■唐津くんち(五番曳山 鯛)
町名:魚屋町
製作年:弘化2(1845)年9月
総高:約6.7m
重さ:約1.6~1.8トン
製作担当者:不明
塗師:不明
1845年(弘化2)に鯛曳山ができた頃は、魚屋町はその名の通り魚屋が軒を並べていた。
この町名にちなんで、海の幸として日本人の珍重する鯛をお供えすることに決め、
鯛曳山を造り神輿に供奉したものと思われる。
ちなみに鯛の伝説を調べてみると、延喜式に平魚とあるがこれは鯛のことで、
肥前地方では「へいけ」、土佐では「うだい」その子を「へラボ」と呼ぶが、
これは平魚の転語であるという。鯛は古くからその名を知られており、
海幸彦の釣針をのんだため口をさかれたという神話があり、
口が大きいのはその名残りとされている。
紅鱗の美しさとその美味は最上のものとされ、
目出度いという語呂合わせから後世にはあらゆる祝いごとの食膳を飾るようになった。
この鯛と称する魚には、マダイ、キダイ、チダイがあり、
チダイは背ビレ十二棘八軟条、尻ビレ三棘八軟条を有し、縦一列の鱗数は60個であるという。
したがって唐津の漁師たちは、鯛曳山の鯛は棘の数が少ないのでマダイではないかと言っている。
だが、この単純で技巧の凝らしようがない魚を見事に造形したのには感嘆する。
肉付けを厚くして、前面からの眺めを良くしたばかりでなく、
胸ビレを開閉できるようにしたり、尾だけを後屈するようにして、
前後が交互に上下するよう仕組み、大手門や細い町並みの軒先をかわすように工夫されている。
鯛曳山の胴体は、粘土型に紙を張り、
ヒレと尾は木型に紙を張り漆を塗った一閑張りで仕上げられている。
曳山の幅は2.2㍍、高さ約6.7㍍。重さは推定で2.0㌧から2.5㌧ほどある。
昭和54年には、フランスのニースカーニバルに出演して好評を博した。