今回の旅の最大テーマである「原(はる)の辻遺跡と一支国博物館」を尋ねました。
日本の成り立ちの古代史に興味を持っている私は、古代文明の通路にある「壱岐、対馬」訪れたいと思っていました。
今回は考古学的に発掘調査され、移籍を復元してある、「原の辻遺跡」と、その成果が展示されている「一支国博物館」を見学しました。
場所は島の南東の平野の中央にあります。
原の辻遺跡は弥生時代を通じて一支国の国邑(国都)として栄えた場所で「魏志人伝」にもその様子が書かれています。
「…至一支国 ・・・ 方可三百里 多竹木叢林 有三千許 差有田地 耕田猶不足食 亦南北糴 ・・・」と倭人伝に紹介されています。
私なりに意味を書くと「・・・壱岐国に至る。島は方三百里の大きさで、竹木や叢林が多く、家は三千軒くらいある。田地は少しあるが、自給するにしては足りないので、船で交易している。」とある。
前から、本で読んで頭に入っている場所なので、実際にその場所に立つと感慨深い。
遺跡の中の祭りの場所にある古代の鳥居。
田畑越しに見る、遺跡の外観と遠くに見える博物館の展望台。
博物館のパンフレット。
博物館に展示されていた弥生時代の九州や、対馬との交易に使った船。
原の辻遺跡を再現したジオラマが素晴らしく良い出来で展示されていました。
写真中央の遺跡が平野の中心の少し高くなっている丘にあることが分かる。周囲は田が耕作されている。
弥生時代に交易のために、湾から川を船で遡って、川と遺跡が近い処に船着き場の跡が、写真の中央左の青いブルーシートの場所である。
海から、川をさかのぼる順路とその位置関係が展望台から、すべて見ることができた。
現地に立って良かったのは、博物館の展望台から島のかなりの部分が見渡せて、弥生時代の生活の状態と魏志倭人伝の記載内容が想像できたことです。