フジテレビで、”地下鉄サリン事件”のドキュメンタリードラマをやっていました。
15年経ったということは、阪神・淡路大震災の翌年
もちろん直接何かの被害を受けたわけではありませんが、
この日のことは今でも鮮烈に覚えています。
というのも、その前日、19日にたまたま東京に行っていたからです。
10日ほど前、高校を卒業した次女は、翌月(4月)から留学のためその準備の合間
毎週、日曜日になると、父、母と共にしばらく日本を離れるからと思い出作りの
ドライブに出かけておりました。
その日も(3/19)東京都内を回り、まだ比較的新しかった”聖路加タワー”に登り
東京の下町を眺め、築地本願寺の前を通り、銀座を通り、ドライブを楽しんで
帰ってきました。
まさか、翌日、あのような悲惨な事件が起こるなんてまったく予想はできなかった
それほど、普通の時間が過ぎていたのです。
多くの犠牲者が運ばれた聖路加病院、前日の静寂を知っているだけに
救急車が行きかい、怒号と悲鳴が聞こえる現場は、本当に、昨日行ってきたばかりの
あの場所なのかと、我が目を疑いました。
知人のAさんのご主人は、毎朝、あの路線を、あのくらいの時刻に利用していたとか
それが、本当にたまたま、横浜方面に仕事があり、その日はいつもの電車に乗ることは
なかったとか・・
同じ電車に乗り合わせたのも運命と言ってしまっては、あまりに失礼な話ですが
こうしてたまたま乗らずに済んだのもまた運命だと、感じました。
主犯の自称教祖は、いまだに真相を語らず、のうのうと生きています。
ドラマでは、霞が関駅の助役だった、故高橋一正さんの奥様であるシズエさんの
回想を主に描かれていますが、いまだに苦しんでいる多くの被害者も
写されていて、もうすでに忘れかかっている我々に、事件の恐ろしさを訴えています。
本当に、いつ何どき、どんな事件に巻き込まれるか、誰もが想像もつかないだけに
その恐怖感が迫ってきます。
阪神・淡路もそうですが、いまだに苦しんでおられる方がたくさんいらっしゃいます。
改めて、お見舞いと、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
15年経ったということは、阪神・淡路大震災の翌年
もちろん直接何かの被害を受けたわけではありませんが、
この日のことは今でも鮮烈に覚えています。
というのも、その前日、19日にたまたま東京に行っていたからです。
10日ほど前、高校を卒業した次女は、翌月(4月)から留学のためその準備の合間
毎週、日曜日になると、父、母と共にしばらく日本を離れるからと思い出作りの
ドライブに出かけておりました。
その日も(3/19)東京都内を回り、まだ比較的新しかった”聖路加タワー”に登り
東京の下町を眺め、築地本願寺の前を通り、銀座を通り、ドライブを楽しんで
帰ってきました。
まさか、翌日、あのような悲惨な事件が起こるなんてまったく予想はできなかった
それほど、普通の時間が過ぎていたのです。
多くの犠牲者が運ばれた聖路加病院、前日の静寂を知っているだけに
救急車が行きかい、怒号と悲鳴が聞こえる現場は、本当に、昨日行ってきたばかりの
あの場所なのかと、我が目を疑いました。
知人のAさんのご主人は、毎朝、あの路線を、あのくらいの時刻に利用していたとか
それが、本当にたまたま、横浜方面に仕事があり、その日はいつもの電車に乗ることは
なかったとか・・
同じ電車に乗り合わせたのも運命と言ってしまっては、あまりに失礼な話ですが
こうしてたまたま乗らずに済んだのもまた運命だと、感じました。
主犯の自称教祖は、いまだに真相を語らず、のうのうと生きています。
ドラマでは、霞が関駅の助役だった、故高橋一正さんの奥様であるシズエさんの
回想を主に描かれていますが、いまだに苦しんでいる多くの被害者も
写されていて、もうすでに忘れかかっている我々に、事件の恐ろしさを訴えています。
本当に、いつ何どき、どんな事件に巻き込まれるか、誰もが想像もつかないだけに
その恐怖感が迫ってきます。
阪神・淡路もそうですが、いまだに苦しんでおられる方がたくさんいらっしゃいます。
改めて、お見舞いと、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。