横浜田舎物語

サザン、サッカー、ロードバイク
エイジレスばあばのパワフルな日々
をお届けします

映画 ALWAYS 三丁目の夕日'64 

2012-02-14 | 趣味
映画 ALWAYS 三丁目の夕日'64 予告編



「今日しかない」

今週はいろいろ予定があって、昨日の午後だけが唯一の空き時間
っていうか、3Dは午後一回しかやってないし

三部作、全部映画館で見ました。

シリーズ物で見たのは

”スターウォーズ”と”ダイハード””ハリポタ”
”インディジョーンズ””バック・トゥ・ザ・フューチャー”

バカ笑いしたい時見に行った”ポリスストーリー”

有名どころばかりですけど、洋画が多いですね。

日本にも”男はつらいよ””釣りバカ日誌”なんていう優れた作品もありますが
ほとんどテレビでしか(時には観光バスの中で)見てないです。

’64 とあるように1964年(昭和39年)のお話

東京オリンピックの年ですね。

当時の私は高校1年でした。
夢多き時代でした

前作は小学校時代でしたから時代も進化して、まさに高度成長

今となってはあれはなんだったんだというのと、あの時代があってこそというのと
複雑な気持ちですが

ストーリーの奥に、観る人それぞれの人生があるようで
懐かしさだけではない何かを考えさせてくれる映画です。

今回も吉岡君演じる、売れない作家”茶川竜之介”と須賀健太君演じる、”古行淳之介”
今昔、名子役共演の演技に思わず涙が

時代は押せ押せ、ぐんぐんでした。

戦後は終わった?と思わせるような、世界中に日本 ここにありを知らしめた頃ですね。

あの時代はよかったなんてことは言いません。
言ったところで今を生きてる自分にはなんの救いにもならないし

ただ、あの時代を振り返って、今の時代を見つめ直すことはできるかもしれません。

受験まっただ中の孫も見たいと言ってたけど

「試験終わったら一緒に行く?」って聞いたら「いい」って断られました。

もうばあばの出番は? 映画と共に過去のお話になってしまったのでしょうか

余談ですけど、あの映画館、月曜日がレディースデイだったのね。
チケット売り場で言いたくてしょうがない

「シニアでお願いします

言ったのに、確認もされなかった。
まあそりゃ「見ればわかりますわよ」って言われたらそれまでだけど

「今日はレディースデイですから」って一言、言ってくれたらいいのにね。

3Dメガネ付きで1400円でした。
次回からメガネがあれば100円引きですって

でもこの映画、3Dで見るほどのものか?
やっぱり3Dはアクションものか、自然界ものの方がせっかくメガネかけるんなら効果的と思いました。


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鎌倉までのつもりでしたが

2012-02-12 | 自転車
朝から晴れ渡った日曜日

今日走らなくていつ走るというくらい絶好の自転車日和でした

このところの日曜日はどんより寒くてとても自転車どころではなかった。

来月に迫った琵琶湖のイベントのためにもトレーニングをしなければ・・

どこまでと決めてはなかったけど、<鎌倉で魚を買う>ことだけは決めて出発しました。

ずっと走ってないくせに、やっぱり今日はみんな走りたいのねえっと勝手に解釈して
そのくらい大勢のローディさんに会いました。

腰越から134号線を滑川まで、左折すれば鶴岡八幡宮への道です。

途中まで行った時、突然夫が「佐島まで行こうか」

いいけど、もう時間が・・佐島は横須賀市です。
鎌倉から逗子、葉山を越えてその先、どう考えても今から行くのは

とりあえず、葉山までは行ってみようということでUターンして横須賀線を渡り小坪トンネルを通り
久木を右折、海岸線は危険なので1本中の住宅街を走り渚橋に出ます。

そこからはまっすぐ葉山マリーナを横に見て葉山元町の交差点に差し掛かった時

「ボンジュールでパン食べて帰る?」と聞かれたのに

ボンジュールは葉山が本店で、鎌倉山にもある有名なおいしいパン屋さんです

「やだ、ここまできたら”Don”に行きたい」
なんて言ってしまったものだから

久しぶりで距離感がまったくつかめず、あと2,3km走れば着くものだと勝手に思いこんでいました。

実際はしおさい公園を越えて、葉山御用邸前を通り、長者が崎を通りまだまだ
あれ~こんなに遠かったかしら?

