貝殻をはじめ、植物の種子、ガラス瓶、イルカの骨に亀の甲羅、
さらにヤシの実などと、海辺にはさまざまな物が流れ着いている。
宗像市福間町に住む石井 忠は、これら玄界灘沿岸の漂着物に興味を抱き、
その採集と研究を続けている。
『 海辺の民俗学 』 ( 平成四年 ・ 新潮社 ) では、
黒潮の出発点であるフィリピンや南方の島々をも巡り歩き、
玄界灘沿岸の漂着物と重ね合わせ、
さまざまな角度からの考察を試みている。
流れ寄ったヤシの実に、日本人の祖先の縄文人が、
この見知らぬ植物を不思議そうに眺めながら工夫して、
容器として使った暮らしを思い描き、
玄界灘沿岸で生きている化石といわれるオウムガイと出会った時は、
寒風の中で 「 拾った、拾った 」 と叫び、さらに海岸を探し続けた。
「 私の住んでいる玄海沿岸は、・・・・・・突き出た岬や埼、
鼻といった岩礁部と長い砂浜の海岸線で、
それが交互に連なり玄界灘に突き出ていて、
丁度、 「 ひろげたパラソルのふち 」 のように見える。
そして沿岸は数千年の間に砂が堆積し、玄海砂丘と称される砂丘を形成している 」
作者が漂着物を求めて歩く海岸は、
志賀島から遠賀川河口西岸の芦屋まで56キロにおよぶ。
そのほぼ中間に当たる福間海岸は、
遠くからウインドサーフィンや海水浴を楽しみにやって来る。
また、津屋崎の漁港の波止は格好の釣り場として賑わっている。
海岸に打ち上がる漂着物を通して歴史や文化を読み解く漂着物学を確立し、
漂着物学会の初代会長を務めた石井 忠が、
今年5月30日に心不全のため死去した。78歳だった。
石井 忠は、昭和12年、福岡市生まれ。
昭和36年、国学院大学史学科を卒業後、高校で日本史の教鞭をとる。
漂着物との出会いは1968年、
娘と古賀の海岸を歩いていて娘が拾った貝殻がきっかけだった。
名前も分からず図鑑で調べるなどしているうちに漂着物に魅せられていった。
主な著書に 「 漂着物 ( よりもの ) の博物誌 」 「 漂着物辞典 」 などがある。