ブログにはあまり登場しませんが、私には16歳年上の姉がいます。
たった一人の姉ですが、実家から少し不便なところに住んでいるので、実家には行っても
なかなか姉に会う機会がない。
その姉が入院したという連絡が入りました。
昭和8年3月生まれですから、今年83歳
確かに入院の1度や2度あってもおかしくはない年齢ですが
だからこそ、いつなにがあってもおかしくはないわけで
今回はICUに入っていると聞いて、これは行かなければと思ったわけです。
過去にも入院したことはあったらしいけど、気丈な人で、周りが騒ぐと困るからと言って
知らせない
今回は姪も心配だったのでしょう、
病院は大井川の先、静岡駅前から直通バスが出ているので、兄夫婦と待ち合わせをして
乗り込みました。
路線バスですが、東名を走ります。病院の真ん前まで連れて行ってくれました。
どのくらいの状態か全くわからなかったので心配でした。
病室に入ると、体中いろいろな管が付けられ、身動きのできない状態で寝かされた姉がいました。
それでも意識ははっきりしていて、しっかり話すこともできます。
寝たきり状態では筋肉は落ちるし、「治ったらリハビリもしっかりやらないと車いすになってしまうからね」と
はっぱかけてきましたが、「こんなことで終わらないよ」という強い気持ちに少しだけ安心しました。
時間はかかっても退院して普通に生活できるように願っていますが、年齢的に急変する可能性もある
そんなこともあって、急きょ会い行くことにしたのです。
なんとかふんばってほしい、退院したらしっかり面倒見るからと言ってくれた姪の言葉に救われました。
そして、翌日は、
先日亡くなった友人のお嬢のお参りに行ってきました。
彼女の家を訪ねるのは40年ぶりくらいです。
享年38歳
なんてこと、こんなにいい笑顔だったのに・・遺影を見て改めて、どれだけ悔しかったことか
胸が締め付けられました。
友人がお茶を入れてくれている間に、小学生のお孫さんの学校に出す日記を見せてもらいました。
「私のストレス」という題で書かれた文章は、母親が一日一日悪くなっていく様子が書かれています。
甘えたくても甘えられない、どれほど我慢して、不安で、辛かったことでしょう。
最後の2行は・・お母さんが亡くなってしまったこと、それでも自分は頑張る、と
それに対しての担任の先生の言葉
<辛かったね、とてもあなた一人では抱えきれないよね、一人で抱えなくていいのよ、これからは先生も一緒に・・・>
40歳代前半の先生だそうです。少し前にご主人を亡くされたそうです。
だからこそ、余計に他人事ではないのでしょう。
友人夫婦はある程度前から余命を聞いていたのだそうです。
もちろん今時ですから本人にも伝えられています。
本人の希望で、最後まで入院せず、自宅から病院に通っていたのですが
亡くなる1週間くらい前、病院に行くと
「あとどのくらい生きられますか」はっきりと本人が聞いたそうです。
医師は平然と「数カ月でしょうね、子供さんのことを考えてやってください」って
友人ももちろん同行していたのですが、その冷たい言い方に気持ちが氷付いたと
娘さんはどんな気持ちだったのでしょう
母親ですよ、あなたに言われなくたって、自分の事より子供のことしか考えてないわ
今さらだけど、腹が立ちました。
ほんとうに優しい人で、苦しい時でも
「病気が自分でよかった、お母さんや娘だったら耐えられない」と言っていたそうです。
女性は子供ができると強くなります。
子供の為なら我が身を捧げてもというのはいつの時代でも変わらない
友人だって、なぜ自分じゃなくて娘なの?と何度も言ってました。
いよいよ症状が厳しくなり、亡くなる三日前から友人が添い寝していたそうです。
もちろん、ほとんど眠れなかったと言ってましたが
最期は娘さんを含む家族全員の前で息を引き取ったとのこと
「最期まで孫に母親として毅然とした姿を見せてくれた」友人の言葉でした。
小学生がたった一人の母親の最期を見届ける・・その思いは想像を超えたものがあると思います。
Rちゃん、ほんとに偉かったね、お母さんは自分の事より、あなたを残していくこと
なにより辛かったし、悔しかったと思う
これからはおじいちゃん、おばあちゃんにいっぱい甘えて、自分の好きな道を進んでください。
新体操が好きで、励んでいるそうです。
中学校は新体操が強い学校に行きたいと、しっかりした考えを持っていますね。
お母さんも安心するよ、ずっとあなたを見守ってくれているから何も心配しないで
素敵な女性になってくださいね。
おばあちゃんも言ってました。あなたがいるから生きていけると・・
「横浜に遊びに来てね、行きたいところに案内するから」と言ったら
うれしそうにおばあちゃんにおねだりしてくれましたね。
おばちゃんはあなたの前で、バカなことばかり話したけど
そうでもしてないとたまらなかったのよ
おばあちゃんはそれを全部わかってくれてました。
また会いましょう、おばちゃんもあなたの健やかな成長を祈ってますから