ずいぶん長いことこちら方面はご無沙汰でした。

やっとやっと着きました。

<なあんだここまできたら佐島まで後少しじゃない>

家を出たときからずっと富士山がきれいでした

このまま海岸線からも見えるだろうか・・見えましたよ
ずっときれいに




この海のまん前にあるのがお気に入りレストラン”Don”



家を出た時は寒いって思ったのにけっこう汗ばんで、せっかくなので海に面したバルコニーの席に着きました。

ここから見る夕陽と、年に2回ほど見られるダイヤモンド富士、すばらしいそうです。

自転車ではちょっと無理ですね。

久しぶりに今日の江ノ島・・長者が崎から



帰りは少々の向かい風でしたが、気持ちよかった

70,11km

琵琶湖はこの倍以上です。

ほんとに走れるのかなあ  ちょっと心配になってきました
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春の香り

2012-02-10 | 食べ物
       
           ふきのとう


          

 
      セントラルに行く途中、農園があり、道路沿いに小さな売り場があります。

      帰りでは売りきれそうなので慌ててバイクを止めました。

      野菜が高騰の折、ホウレンソウも小松菜も全部100円均一

      そこにあったんです。

      寒い寒いと言いながら確実に春は近づいているんですね。




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父の書

2012-02-09 | 静岡関連
兄の葬儀から1週間が過ぎました。

今回、静岡には3日間滞在しましたが、実家に泊まりました。

そうです。

去年の夏、思い出いっぱいの実家を壊し、兄夫婦が老後を過ごすための家を建てる
ところまで書きました。

その家ですが、先月完成し、引っ越しも無事終わりました。

そんな時、兄の訃報が入って

本来なら新居完成のめでたいニュースのはずでしたが
落ち着いたら娘たちとお祝いに行こうなんて話になっていたのですが
急遽、まさに突然行くことになってしまい、私だけでしたけど
2泊してまいりました。

(夫は葬儀だけ出席で日帰りでした)

ほんとにこじんまりした家ですが、年寄2人には十分(なんて私が偉そうに言うことでもないですが

姪のアドバイスで、オール電化にして、料理上手な義姉は新しいキッチンに大満足のようでした。

まだ新しい家の匂いがします。



ずっと店から出入りしてましたから玄関と言う存在も初めてで、なんか新婚生活みたいだねって

まだこれから買いたす家具もあるようですが、新しい真っ白な壁に、今まで使っていた大きなカレンダーをピンでとめたと
姪が怒ってましたっけ

ピンなんかで止めなくたって、吊る物があるんだそうです。
っていうか、新しい壁にださいカレンダーはそれだけでなんですって

娘にあれこれ言われて参っているらしく、盛んに私に愚痴をこぼしてました(笑)

いいじゃないの、好きにすれば、誰かのための家なんじゃなくて2人のためのなんだからって
私は思うんですけどね。

そんな時、上の姪がこんなものを持ってきました



私が3歳の時他界した父の書です。

母が生前自分の部屋に飾ってありましたが、姪の旦那様のT君が表具屋さんに出してこんなにきれいにしてくれました。

娘の私が言うのもなんですけど、達筆だと思います。
姉と次兄がこの血を引き継ぎましたね。

私??  それなりですよ

母とは若いころ別れてしまいましたけど、これ自分で作った川柳ですね。
季語が入ってるから俳句でいいのかな?

