とにかくこのゲームにははまった。
55万点,2周(4面×2周,とちょっと)が自己最高記録だったと思う。
とにかく腕が痛くなるゲームだったが,汗をかけるゲームというのはこれだったな。
写真は,オズマが18歳当時すでに「ドリキン」といわれていた土屋圭一の『AE86クラブ』復刻版DVDである。断捨離を実行したときに,つい中古で購入してしまった。10年前にさんざん見たのに。500円だったからいいか。
さて。オズマは合宿免許で免許をとった。あれは大学1年の春休みである。
準備は小学生から始まっていた,とさえ思う。オズマの父運転するMT車のシフトレバーに手をあて,父に動かしてもらう。それだけで,なにかこうクルマを操作している楽しさがあった。また,高校生のとき,たまにバスで通学するときも,運転手の手足の動きを見て,「うむ,あれが半クラッチか」などと,手足の動きを真似しながらバスに乗っていた。
だが,本当の準備に必要だったのは,やはりお金であった。当時でも20万円はかかったのである。合宿ならまず延長はない,という判断から決めた。姉が通いながら何ヶ月もかかったものが2週間でとれる。ならば20万円は安いと思った。
バイトから始まった。ひたすらに働いたつもりだったが,溜まったのは13万円ほどだったと思う。ほかは一文無しだ。困った。困ったが,若者の特権「親から借金」で残額を調整した。
教習そのものは,よくいわれる「坂道発進」も「クランク」も「バック」も,どういうわけかうまく行った。仮免は100点で合格し,その証書もある。本免試験も問題なく,東京・東陽町の試験場でもあっというまに合格である。4/6のことだ。大学2年がバラ色に見えた。
だが,実際東京を走ってみると,あまりにも田舎と違った。誰も譲ってはくれない。高速道路は「流れ」にのらないと動けない。何より,最初の数年間,半年に一度はバックやらなにやらで壁やガードレールに擦りまくった。
そんなときでも,ずっと頭から離れなかったのが,当時すでに伝説化していたハチロクである。部活の先輩のレビン1600GTのカッコヨサにしびれた。それからである。とくに「1600GT」という言葉の響きが自分にとってかけがえのないものとなったのは。
それにしても。当時教官から言われたことが印象的だ。
「オズマ君は,技術はともかく,性格が運転に向いてないかも。気を付けろよ。」
その言葉を噛み締めるのは,EF9-VTECに乗ってからだった.....。クルマの性格は隠れた人格を浮き上がらせる.....。