「あ、すみません、私、Mの長女の○○ですが・・」
瞬間、血の気がスーッと引きました。
「母が、今朝ほど息を引き取りました。いつも大変お世話になり、ありがとうございました」
電話口のお嬢さんの声が、お元気なころのMさんにそっくりでした。
てっきりご本人だと思い、ハイテンションになってしまった、それだけにその衝撃は半端ではありませんでした。
5月から入院、亡くなる前日に退院、帰宅、そして翌朝、ご家族に見守られて旅立ったとのことでした。
電話を切った後、ぼーっとしたまま何も考えられませんでした。
一回り以上年上のお友達?先輩、とにかく大好きな人、尊敬する人、目標の人でした。
80歳近くになっても好奇心はますます、病気になってからも希望を失わず、あれだけ回復したと思ったのに
泣くだけ泣きました。
7日、七夕の夜はお通夜でした。1月に横浜で会ったメンバーで参列
翌日の葬儀には、それぞれ都合が悪く、私一人で、お嬢さんやMさんの妹さんから
「ぜひ、火葬場まで行ってほしい」と乞われ、他は全員親族という中に入れていただきました。
妹さんとは、横浜開港祭のコーラスでお互いに参加してましたので、何度もお会いしてますし
一番下の妹さんともご一緒したことはあるので、心配はありませんでした。
セントラルでお友達になっていただいてから14年ほど、数多くの会員さんの中から
いつのまにか親しくなった・・ご縁なのでしょう。
2年前、大阪に入院中の私のところに来てくださいました。
京都見物のついでだからと言ってましたけど、真夏の京都、大阪の暑いこと
私への気持ちがなかったらわざわざ来てくださることもなかったでしょう。
一緒に来てくださった皆さんにも感謝しかありません
その時、Mさんからこんな素敵なプレゼントをいただきました。

「いい写真集よ、ぜひ見てもらいたくてね」と言ってくださいました。
Mさんは海外旅行も大好きな人で、かなりいろいろな国に行かれてます。
この写真集のどこにも行ってない私は、ベッドの上でひたすらため息をつきながら、癒されていました。
ところが、私の所から帰った翌日、急に具合が悪くなり、そこから病との戦いが始まったそうです。
その話を後に聞いたので、とても責任を感じました。
でもご家族は、私の所に来てくれた話を楽しそうにしていたと、それとは関係ないからと
逆に慰めてくださいました。
どなたが亡くなっても出棺の時と言うのは辛いし悲しいものです。
80歳でした。世間的にはそこまで生きればいいじゃないの、仕方がないわ、かもしれません。
しかし、Mさんに関しては年齢は関係ない、その場にいた親族の皆さん
誰もが涙して、Mさんとの別れが本当に辛そうでした。
特に86歳のご主人です。
最期のお別れの時、棺の中の奥さんの名前を呼びながら、その頬を撫でているのを見たときは
もう耐えられませんでした。
おそらく、年齢からして、その元気さからして、ご自分が見送ることになろうとは思ってもいなかったのでしょう
Mさん自身も、まさかの旅立ちだったのではないかと思います。
Mさん、本当にお世話になりました。
いつもいつもおしゃべりでおちゃらけの私の話をにこにこと笑顔で聞いてくださいました。
本当に心配りの素晴らしい方でした。
その上、その好奇心と言ったら、この私でさえ舌を巻くような行動力
その体力、気力からまさかこんなに早く逝ってしまわれるとは
でも、ご家族もおっしゃってました。人の何倍も楽しんだ人生だったからと
悔いが残らないのは嘘だけど、いい人生でしたね。
あなたにお会いできたこと、そしてあなたの温かい笑顔を一生忘れないで、これからを生きて行こうと思います。
2週続けて辛いことがありました。
いろいろ考えさせられました。
今、生きていることの意味を考えさせられました。
Mさん どうか安らかに・・・

いろんな事情があって、セントラルのお友達たちとなかなか一緒になることが出来なくなりました。
そこで、Uさんから提案「月に一度、第三水曜日は食事会の日にしましょう」
それからは、よほどの用事がない限り毎月必ず参加、近況を伝えあってきました。
Mさんは・・・あの日の記事の主人公
元気になられて、4月のその日には、趣味であった写真を撮りに行ってきたと、うれしそうに話し
写した写真を見せてくれました。
この写真をいただきました