豆腐屋の親父にしては風流な人で、本来商売などやりたくなかったみたい
その分母が商売向きの人だったからバランスが取れていたのでしょうか?

我が家に飾るところがあったらもらってきたかったけど・・

そう、例のカレンダーつけちゃった壁に飾ったらいいと言う意見が出ました。

次回どうなったか楽しみです。
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作りましたマーマレード

2012-02-08 | 食べ物


昨日の予告通り、マーマレード作りました。

今年は例年いただいてる農家のおばさんに電話しなかったので
どうしようかと思っていたら
いつもセントラルの帰りに寄るJAの直売所”はまっ子”にありました。

”甘夏”って書いてあるので店の方に聞いたら、
「これはすっぱくて、そのままではちょっと食べられないですよ」
なんて言うものだから

<よっし、これなら

4個で200円

そのへんのお家の庭先になっていることを思うとちょっと~って感じですけど
この際、あれこれ言ってるより売ってるんだから買った方が簡単

いつもは一度に10個から12個くらい切りますけど、たった4個です。

とても楽でした。レシピはコチラ

そして、これは昨日ですけど

先日スーパーで一杯98円で冷凍イカを売ってたので、そうだ、もち米もあるし
たまには作ろう・・と

作りました。



なかなか好評でしたよ。


さて、今日も佐渡で大きな地震がありましたね

先日は富士五湖だったし、日本中どこに行ったっていまや地震から逃れることはできません。

まもなくあの大震災から1年、わかっているはずなのに当時とは違った、お気楽に考えている自分がいます。

首都圏直下型直撃なんてことになったら、この国はどうなってしまうのでしょう。

考えたくないから、考えたってしかたないから考えない

今日もセントラルでサウナに入っていると、どこかのおばさま二人連れが

「地震は間違いなく半年以内に来るわ 今のうちにやりたいことやっておかなくちゃ」なんて悲観的な話をしてました。

たしかに誰にも予測できないこと、自然災害に一度もあわずにこの年まで生きてこれたことに
感謝しつつ、心構えだけはしっかりしなければと改めて思いました。
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絵画展

2012-02-07 | 出来事
月1のデジカメ教室でお知り合いになったIさんは、偶然にも同じ地域に住む方

ご近所で教室に通っている方がいるらしい、とは聞いていましたが
曜日も違っていたので、全く接触の機会がなく、何年かが過ぎて

たまたま月1クラスでご一緒することになりました。

私とは違って、落ち着いた方なので、あまりおバカな話題は避けていましたが

ある日、股関節のことで相談を受けました。

それからは病院を紹介したり、筋トレの方法を教えたり、
運動のためにウォーキングをしてると言うので 
「それはとんでもない、歩いていいのは用事があって出かけるときと、家事をやる時
それ以外に歩きたかったらプールでお願いしますよ

プールも聞かれたので、私が通っているセントラルは古いから、どうせ電車に乗るなら
反対方向の駅前のセントラルをお薦めしたのですが

結局、プログラムが豊富だからという理由で私のクラブを選ばれ、紹介者を聞かれたからと
私の名前を言っていただけたとか

そのおかげで、他クラブも利用できる利用券をいただいちゃいました

入会以来、週3回は通っていると言うIさん、このところさぼってばかりと
時間帯がもともと違うこともあって、なかなかお会いできませんでしたけど
昨日、ようやくプール内でご挨拶

