
ギリシャ神話は、登場人物の名前だけで煩わしいがさらに其の多くが正体不明でなかなかそのお互いの人間模様?にまで理解は及ばない。そこで多くのルネッサンス以降の文学や芸術作品を通して少しでも神々に近づくことが出来る。それでも、羊飼いなど我々に親しみやすい存在はやはり人気がある。
しかし読者によっては神々の視点を対象化すること無しに自分のそれと同化することもある。二十世紀のモリエールと評されたバーナード・ショウのコメディー「ピグマリオン」もしくはミュージカル「マイ・フェアー・レディー」のヒギンズ教授への同化はこの典型的な例だろう。キプロス王ピグマリオンは理想の女性をガラテアと名付けて象牙像に具象化した。このコメディーでは、ガラテアこと花売り娘リザを思い通り教育するピグマリオンがこの言語学教授となる。識者には余り評判の良くない二度目の映画化のオードリー・ヘップバーンなどを思い出しつつ粗筋を読んで、今更ながらこの原文を早速注文した。何れにせよ聞けばコックニーとキングスイングリッシュの違いは分かっても、読んでも其の風刺の面白さまで十分に分からないだろう。
自分では気がつかなかったのだが、欧州言語を日常語として使うようになってから、口元が美しくなったといわれ、歯科衛生士さんにまで顎の形をお褒め頂いくようになった。知らぬ間に、以前は未発達だった口元の括約筋が明らかに発達していたのである。ケンブリッジで学んだ中産階級出身のある英国女性が教えてくれた事がある。彼女は、上流階級喋りのためにと口を横へ引いて実演をして見せてくれた。英国における英語は、今でも階級そのものであるようだ。
ヒギンズ教授は、花売り娘を上流階級の令嬢に仕立てまんまと賭けに勝った。彼の学識と経験を総動員して、其の理性と智恵で持って目標を達成した。しかし彼自身は、決して彼の象牙の塔からは一歩も踏み出すことが出来ない。独身男のエゴイズムとしての共感も多い反面、ここに描かれたエゴイズムは90年以上経った今も、我々男たちにも我々の社会にも同様に、多くを能弁に物語る。バーナード・ショウは、1925年度のノーベル文学賞を獲得している。
ギリシャ神話の方では、完璧な美に輝く象牙のガラテアは、アフロディーテによって生命を与えられる。主のピグマリオンは帰宅すると、何時もの場所に正しく鎮座しているはずの愛する象牙の像が歩き回っていて驚いて跪いてしまう。今度はガラテアが彼を起こし上げる。後に二人は結ばれ子宝に恵まれ、ピグマリオンは長生きをしたという。ピグマリオンがアフロディーテに本当に願ったものは決してそのもの生けるガラテアではなかったという。