今となってははっきり覚えていないのですが、この富士は山梨県側、河口湖か山中湖でしょうか
そして、こちらに行ってきたのよ、と、切抜きまでくださいました。

「もう、どこにでも行けそうだから、来年は行ってみてね」との言葉と一緒に
去年まであんなに大変そうだったのに、撮影旅行にまで行けるようになって
参加していた全員が感動してしまいました。
翌月(5月)の集まりは欠席、ちょっと調子が悪いので、ということで
6月も欠席、最も私も小田さんのライブ当日だったので欠席でしたけど
入院した話は聞きました。でも今までだって入退院の繰り返し、きっとまた元気になって戻ってくれる
確信していました。
それは7/5の午後でした。
携帯が鳴った、相手を見るとMさんの名前が・・<わあ~Mさんだ、うれしい~きっと元気になったんだ>
会話が始まるほんのわずかの間に私の気持ちはハイテンション
「Mさん どうしたんですか~?」「あ、すみません、私、Mの長女の○○ですが・・」
瞬間、血の気がスーッと引きました。
「母が、今朝ほど息を引き取りました。いつも大変お世話になり、ありがとうございました」
電話口のお嬢さんの声が、お元気なころのMさんにそっくりでした。
てっきりご本人だと思い、ハイテンションになってしまった、それだけにその衝撃は半端ではありませんでした。
5月から入院、亡くなる前日に退院、帰宅、そして翌朝、ご家族に見守られて旅立ったとのことでした。
電話を切った後、ぼーっとしたまま何も考えられませんでした。
一回り以上年上のお友達?先輩、とにかく大好きな人、尊敬する人、目標の人でした。
80歳近くになっても好奇心はますます、病気になってからも希望を失わず、あれだけ回復したと思ったのに
泣くだけ泣きました。
7日、七夕の夜はお通夜でした。1月に横浜で会ったメンバーで参列
翌日の葬儀には、それぞれ都合が悪く、私一人で、お嬢さんやMさんの妹さんから
「ぜひ、火葬場まで行ってほしい」と乞われ、他は全員親族という中に入れていただきました。
妹さんとは、横浜開港祭のコーラスでお互いに参加してましたので、何度もお会いしてますし
一番下の妹さんともご一緒したことはあるので、心配はありませんでした。
セントラルでお友達になっていただいてから14年ほど、数多くの会員さんの中から
いつのまにか親しくなった・・ご縁なのでしょう。
2年前、大阪に入院中の私のところに来てくださいました。
京都見物のついでだからと言ってましたけど、真夏の京都、大阪の暑いこと
私への気持ちがなかったらわざわざ来てくださることもなかったでしょう。
一緒に来てくださった皆さんにも感謝しかありません
その時、Mさんからこんな素敵なプレゼントをいただきました。

「いい写真集よ、ぜひ見てもらいたくてね」と言ってくださいました。
Mさんは海外旅行も大好きな人で、かなりいろいろな国に行かれてます。
この写真集のどこにも行ってない私は、ベッドの上でひたすらため息をつきながら、癒されていました。
ところが、私の所から帰った翌日、急に具合が悪くなり、そこから病との戦いが始まったそうです。
その話を後に聞いたので、とても責任を感じました。
でもご家族は、私の所に来てくれた話を楽しそうにしていたと、それとは関係ないからと
逆に慰めてくださいました。
どなたが亡くなっても出棺の時と言うのは辛いし悲しいものです。
80歳でした。世間的にはそこまで生きればいいじゃないの、仕方がないわ、かもしれません。
しかし、Mさんに関しては年齢は関係ない、その場にいた親族の皆さん
誰もが涙して、Mさんとの別れが本当に辛そうでした。
特に86歳のご主人です。
最期のお別れの時、棺の中の奥さんの名前を呼びながら、その頬を撫でているのを見たときは
もう耐えられませんでした。
おそらく、年齢からして、その元気さからして、ご自分が見送ることになろうとは思ってもいなかったのでしょう
Mさん自身も、まさかの旅立ちだったのではないかと思います。
Mさん、本当にお世話になりました。
いつもいつもおしゃべりでおちゃらけの私の話をにこにこと笑顔で聞いてくださいました。
本当に心配りの素晴らしい方でした。
その上、その好奇心と言ったら、この私でさえ舌を巻くような行動力
その体力、気力からまさかこんなに早く逝ってしまわれるとは
でも、ご家族もおっしゃってました。人の何倍も楽しんだ人生だったからと
悔いが残らないのは嘘だけど、いい人生でしたね。
あなたにお会いできたこと、そしてあなたの温かい笑顔を一生忘れないで、これからを生きて行こうと思います。
2週続けて辛いことがありました。
いろいろ考えさせられました。
今、生きていることの意味を考えさせられました。
Mさん どうか安らかに・・・
