「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

熊本県山都町 ・ 響け肥後の鎚音 『 通潤橋 』

2016-10-30 11:20:50 | 熊本の石橋












































橋の手前にある 「 布田保之助の像 」




















いつも訪問している方のブログから情報を頂いた番組が、
今日、午後16:05からTNCで、
「 絆を通した種山石工・橋本勘五郎 」 というタイトルで、
熊本の男と家族の物語が放送される。
熊本の石橋を代表する通潤橋の架橋に尽力を注いだ石工棟梁橋本勘五郎である。

石橋の探訪を初めるきっかけとなったのが、
10年ほど前に上益城御船支所で手に取った一冊の小冊子からである。
石橋特集だったその冊子に沢山の夢が詰まっていた。

熊本には17年間暮らしていたが、
当時は強くなることばかり考えて、石橋には目もくれなかった。
だけど、10年ほど前に小冊子に出会ってから石橋の探訪が始まった。
競輪選手時代に街道練習でいろんな山道をめぐっていたので、
かなりの土地勘も加勢して、一日20基の石橋めぐりもそんなに大変ではなかった。

石橋の探訪を初めて間もないころ、
東陽村の石匠館の近くで 「 大久保自然石橋 」 の場所を訪ねた人が、
たまたま橋本勘五郎のひ孫のよしなりさんだった。
そして橋本さんの軽トラックで石橋まで連れて行ってもらったことがある。
その車内で石橋の話を聞いたことがあるが、
晩年は 「 いかに石に形を崩さずに石を組んでいくか 」 だったという。
橋本さんとは、石橋との縁を感じる出会いだった。



所在地 / 熊本県山都町長原 ・ 城原
架橋 / 嘉永7年 ( 1854年 )
石工 / 宇市 ・ 橋本勘五郎 ・ 甚平 ら総数41名
長さ / 77.5m
幅  /  6.65m  高さ / 21.59m
■ 国指定重要文化財  ( 九州遺産 )


通潤橋は上部に3本の水道管を通し、
逆サイフォンの原理を利用して高地の白糸大地に水を送る橋で、
矢部手永の惣庄屋の布田保之助 ( ふたやすのすけ ) が
水不足に悩む住民を救うために尽力し、架橋したものである。

現在も約100ヘクタール以上の水田を潤し続けている。
今も布田保之助にまつわる話が多く残っている。
なかでも雨桶から逆サイフォンの原理を思いついた話や、
橋に最初に水を通す際に白装束姿で短刀を懐に忍ばせていた話などは有名である。
橋を眺めているとこの架橋に関わった人々の熱い思いが伝わって来るようであった。


通潤橋へのアクセス
通潤橋へは、山都町(旧・矢部町)の中心街を右に200mほど入った所にある。
駐車場は無料で約160台可能である。


北九州市門司区  『 舟みえて霧も迫門 ( せと ) こすあらしかな 』 宗祇

2016-10-30 08:52:13 | 文学・文化・映画作品



和布刈の句塚付近から関門海峡を望む































宗祇は室町時代の代表的な連歌師である。
応仁元年 ( 1467年 ) 応仁の乱が起こり京都が騒然になると、
関東で乱を避け、漢詩と和歌、連歌を学んだ。
その後、連歌指導のため各地遍歴の旅をし、連歌を芸術的に高めた。
豊前、筑前を旅した時に綴った紀行文が 『 筑紫道記 』 である。

文明12年 ( 1480年 ) 周防国(山口県)の大名・大内政弘の招きで周防へ下った宗祇は、
さらにその庇護のもと周防を発ち、赤間関 ( 下関 ) に着く。
『 筑紫道記 』に 「 赤間関はやとものわたりにいたる。
潮のゆきかひ矢のごとくして、音に聞しにかはらず 」 ( 同9月9日 ) とある。

そして九州に入り、門司城主・門司氏の居館に泊まる。
9月11日、寺で連歌の会が催され、


  舟みえて霧も迫門 ( せと ) こすあらしかな 


と発句する。

難所の関門海峡を舟で渡るときの句であり、
霧模様のなか、激しく揺れる小舟で海峡を渡るさまがありありと伝わって来る。

関門海峡は、本州と九州を分ける海峡で、
東口の 「 早鞆の瀬戸 」 は幅約800mで最も狭く、
潮の流れが速い時は、時速約10ノットで流れることもある。
潮流は満潮時には、東の周防灘から海峡に入り、
干潮時には、西の響灘から東へと流れる。

和布刈神社は、関門橋門司側の橋桁の近くにあり、
航行安全のために神功皇后が創建したと言われている。
旧暦元旦の午前二時ごろに、神社下の海で神官が新若布を刈り取り、
神前に捧げる 「 和布刈神事 」 が1300年以上も続けられている。

そんな和布刈神社の横にある早鞆稲荷大明神横に、
関門海峡と源平合戦の壇之浦を望むように宗祇の句碑が建っている。



宗祇 ( そうぎ ) 、 姓は飯尾。
応永28年 ( 1421年 ) に生まれた。
生まれは近江国 ( 現・滋賀県 ) 、紀伊国 ( 現・和歌山県 ) の両説がある。
30歳の頃から連歌の道に入り、宗砌、心敬に学ぶ。
応仁の乱のときは、主に関東におり 「 古今和歌集 」 を学び、
「 吾妻問答 」 「 白川紀行 」 などを著す。
文明5年 ( 1473年 ) 京都に帰り 「 老のすさみ 」 「 筑紫道記 」 などを著し、
明応4年 ( 1495年 ) 「 新撰菟玖波集 」 を編集した。
文亀2年 ( 1502年 ) 81歳で没した。

主な作品に、歌集 「 宗祇法師集 」 、句集 「 萓草 ( わすれくさ ) 」 、
連歌論書 「 連歌心付之事 」 などがある。


福岡県宗像市 ・ 筑前大島 「 夢の小夜島 」

2016-10-30 06:59:21 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣

















   浜千鳥 声うちそへて おほしまの
                 波の間もなく 誰を恋らん 




夢の小夜島は、室町時代の連歌師・飯尾宗祇 ( いいおそうぎ ) の
「 筑紫同中記 」 に歌われた島である。
昔の詩情そのままで、海中に立つ朱色の鳥居と島を覆う松の緑が
美しいコントラストを見せている。

一般に、こうした浜辺の岩には神が降臨し宿り、
沖縄や奄美地方では 「 神アシャギ 」 として崇められている。
この 「 夢の小夜島 」 もその類の聖域であろう。


平戸瀬戸の黒子島や天草市河浦の宮ケ島など、
こうした島には必ずと言っていいほど鳥居があり、
神を祭っている。



我が家の 『 ハロウィーン飾り 』

2016-10-30 03:29:52 | 日記 ・ イベント





魔法使いのハット
ほうき星
怖さよりも
あこがれの世界

まるで御伽草子だね