オズマの部屋 -バス釣り・政治経済・クルマ等-

「バス釣り日記」が主題。色々な話題を中年オヤジが持論で展開。「真実は孤独なり」を痛感する日々。

【合宿免許の思い出】1988年春,山形・鶴岡でとったんだ。

2016年03月04日 00時00分23秒 | オズマのクルマよもやま話

 ふと思い出した。RS-Zさんの息子さんが合宿免許に行かれているという話がきっかけで。

 自分の時代は「免許は男の必須アイテム」なので,なんとしても取らないといけない。

 部活は,ご存知「釣り研究会」だから,クルマよりも運転が必須 先輩が疲れたら運転交代なんですよ,それもずっと終わりのない渋滞

 まずは資金確保のためにアルバイト。学生になってからバイトを始めたが,なんとか溜まったのが13万弱。残りは,「親の家業手伝い必須」で補助してもらった

 2週間で「絶対に取れる」というのが魅力的だった。僕の前に,姉が通いで免許取得していたが,とにかく長い。3ヶ月は通っていたような気がする。おまけに延長料金までとられていた。

 3月中旬から山形の鶴岡自動車学園に合宿免許が決まったら,あとはもう,まさに合宿。毎日,メンバーと「実技と学科」の復習をしたし,実技では「友達の後ろに乗せてもらう」ことをしたっけ。

 宿は温泉だったが,なにしろ,費用が交通費まで込みで20万ポッキリだったから,日本海の幸なんぞ食べた記憶がない。野菜不足になって,リンゴを丸かじりしていた記憶はあるが。

 最初の1週間が,「午前は学科,午後は実技」でクタクタ。自分は,映像授業ではほぼ寝ていたような記憶が...。まあ,満点で仮免クリアしましたけどね。

 実技では,実は何も苦労しなかった。何度も書いているが,子供の頃からのイメージトレーニングで,坂道発進もクランクも余裕。

 でも,東京に戻ると,怖い。果てしなく怖い

 結局,最初のクルマは2年でボコボコ。壁にこすったり,後ろの壁にぶつかったり,ホント,最初の2年で苦労した。

 まあ,そのおかげで,クルマをこすったりすることはなくなったが,免許の色はいまだに青...

 なお,写真は,2013年8月に再訪した際のもの。そのときで25年の歳月が経過していた。まさかマイカーで行くとは,思いもせなんだよ...。帰宅に6時間だったのも鮮明だ。