「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

沖縄県宮古島市   「 赤名宮 ( あかなぐう ) 」

2013-04-21 06:31:25 | 沖縄の王墓、按司墓、拝所







この御嶽の御祭神は御栄加主 ( うえかぬす ) と称し、
公的な事業・官職栄達の道を司り、成就隆盛隆昌の途を拓き給う霊感あらたかな神様である。

子方母天太神が養育した12方の神々は、それぞれの方角の神になったよいう神話伝説。
池間島の大主御嶽に祭られ人命を守り給う尊い神様を初めとし、
赤崎御嶽 ( 大世の主 ) は農耕万穀を掌り給い、
平良の阿津真間御嶽 ( 蒲戸金主 ) は総ての人事諸事の記帳を掌り、
西里添のピマル御嶽 ( 美真瑠主 ) 産児出産を掌る兄弟の神々であるが、
その他の神様は詳かでないと宮古史伝に記してある。

現在の神殿は1965年5月20日改築、さらに鳥居と他一部が昭和61年に改築され、
宮古島の住民より厚く信仰されている。


所在地 : 宮古島市下地町上地




北九州市戸畑区 ・ 国指定重要文化財 『 旧松本家住宅・日本館 』

2013-04-21 06:28:27 | 近代化産業遺産・土木遺産



旧松本家住宅・日本館








一階中央書院

中央書院は数寄屋造風の八帖二間の座敷になっている







中央書院の西側にある四帖半の茶室。
欄間は相原雲楽作の雪月花の取り合わせ







一階中央書院横の廊下と庭







一階大座敷( 奥 )







お茶会が行なわれていた一階大座敷 ( 手前 )







一階大座敷の前にある内庭

大座敷の縁前の大きな沓脱石と伽藍石 ( 寺院の柱を据えるための礎石 ) と、
手水鉢を配した当時流行りの造園になっている。






二階東側にある座敷






二階東側にある座敷廊下






二階東側の座敷廊下の電灯






二階の座敷に置かれた火鉢






二階南側にある座敷から見た洋館のステンドグラス
















前回は旧松本家住宅の夜間特別訪問で洋館を紹介したが、
今回は春の特別公開で日本館に行って来たので日本館を紹介したい。


旧松本家住宅の日本館は、最初は平屋建てであったが、
大正10年ごろに一部2階建てに増築されたものである。
渡り廊下で洋館とつながる、明治時代の貴紳住宅の典型的な構成になっている。

旧松本家住宅 ( きゅうまつもとけじゅうたく ) は、
日本の実業家で 「 明治専門学校 ( 現九州工業大学 ) 」 の創設者の1人、
松本健次郎がかつて暮らしていた洋館・日本館各1棟および蔵2棟から成る建造物である。
北九州市戸畑区に位置する。
洋館と日本館は1972年 ( 昭和47年 ) 、蔵2棟は1982年 ( 昭和57年 ) に、
それぞれ国の重要文化財に指定された。

洋館・日本館ともに木造の二階建てで、廊下で繋がっている。
洋館の設計は明治の建築家辰野金吾の事務所によるもので、
アール・ヌーボー様式のデザインで美しい曲線が目立つ。
一方、日本館は洋館の建築監督であった久保田小三郎が設計しており、
洋館とは対照的に純和風な雰囲気を湛えた数寄屋造りの建築となっている。




多良川 【 宮古島まもる君 】

2013-04-21 06:25:26 | 泡盛 ・ 焼酎 ・ 酒



宮古島まもる君の中には「多良川」が入っている







那覇の泊高橋にある 「 多良川 」の那覇支店







宮古島の砂川にある 「 多良川 」 本社




3月は体調が悪くてしばらくアルコールを控えていたが、
それでも最後まで残っていた 「 宮古島まもる君 」 のカラダの中に入っていた多良川を飲んで、
1月に沖縄から送った泡盛13本が全てカラになった。

「 多良川 」 の名前は、仕込み水として使用している伏流水 「 タラガー 」 に由来する泡盛である。
沖縄県の美しき島 「 宮古島 」 にて、昭和23年の創業以来伝統の手技にこだわり、
今も変わることなく古酒への想いを紡いでいる酒造り一筋の 『 多良川 』 である。
「琉球王朝」「ちゅらら」「多良川ブラウン」を始め、
香りと味、コクとキレにこだわった様々な泡盛を製造している。