震災関連といえば,僕のなかでショックだったのが,ご覧の潮来・日の出地区の惨状。
これは,2011/04/11,ちょうど震災から一ヶ月が経過したときのものだ。
恐ろしいことに,この周辺の復興は遅れに遅れている。少なくとも2015年のうちにはとても元に戻るような状態ではなかった。道が波打ち,住人は激減。
震災の一番の恐怖は,やはり原発事故。原発事故があったから帰還できない。津波も恐怖だが,後遺症では比較にならないと思っている。
それを端的に表すように,原発稼働の差し止め請求が認められる事態が続いている。
なお,震災当時の自分では,会社が一番の被害を受けた。本棚はすべて総崩れ。PCは吹き飛んで行った。幸いけが人がでなかったというほどに崩れた。
帰宅できず,会社で一晩明かして朝5時の地下鉄に乗ったことを覚えている。そして,いまの携帯に買い換えて,ネット接続。3/12は実は東京の機能がマヒしていなかった。電車も普通に動いていて,都心との往復もできたし。
ところが,3/13午後から「計画停電」の話が出てきた。実際に,23区とそれ以外で差がつけられた。そのときに「差別だ」とお門違いの発言をする人もいたが,23区の高い税金を知らないのだろう。
そして3/14の月曜日からしばらく大混乱。
大洗のフェリーターミナル,九十九里浜での津波,本当に,ついこの前まで行っていた場所が恐ろしいことになっていたと震えた。
被災地は東北だけではないと思い,結局自分としては義援金を振り込んだり,水郷での買い物が多くなった。
しかし,義援金については,正しく使われたのかはまったく不明。あれだったら,潮来市に直接寄付してもよかった。
そして,この震災をきっかけに,嘉襟之川の探索も始まった。
5年。40代前半だった自分が居た。いまは後半だ。
5年。幼児が年長さんになるころだ。
5年。クルマなら2回めの車検だ。
5年。あれからヘラクレスを使うようになった。
いろいろな5年が経過したが,いまだに震災対応ラジオだけはいつも持っている。携帯でもTVやラジオが聴取できるが,やはり使いたくない機能である。
昼食に野菜を,いや,毎日野菜を食べたいのに,外食はなかなか徹底できない。野菜炒め定食もバリエーションがない。
そこで,のぼりが出ていたので,吉野家でベジカレーを注文。以前は,ベジ牛とベジ丼を食べてみたが,好みではなかったが果たしてどうか。
果たして,味は,カレーがごまかしているのか,それなりに食べられた。カロリーも600チョイなので許容範囲である。
割引券をもらったので,今度はベジ丼に挑戦だ。前回はこれが口に合わずに,その後吉野家から遠くなった。
なお,牛丼は「ツユ抜き」で食べると,それだけでも糖質制限ができる。
「糖質制限は危険だ」という声もよく聞くが,僕のは「多く摂らない」ことだけ。たとえば,食後のデザートなどは絶対に拒否。家庭環境がわるくなるが,絶対に拒否。どんなに女性が薦めてきても「いやあ,いまはちょっと」とごまかすに限る。僕は,薬師如来に誓ったとは言わなかったけど,誓っていたしね。
しっかり覚えているが,いまの体型になったのは2013年3月ぐらい。それまでは,いまより10キロ以上太っていた。お腹も出ていた。
しかし,日焼けによるシミがしっかり残っている。
まあ,皮膚がんなんてものにかかるかもしれないが,釣りのし過ぎでなったという話を聞かないし,罹患率もかなり低いようだ。
あ,そういうまれな病気に結構かかっているんだよな。気をつけよう。
最後に,痛み止めは「飲んではいけない」だ。飲むと麻痺して,神経もろともボロボロになりますからね。