たった一人の姉ですが、実家から少し不便なところに住んでいるので、実家には行っても
なかなか姉に会う機会がない。
その姉が入院したという連絡が入りました。
昭和8年3月生まれですから、今年83歳
確かに入院の1度や2度あってもおかしくはない年齢ですが
だからこそ、いつなにがあってもおかしくはないわけで
今回はICUに入っていると聞いて、これは行かなければと思ったわけです。
過去にも入院したことはあったらしいけど、気丈な人で、周りが騒ぐと困るからと言って
知らせない
今回は姪も心配だったのでしょう、
病院は大井川の先、静岡駅前から直通バスが出ているので、兄夫婦と待ち合わせをして
乗り込みました。
路線バスですが、東名を走ります。病院の真ん前まで連れて行ってくれました。
どのくらいの状態か全くわからなかったので心配でした。
病室に入ると、体中いろいろな管が付けられ、身動きのできない状態で寝かされた姉がいました。
それでも意識ははっきりしていて、しっかり話すこともできます。
寝たきり状態では筋肉は落ちるし、「治ったらリハビリもしっかりやらないと車いすになってしまうからね」と
はっぱかけてきましたが、「こんなことで終わらないよ」という強い気持ちに少しだけ安心しました。
時間はかかっても退院して普通に生活できるように願っていますが、年齢的に急変する可能性もある
そんなこともあって、急きょ会い行くことにしたのです。
なんとかふんばってほしい、退院したらしっかり面倒見るからと言ってくれた姪の言葉に救われました。
そして、翌日は、
先日亡くなった友人のお嬢のお参りに行ってきました。
彼女の家を訪ねるのは40年ぶりくらいです。
享年38歳
なんてこと、こんなにいい笑顔だったのに・・遺影を見て改めて、どれだけ悔しかったことか
胸が締め付けられました。
友人がお茶を入れてくれている間に、小学生のお孫さんの学校に出す日記を見せてもらいました。
「私のストレス」という題で書かれた文章は、母親が一日一日悪くなっていく様子が書かれています。
甘えたくても甘えられない、どれほど我慢して、不安で、辛かったことでしょう。
最後の2行は・・お母さんが亡くなってしまったこと、それでも自分は頑張る、と
それに対しての担任の先生の言葉
<辛かったね、とてもあなた一人では抱えきれないよね、一人で抱えなくていいのよ、これからは先生も一緒に・・・>
40歳代前半の先生だそうです。少し前にご主人を亡くされたそうです。
だからこそ、余計に他人事ではないのでしょう。
友人夫婦はある程度前から余命を聞いていたのだそうです。
もちろん今時ですから本人にも伝えられています。
本人の希望で、最後まで入院せず、自宅から病院に通っていたのですが
亡くなる1週間くらい前、病院に行くと
「あとどのくらい生きられますか」はっきりと本人が聞いたそうです。
医師は平然と「数カ月でしょうね、子供さんのことを考えてやってください」って
友人ももちろん同行していたのですが、その冷たい言い方に気持ちが氷付いたと
娘さんはどんな気持ちだったのでしょう
母親ですよ、あなたに言われなくたって、自分の事より子供のことしか考えてないわ

今さらだけど、腹が立ちました。
ほんとうに優しい人で、苦しい時でも
「病気が自分でよかった、お母さんや娘だったら耐えられない」と言っていたそうです。
女性は子供ができると強くなります。
子供の為なら我が身を捧げてもというのはいつの時代でも変わらない
友人だって、なぜ自分じゃなくて娘なの?と何度も言ってました。
いよいよ症状が厳しくなり、亡くなる三日前から友人が添い寝していたそうです。
もちろん、ほとんど眠れなかったと言ってましたが
最期は娘さんを含む家族全員の前で息を引き取ったとのこと
「最期まで孫に母親として毅然とした姿を見せてくれた」友人の言葉でした。
小学生がたった一人の母親の最期を見届ける・・その思いは想像を超えたものがあると思います。
Rちゃん、ほんとに偉かったね、お母さんは自分の事より、あなたを残していくこと
なにより辛かったし、悔しかったと思う
これからはおじいちゃん、おばあちゃんにいっぱい甘えて、自分の好きな道を進んでください。
新体操が好きで、励んでいるそうです。
中学校は新体操が強い学校に行きたいと、しっかりした考えを持っていますね。
お母さんも安心するよ、ずっとあなたを見守ってくれているから何も心配しないで
素敵な女性になってくださいね。
おばあちゃんも言ってました。あなたがいるから生きていけると・・
「横浜に遊びに来てね、行きたいところに案内するから」と言ったら
うれしそうにおばあちゃんにおねだりしてくれましたね。
おばちゃんはあなたの前で、バカなことばかり話したけど
そうでもしてないとたまらなかったのよ

おばあちゃんはそれを全部わかってくれてました。
また会いましょう、おばちゃんもあなたの健やかな成長を祈ってますから