そこで、先月の講座の時案内状をいただいた絵画展
Iさんは絵を描く方なんです。

昨日までだったんですね。

兄のことがあってすっかり忘れてました。
「雨だしブログに写真載せるからいいわよ」と言われましたけど
写真も、絵画もやはり実物が大切です。

バイクで来ていたのでいったん家に戻り、車で行ってきました。



油絵あり水彩ありでしたが、どれも力作、Iさんの絵は人物画でしたが、
普段の人柄からは想像できないようなダイナミックさが伝わってきました。

見かけによらず、案外情熱家なのかも、なんて勝手な想像をしてしまいました(失礼

Iさんありがとうございました。

さて、今日はお天気悪いし、これからマーマレードでも作りましょう
みなさんに先越されちゃったけど、何度も宣伝してくださってありがとう

うまくできたらアップしますね。
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家族会議

2012-02-05 | 家族

長女から<大事な話があるので家族会議を開きたい>というメールが入りました。

兄の訃報を聞く前でしたが、なかなか時間が合わなくて、結局節分の昨日、次女も含めて集合

節分と言うこともあり、私からの返信は<鬼は家に入れませんからね、家に入っていいのは福だけよ>

家族会議だなんて・・夫は「金がないから貸してくれって言うんじゃないか」なんて言ってましたが
私にはまったく見当がつかず

何を勝手に家族会議なんて言ってるのかしら・・???

さて、テレビも消して始まりましたよ。

長女の話です。

これが想像していたこととはまったく関係のない、けっこう真面目な話

私たち夫婦、つまり彼女の親の行く末の話でした。

何度も書いてますが、娘はケアマネージャーです。

介護施設で8年ほど働いています。

当然看取り介護もしますので、もう何度も何人ものお年寄りの旅立ちに立ち会っています。

最近になってある女性の最期に立ち会って強く感じたことがあったそうです。

その女性は、自分はこう介護されたい、そしていよいよの時にはこのようにしてほしい、ということを
事細かに書いたものを、元気な時から家族に渡していたとのこと

施設では、できるだけ利用者さんの意向に沿うよう、少しでも長く快適に過ごしてもらえるよう
努力しているのですが、ご本人の意識が無くなってきたり、最期を迎えるにあたって
<この人は本当にこれで満足しているのだろうか、これでよかったのだろうか>と思うことが多々あるそうです。

そんな時、先の女性のように、前もって本人の意思があれば、それに沿って悔いのない介護ができる
とても大切なことではないかと・・・

そんなことを思っていた矢先、彼女の伯父である私の兄が亡くなったので、いっときも早く話さなければと思ったらしい

これはたいへん、鬼でも福でもないとても大切なことです。

例えば、延命治療にしても突然では本人の意思に関係なく、家族が決断しなければなりませんし

娘が介護の仕事をしている割に、その中身がよくわかってないかもしれない。

例えば『エンディングノート』を作っておく

こんなサイトがありました。ご参考までに

人生80年といっても、この年になると、その80歳までに何があるかわかりませんし
自分の寿命もわからないし、明日のことももちろんわかりません。

「あいつもたまにはいいこと言うなあ」夫の言葉です。

私たちのことを考えてくれた家族会議だったのね。

こういう会議なら何度でもお願いしますよ。

兄の死で自分の老い先を考える羽目になったこのタイミングでのこの話
しっかり受け止めなければいけません。

「その時はよろしくね」ってお任せしてはいけないでしょうか?お嬢さん
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Yちゃん、さよなら

2012-02-03 | 家族
皆さまから温かいコメントをたくさんいただきました。
感謝でいっぱいです。

ありがとうございました。

一昨日の通夜、昨日の葬儀と、滞りなく無事終わりました。

兄の自宅を訪れたのは何十年ぶりでしょう。

ずっと昔、姪たちが幼いころ建てたばかりの家に行って以来

その後、子供たちは独立し、家庭を持ち、それぞれが親になり
そんな長い年月ご無沙汰してしまいました。

兄が最初に脳梗塞で倒れたのは平成14年と言ってましたから、ちょうど10年前
その日、偶然にも、前日高校の同級会で実家に泊まっていた私は、慌てて病院に駆け付けたことを
覚えています。

その時は、それほど重篤な感じではなかったので、安心して、
その後、1度見舞いに行きましたが、まったくおかしな様子もなく
後遺症の話もしっかり自分でできてましたし、

