


曳山の四番目に登場の呉服町の九半眼郎判官・源義経の兜は、
1844年(天保15)九月に石崎八右衛門・塗師牧山卯太郎らによって製作された。
曳山の幅は2.8㍍。高さ約6.1㍍。推定で1.6から1.8㌧の重量がある。
この曳山は、中町の青獅子から20年目、材木町の亀と浦島太郎から3年後に造られた。
日本人の判官びいきの思想から神輿の守護にあたる武将として、義経を選んだものと考えられる。
この曳山には他に誇れる町民の自慢がある。まず、兜の造りの忠実な精巧さであろう。
それは、兜の左右にかけている「シコロ」である。
兜の鉢にかけている「シコロ」は一枚一枚、古和紙を重ね合わせ、
一センチ以上に固くし、形を整え、麻布をはり、漆塗りを3・4回で仕上げ、
金箔を施したものであり、それを一枚ずつ麻紐で組み、
その上に赤・白・緑の羅紗布の威し(オドシ)で、配色よくかけ合わせて鉢にかけた、
大変手のこんだものである。
「シコロ」の数は、180数枚を要している。
また、頬あて(俗称面)の下にある咽喉輪(ノドワ)も同じくシコロ組みで仕上げている。
兜の正面にあり、威厳を示すものに龍頭(リュウズ)と鍬形(クワガタ)がある。
鍬形も二種類用意してあり、城下町巡行中の際には、
電柱、看板などの障害をさけるため、小形の鍬形をさし、
西の浜の御旅所では一回り大形の飾り鍬形にかえ、その偉容を誇る。
鍬形の左右にある吹返しは、木造りに布をはり、
漆塗りで仕上げ、据文(スエモン)は、唐津大明神に敬意を表し、三つ巴の紋にしてある。
兜の頂辺(テッペン)にある八幡座(ハチマンザ)には、穴がなく、人の出入りはできない。
八幡座の下の笠印付環(カサジルシツケカン)には、
正絹でできた総角(アゲマキ)の紐を結んで飾り、この兜の優雅さを一層高めている。
兜の製作選択には、当時町内に甲冑(カッチュウ)修理の具足屋があり、
兜に詳しく熱心であったため決定したものであろう。
因みに、具足屋利右ェ門の名が当時の記録にのこり、今に伝えている。
[参考・唐津くんち「ガイドブック」より]