暴動と捉えるか正当な行為と捉えるかは問題だが,オズマはタイ国民のパワーに感動する ああ,熱い情熱があるのだと。
また,4/10金曜日『朝日新聞』夕刊には,東大全共闘時代のリーダー・山本義隆氏がついに出ていた。いままで,本当に長い期間沈黙を守ってきた男がとにもかくにも取材に応じたのだろう。最首悟(さいしゅ・さとる)氏もたしか全共闘には関わっていたはずであるが,こちらの方は出ていなかったのが残念ではあったが。
さて,オズマは全共闘時代に産まれた。だからなのかもしれないが,幼少時より反体制的な考えをもっていたようだ。小学校ではずいぶん問題児扱いもされたらしい(実はあまり記憶がないが,とにかくまあいろいろあったらしい)。中学校では警察のお世話になったりもした。
だが,いまあらためて思う。いま日本のパワーが足りないのは,若者の「反体制力」によるものもあるのではないかと。もちろん全部ではないと思う。
しかし,あまりにも迎合し過ぎているように感ずるのだ。新しい職場では20代の社員と籍を同じくすることになったが,オズマの20代のパワーは,何しろ「見えないスイング」が続けられたぐらいであるから相当なものだったらしい。それと比較するのもおかしいのだが,何か物足りないのだ。それは,若さゆえの暴走というところだろうか。
もちろん社会情勢がこの20年で大きく変化したこともある。非正規雇用が1/3を占めるようになってしまった現在では,反体制になるとますます働けないのでは,という思いもあるだろう。
だが,現体制=与党政権こそが,この不当な雇用情勢を作り出したともいえるのではないか
また,20代の投票率の低さも問題である。「子羊」を養殖し,飼いならされてしまったことに気づかないでいると,実は政府に搾取されているのだ。オズマももちろん搾取されているが,あきらめてはいない。だからあきらめないでほしい。少なくとも選挙権行使をすることまでも。
銚子では,市長がリコール対象になった。同時に,銚子市民病院では独自に医師・看護婦の募集も始めている。最低限の医療を「公」は支えなくてはいけない。そういうごくあたりまえのことが,ようやく日本でも起こりつつある。
とにもかくにも,自分ができる最低限の選挙権行使だけは失わないこと。それがオズマの願いである。反体制を貫くのはその1票でもできるのだ。そしてそれが政治を変えることもできる。
まずは銚子の行く末を見守りたい。