・・・新聞に月一度、95歳の瀬戸内寂聴さんが、朝日新聞に「残された日々」と云うエッセイを書いておられる、また、同じ朝日新聞の土曜日の特集版に過日亡くなられた日野原重明さんが「105歳、私の証し あるがまま行く」と云うエッセイが今も生前書かれたエッセイが掲載されている。
両方とも、楽しみにして読んでいる。
どちらも高齢になってからもエネルギッシュに仕事をしておられる。
読んでいて、私に感じるところがあるとしたら、それは、「彼らが一生懸命に生きておられる」からだと思う。
人間は敏感なものだから、ある程度以上に、自分の考えていること、心の動きと同じ文章に、出会うと、読者がひきつけられるのは、読む者に、共感や感銘を与えるからであり、それなりの気持ちが伝わらないとそれは感じないと思う。
瀬戸内寂聴さんのエッセイでは、今までの彼女が今まであった人々との交流が多く書かれている、従って、その文章には魂のふれあいの跡が書かれているので、如何に、頑張って、95歳の今も生きておられるか、よく理解出来る。
私が瀬戸内寂聴さんのエッセイを読むのは、彼女の生き方から、以下に頑張って一生懸命生きてきたか、共感や感銘を受けるからで、私の生き方に、元気を貰える。