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「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

北九州市小倉北区 「 小倉日明防潮堤灯台 」

2014-11-14 04:56:41 | 福岡の灯台



薄暮時ながらわずかに赤灯が確認できる








長い防潮堤にフェンスが設置されている







高さ9.6mの防潮堤灯台







昭和57年から灯台と共に海を見続けているプレート







意外と小さい頂部の円座 ( カップ )







連成不動群閃赤光で毎12秒に3閃光の灯器







工事中のため扉が開いていたので許可を貰って撮影した







普段は閉じられたままのヒミツの扉のようなハッチ







太公望たちでごった返す 「 日明海峡釣り公園 」







防潮堤修理のために着けられた船







彦島行きのフェリー乗り場の先からの眺望







船上からの防潮堤灯台







日明泊地の向こうに皿倉山を望む







「 鉄の街 」 といわれた工場群と貨物船




















灯台表番号 / 5466
ふりがな / こくらひあがりぼうちょうていとうだい
標識名称 / 小倉日明防潮堤灯台
所在地 / 福岡県北九州市 関門港小倉区 ( 日明防潮堤外端 )
北緯 / 33-54-40 ( 39.7 )
東経 / 130-52-43 ( 42.9 )
塗色 / 赤色
灯質 / 連成不動群閃赤光 毎12秒に3閃光
光度 / 閃光1100 不動光85カンデラ
光達距離 / 閃光9.5 不動光5.0海里
地上~頂部の高さ / 9.56m
平均水面上~灯火の高さ / 11.19m 
地上~灯火の高さ / 9.1m
業務開始年月日 / 昭和57年1月19日
現用灯器 / H型点灯制御装置



小倉日明防潮堤灯台は日明西港と東港の入り込んだ湾の先に出た
釣り公園の橋の突端にある灯台で、撮影に来たこの日は平日だったにもかかわらず、
写真で見ても分かるように灯台までの欄干には太公望たちが鈴なりに釣り糸を垂れていた。
そんな釣りの恰好のポイントとなる灯台付近は潮の流れが速く、波も荒い。
風雨に耐える赤くて小さな灯台は、響灘や洞海湾を通る船や釣りを好む太公望たちに親しまれ、
航海はもちろん釣り人の目印にもなっている。


小倉日明防潮堤灯台へのアクセス
小倉日明防潮堤灯台へは、小倉駅裏の国道199号線を戸畑方面に進み、
日明⇔彦島行きフェリー乗り場方面に右折して
フェリー乗り場を過ぎて海岸に向かって行くと行き止まりになった場所に
「 日明海峡釣り公園 」 の駐車場がある。そこから右に約600mほど歩くと灯台に行き着く。
駐車は彦島行きのフェリー乗り場の先の 「 日明海峡釣り公園 」 の無料駐車場が利用できる。


福岡県上毛町 ・ 土豪尻高氏の居城 「 尻高 ( しだか ) 城 」

2014-11-14 04:55:41 | 歴史 ・ 墓 ・ 城 ( 本土 )



覚円寺の西にあった尻高城








城主・尻高五郎左衛門の幟







尻高城への上り口







尻高城があった山の遠望







円覚寺の看板




福岡県上毛町尻高にある覚円寺の西約100mのほどの所にある山の出鼻が城跡である。
石垣や城壁などの遺構は全く残っていない。
「 下毛郡宮永久恒文書 」 中、正平七年 ・ 観応三年 ( 1352年 ) 三月、
河依小太郎範房の軍忠状に、 「 安雲七郎、尻高次郎四郎、安崎孫三郎以下の敵は、
上毛郡尾形村に城を築き立て籠もったので、三月十日この城を攻め落とした 」 とある。

弘治二年 ( 1556年 ) 、大友義鎮が豊前に侵入した時、
これに属した者の中に尻高氏の名が見える。
一説には、尻高城主・津留弾正光盛 ( つるだんじょうみつもり ) という。
「 円覚寺伝 」 に、 「 当寺はもと本楽寺という禅寺であったが、
下毛郡津民村の城主・津留弾正光盛は、永正年中 ( 1504~21年 ) 、
野仲氏と戦い敗れて僧となり当寺を継いだが、
本願寺更如上人に従い名を祐西、寺号を円覚寺と改め、浄土真宗の寺とした 」 と伝えられている。



秋色コンチェルト 3

2014-11-14 04:53:41 | 朝の風景とその他の風景






色とりどりの葉が
互いを魅せて
その色を自慢する
黄金色のたわむれと
黄緑のハーモニー