これからも病気と付き合っていかなければならないものの、それほど心配することもないだろうと
胸のつかえがとれたような安堵感で病室を出たことを思い出します。

しかし、それからしばらくして、さまざまな症状が出始め

約1年後、大阪に入院していた私を見舞いに姉や義姉達と来てくれた時には
あら?っという感じに

心配はしていたのですがその後どんどん病状は悪化していきました。

10年の闘病生活は本人はもとより、家族にも大きな負担は当然のこと

義姉も自分一人ではとても支えきれないと、長男家族と住むために2世帯住宅に建て替えて
共に支えてきたのですが・・・

4年ほど前から口からいっさい食べられなくなり、胃ろうに移行し、去年の夏前からは点滴のみで
生かされているという感じでした。

兄は日当たりのいい居間に寝かされていました。

会ったらなんて言おうといろいろ考えてましたが

「ごめんね」の一言で涙になり何も言えませんでした

義姉にもご無沙汰のお詫びをして、兄の横顔を見ると、こんなにも、と思うほど亡き母にそっくり
生前はこんなに似ているとは思わなかったのですが

好奇心旺盛なところまでそっくりだったね

「誰が最初に来るかと思ったらあなただったの」って母が向こうで言ってるようで

お互い趣味の話で盛り上がるかもしれません。

なにより救われたのは、義姉が「お父さんの分までこれからは楽しむから」と前向きでいてくれたことです。

冷たいと感じる人もいるかもしれないけど、永年、寝たきりで、なんの反応がなくても
週2回は会いに行っていたと言う義姉、

友人たちからの旅行の誘いも、息子に勧められても行く気にならなかったという義姉を
だれが責められるでしょう。

兄も辛かったけど、元気になんでもできる義姉だっていろんなことを我慢してきたのです。

去年の母の法事の時、胃ろうから点滴になって、もう長くはないかもしれないけど
せめて70歳は迎えさせてやりたいと気丈に話していた義姉でした。

兄の誕生日は12月、義姉の願いどおりなんとか70歳を迎えることができました。

私がいる間に、義姉のお友達が弔問にいらっしゃいました。

<私なんかより、この方の方がずっと義姉の苦しみも辛さもわかっているんだろうな>

遠くの親戚より近くの他人とは、よく言ったものです。

義姉には気の合うお友達が大勢いるみたいなので安心しました。

家族も大事だけど、こうなってみると友人の存在はとても大事です。

葬儀も終わって別れ際、

「これから疲れが出てくるからゆっくり休んでね」と言う私に

「ありがとう、しずんでたってお父さんが帰ってくるわけじゃないし、元気でいたほうが喜んでくれるはずだから大丈夫よ」
という言葉が返ってきて安心しましたが

旦那様を亡くした人から聞くのは、一人になって、本当にいなくなってしまったんだと思うと
さびしくてたまらなくなるって

そんな思いを繰り返しながら女性は逞しく生きて行くんだな、と思います。

私たち6人兄弟は5人になってしまいました。

長女の姉は間もなく79歳、長兄は77歳、二人ともまだまだ元気ですが
姉が「次は順番でね、私だから」なんて言うのを聞くと

これから何度見送ることになるのか、いや順番なんて関係ないのだから見送ってもらうかもしれないし

自分たちが老いて行く言うことを改めて考えさせられた兄の死でした。

友人代表の方の弔辞にもありましたが、好奇心旺盛な、好きなことにはとことんはまりこんだ兄

ひつぎにはお気に入りの洋服、所属していた海洋クラブの会員帽子、
自分の手で何年か、かかって作り上げたログハウスの写真、そして4人の孫たちからの手紙等々

最後の10年は無念の時期だったろうけど、これだけのものを残して旅立って行きました。

これからも夫として父として、祖父として家族を見守ってあげてね。

Yちゃんさよなら  お疲れさまでした



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