「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

「 2週間で6キロ痩せたダイエット 」

2013-04-12 09:30:46 | 日記 ・ イベント







先月の28日に血圧と血糖値が高くて病院に行って2週間目の昨日再び検査のため病院に行って来た。
血圧は降圧剤を飲まなくても正常に戻った。
そして総合的に体重を落とした方がいい。ということでダイエットに取り組んで2週間で6キロ痩せた。
血糖値を下げる意味でも効果があったようで、数値は許容範囲の上限ギリギリまで落ちていた。

ダイエット・・・今から6年ほど前にもダイエットを行なったことがある。
そのときは、2ヵ月半で14キロ痩せた。
その体重を3年間ほど維持していたが、気の緩みと食欲に負けて3年間で再び元の体重に戻ってしまった。
「 これじゃイカん! 」 って思いながらも、なかなかダイエットに踏み切れず、
だらだらと過ごしていたが、今回の体調不良で “ やる気 ” に火が点いた。
ダイエットの一番は、 “ やる気の問題 ” である。
一度ダイエットに成功しているから、そのマニュアルはちゃんと解っている。

先ずは食事の量と食べる順番から変えて行く。
食べる量を徐々に減らす。「 ひもじい 」 と思う気持ちも3日我慢すれば慣れるものである。
食材はレタスやキャベツなどのサラダ野菜中心で、食べる順番もヨーグルトや野菜から食べ始める。
そして、肉や魚は食べても、米、パン、麺類などの炭水化物を一切摂らないようにする。

ダイエットは、食べる量を徐々に減らして運動量を徐々に増やして行く反比例方式で行なう。
食べる量も運動量も、極端に変えるとカラダに異常をきたすので、徐々に移行して行くことが大事である。
そして、何よりカラダに異変を感じたら、即中止することである。
しばらく様子を見て大丈夫だと思ったら、徐々に開始すればいい。
夜の食事のボリュームを落とし、そのぶん朝食をしっかり摂る。
仮眠にしても睡眠にしても、その2時間以内は食べないことである。

運動はジョギング、またはウォーキングなど30分以上の運動で脂肪が燃焼するので、
出来れば30分以上の運動をお薦めしたい。同じ運動するのでもそちらの方が効果的である。
最初は、しっぽりと汗をかく程度の有酸素運動がいいと思う。

さらに入浴もシャワーにせず、風呂に入ったり出たりを繰り返し、
約40分かけて入浴すると、湯船からの熱気がサウナ効果になり、ここでも体重を落とせる。
とにかく利用できるものはお金をかけずに有効利用するべきである。

そして、その効果をエクセルなどで毎日の体重を記入することで、その変化が分かり、
日に日に落ちて行く体重の変化に喜びを覚えるものである。
こうなれば、しめたものである。
しかし、途中で停滞して体重が減らない時期が来るが、その時は焦らず地道に続けていると、
ある日突然にドーンと体重が減りだすものである。

そして重要なのは、 「 自分の体質を知る 」 ことである。
コッテリした油物を食べると太る体質か、それとも甘い物を食べると太る体質かを知ることである。
それを控えるだけでも効果があると思われる。
ダイエットは、あくまで自分の体調と相談しながら無理をし過ぎないことであるが、
要は、どれだけ痩せたいかと思う強い気持ちを維持させるかどうかである。

これからの個人的な目標であるが、一日100グラム。
10日で1キロ。1ヵ月3キロを目標に、出来れば3ヵ月で8キロくらい落としたいと思っている。
その目標が大きければ、それなりのあれも食べたいこれも食べたい、飲みたいという
欲望を除去しなければ、そう容易く達成出来るものではないと思っている。
まぁ、そんな欲望を起こさせないために熱中できる趣味を探さなければならないかな。



沖縄県宮古島市 ・ 平良綾道 ( ピサラアヤンツ ) 「 住屋遺跡 ( 俗称 ・ 尻間 ) 」

2013-04-12 06:55:05 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡




















平良は ( ピサラ ) と称し、人の住むにふさわしい地。
綾道 ( アヤンツ ) は 「 美しい道 」 の意味で、それぞれ宮古コトバである。
平良五箇 ( ピサラグカ ) は、旧藩時代の間切りで、
西里、下里、荷川取、東仲宗根、西仲宗根の五村のことである。
今まで宮古島市平良を中心に巡った 「 平良綾道 」 も今回で最後となった。
次回から宮古島の拝所などを紹介して行きたいと思っている。


住屋遺跡 ( すみやーいせき ) は、概ね15~17世紀初期頃の集落跡である。
昭和57年1~2月、5~6月の2回にわたる発掘調査の結果、
15世紀頃と推定される竪穴住居址1基と
16~17世紀初期と推定される平地住居址・石敷住居址・
「円形状建物跡」・竪穴炉址・溜井戸等の遺構が検出。
遺物では、土器片、石器(石錘、たたき石)貝製品(貝錘、貝さじ)、
鉄製品(刀子、短刀、くぎ)、古銭(熙寧元宝、無文銭)、
ガラス玉、炭化麦・米、獣魚骨、貝殻等が出土している。

このように同一遺跡で竪穴―平地―石敷住居址と、
年代差を明瞭に示した遺構等が検出されるのは稀であり、
当時の人々の生活様式や住居形態の変遷を知る上で重要な遺跡である。
この地は1629年に在番仮屋が設けられた場所でもある。
在番とは島役人の指導・監督のため中山王府が派遣した役人のことで、
ふつう2年交替で在勤、その滞在中の宿舎を在番仮屋と称していた。
1879(明治12)年3月の廃藩置県直後には警視派出所が設けられて県政がスタートしたがその後、
宮古島役所が開設されるにともなって、役所長官舎、支庁長官舎、宮古民政府知事公舎、
宮古群島政府知事公舎、琉球政府宮古地方長公舎として重用されてきた。
上記のように当史跡は15~17世紀初期の集落遺跡として、
また、旧藩時代から近代に至る政治の中心として、
直接民衆にかかわる諸制度の変遷を知る上でも重要な史跡である。


所在地 : 宮古島市平良 東仲宗根



長崎県南島原市  「 沖ノ瀬灯標 」

2013-04-12 06:53:25 | 長崎の灯台













所在地 / 長崎県南島原市南有馬町地先 ( 沖ノ瀬 )
塗色  / 黒地に赤横帯一本塗り
頭標  / 黒色球形頭標2個 ( 縦掲 ) 付
構造  / 塔形   
構造材質 / コンクリート造
灯質  / 群閃白光 毎5秒に2閃光
実効光度  / 実効光度 560カンデラ  
光達距離 /  8.0海里       
頂部までの高さ / 12.36m
平均水面から灯火まの高さ / 13.86m
現用灯器  / LD管制器Ⅱ型   電球 / D-1
設置、点灯および業務開始年月日 / S53.10.31



口之津から島原に向って走っていると、
有馬吉川あたりから右手に黒と赤の灯標が見えて来る。
それは気持ちが高まる瞬間でもある。