「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

沖縄県南城市玉城   「 尚 布里 ( しょうふり ) 王子の墓 」

2013-04-03 06:54:20 | 沖縄の王墓、按司墓、拝所



「 尚 布里の墓 」










動画と写真は、南城市玉城地区にある琉球を統一した尚巴志の六男の尚布里の墓である。

1453年、尚 金福王が亡くなり、世子の尚 志魯 ( しょう しろ ) が王位を継ごうとした。
その時、江洲グスクから尚 金福王の弟・尚 布里が駆けつけて来て、王位承継争いになった。
やがて首里城内は敵味方に分かれて斬り合いとなった。
この争いで 「 倉庫が焼け、明皇帝からの王印が焼失し、両人は戦死した 」 と、
『 中山世鑑 』 や 『 球陽 』 には書かれているが、尚 布里は城外に逃れたといわれている。
その子孫の上江洲門中に位牌があり、位牌の底には大里 ( 越来 ) ・富名腰・伊平屋・志堅原など、
逃走経路が記されてあったという。
また、越来間切大里村の登川親雲上の娘・真佳度金 ( まかとがに ) を妻にしたといわれている。

同門中では、1963年に墓を調査し、甕の蓋に天順八年(1464年)58歳と書かれてあるという。
死亡年齢から推し量ると、王位争いの時は47歳で、この年に真佳度金と結婚したのか、
それ以前なのか、それとも真佳度金は後妻なのか判然としないが、
尚 布里は王位につくことなく58歳で亡くなり妻とともに今もここで眠っている。


所在地 : 南城市玉城當山


想い出の馬  「 メイショウアヤメ 」

2013-04-03 06:52:49 | 競馬・ボート



2000.8.20 小倉日経オープン





阪神フィリーズレビューを勝ったメイショウマンボ。
その祖母のメイショウアヤメは、
彼女自身も桜花賞トライアルを2着して本番の桜花賞へコマを進めた。
その孫が同じく桜花賞への道を進む。
クロフネサプライズやローヴディサージュなど相手は強力になるが、
アヤメの血を受け継いだメイショウマンボを応援したい。





大分県院内の石橋 14 「 永原橋 」

2013-04-03 06:48:16 | 大分の石橋

























































所在地 /  大分県宇佐市院内町高並 ・ 高並川
架橋  /  大正10年
石工  /  不明
長さ   /  24.4m     幅   /  3.6m
拱矢  /   4.5m     径間  / 11.6m
環厚  /   40㎝   
単一アーチ


永原橋は、県道円座中津線沿いを流れる高波川に架かる町道の橋である。
四角に切られた輪石とは対照的に自然の栗石を積み重ねた壁石が印象的であった。
橋台はシッカリと土手の基礎部分から築かれており、川の水圧にも耐えうる造りになっている。
川幅や高さ、そしてアーチの形などを見ると、全体的にバランスの取れた形のいい石橋である。

永原橋へのアクセス
永原橋へは、打上橋から県道を鹿嵐山方面に向かって約1.5キロほど行った
県道の左側に架かっている。
駐車は、橋の近くの道路の広くなった場所に駐車した。