高校生が男女で制服交換 「らしさ」見つめる試み 山梨(朝日新聞) - goo ニュース
僕が高校生になった頃から,男子の詰め襟,女子のセーラー服というスタイルは一般的でなくなってきた。1980年代中盤である。
僕の高校ではそもそも,当時珍しく制服がなく「標準服」なるもの程度であった。しかし,そのブレザーがこれまたかっこ悪く,僕は詰め襟を好んで着ていた。なにしろ,真夏以外は考えなくてもいいからね。
その一方,女子はセーラー服に憧れている子も多く,市販のセーラー服を買ってきていろいろ着ている子が居た。たしかに制服がないのでそれでいいのである。夏服のセーラー服軍団がどのクラスにも居たなあ。
と,先進的だったというか革新的だったというか,当時としてはかなり変わり種の高校に居た自分にとっては,この記事を読んで「ホンマかいな」と思ってしまった。
そもそも,全校生徒のうち半数しか参加していない。ということは半数は制服交換そのものに実は否定的だったろう。思春期の生徒の本音としては,「男子の着たのなんて,イヤ
」「アタシの着られるなんて,イヤ
」なんてことはあったのではないだろうか
残りの半数の生徒は,たぶん普段から異性の友人が普通にいて「やってみようか」「うん
」みたいな軽いノリだったのだろう。
また,写真を見て違和感を感じないのは,女子・男子の制服の違いが,「スカート(キュロット?)」「ズボン」 くらいの差であり,「セーラー服と詰め襟」のような,劇的に違うものではないからだろう。
そう,やはりもっと制服が極端に「らしさ」を求めたスタイルである,詰め襟やセーラー服などでないと,「果たして効果は」と考えてしまうのだ。
とはいっても,参加した生徒にとっては,女子にとっても男子にとっても面白いものではあったろう。
それにしても,ここまでしないと「らしさ」を感じることができないとかイチイチ考えるのは,大人の余計なお世話だとも思う。いやでも実社会にでたら「らしさ」がついてまわる。「20代らしく」「管理職らしく」などなど,キリがない。
そういえば,僕の高校はどうなっているのだろう 潰れてはいないようだが,なにしろ教育実習以来,四半世紀近く行っていないヨ
。