「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

福岡県福津市  ・  『 海辺の民俗学 』   石井 忠

2016-10-16 08:11:41 | 文学・文化・映画作品
















貝殻をはじめ、植物の種子、ガラス瓶、イルカの骨に亀の甲羅、
さらにヤシの実などと、海辺にはさまざまな物が流れ着いている。
宗像市福間町に住む石井 忠は、これら玄界灘沿岸の漂着物に興味を抱き、
その採集と研究を続けている。

『 海辺の民俗学 』 ( 平成四年 ・ 新潮社 ) では、
黒潮の出発点であるフィリピンや南方の島々をも巡り歩き、
玄界灘沿岸の漂着物と重ね合わせ、
さまざまな角度からの考察を試みている。

流れ寄ったヤシの実に、日本人の祖先の縄文人が、
この見知らぬ植物を不思議そうに眺めながら工夫して、
容器として使った暮らしを思い描き、
玄界灘沿岸で生きている化石といわれるオウムガイと出会った時は、
寒風の中で 「 拾った、拾った 」 と叫び、さらに海岸を探し続けた。


 「 私の住んでいる玄海沿岸は、・・・・・・突き出た岬や埼、
鼻といった岩礁部と長い砂浜の海岸線で、
それが交互に連なり玄界灘に突き出ていて、
丁度、 「 ひろげたパラソルのふち 」 のように見える。
そして沿岸は数千年の間に砂が堆積し、玄海砂丘と称される砂丘を形成している 」


作者が漂着物を求めて歩く海岸は、
志賀島から遠賀川河口西岸の芦屋まで56キロにおよぶ。
そのほぼ中間に当たる福間海岸は、
遠くからウインドサーフィンや海水浴を楽しみにやって来る。
また、津屋崎の漁港の波止は格好の釣り場として賑わっている。



海岸に打ち上がる漂着物を通して歴史や文化を読み解く漂着物学を確立し、
漂着物学会の初代会長を務めた石井 忠が、
今年5月30日に心不全のため死去した。78歳だった。

石井 忠は、昭和12年、福岡市生まれ。
昭和36年、国学院大学史学科を卒業後、高校で日本史の教鞭をとる。
漂着物との出会いは1968年、
娘と古賀の海岸を歩いていて娘が拾った貝殻がきっかけだった。
名前も分からず図鑑で調べるなどしているうちに漂着物に魅せられていった。
主な著書に 「 漂着物 ( よりもの ) の博物誌 」 「 漂着物辞典 」 などがある。



大分県大分市 ・ 大分風景 「 大友宗麟の像 」

2016-10-16 02:27:40 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣















大分市要町の大分駅前広場に建つ 「 大友宗麟の像 」 は、
富永直樹氏の1982年の作品である。
2015年の大分駅周辺整備事業で現在地に少し移転したものだが、
以前よりも台座が低くなり、親近感が増したようである。

大友宗麟こと義鎮 ( よししげ ) は、大友家の第21代当主である。
父の義鑑 ( よしあき ) の後を継いで豊後守護となり、
九州北部の六カ国支配した戦国大名である。

ちなみに宗麟はキリシタン大名としても知られ、
洗礼名をドン・フランシスコといった。



福岡県宗像市  「 神湊フェリーターミナルとフェリー乗り場 」

2016-10-16 01:57:24 | 船 ・ フェリー ・ 港



新しい桟橋








旧フェリーターミナル







神湊港







宗像大社 ( 辺津宮から中津宮へ神様を連れ運ぶ神輿 ) 












以前、筑前大島に灯台を撮影に行った時のものだが、
そのとき偶然にも神様とフェリーを共にする事になった。
神主さんらが厳かに神輿を担ぎフェリーに運んで降ろした横の壁に、
船員さんがボクの自転車を倒れないように繋いだ。

その時は、宗像大社の辺津宮の神様が中津宮へ行っているということなど全く知らず、
「 島の小さな祭りの神輿だろうな 」 と、気にも止めていなかったら、
なんと次の日、テレビで多くの船に囲まれて神様が帰って来た。
この時、その映像に自分のことのように感動したのを覚えている。

これから筑前大島まで十数回に分けて船旅と島旅、
そして灯台めぐりを気まぐれ紹介します。