Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ポストモダンの貸借対照表

2005-09-02 | 歴史・時事
ベルリンの中華人民共和国大使館を取り巻く、抗日戦勝記念を叫ぶ100人規模の者のどれほどが十分な知識を持っているのか?「南京のトラウマ」と題された新聞記事で文化欄の編集者ジーモンス氏は訝る。この8月28日付けの記事では、1970年代に制作されたであろう白黒映画「実録南京大虐殺」を観て気炎を上げる中華料理屋の大将が、1939年にドイツから祖国へと戻って戦った820人の同郷の先駆者に感動して「シナ万歳」と叫ぶ様子が記される。そして、西欧はこの終わった歴史にではなくて、これから始まる不可解な歴史によって起こされるであろう将来に、好むと好まざるに係わらず関与すべきとある。

これは、我々の独日協会が主催した講演会でも出された質問であった。何が出来るのだろうかと。相対的な見解を書く事によって、それが世界中に知らされることを期待するだけなのか ― 実際、韓国のサイトでは8月23日付けの新聞記事と並んでこの記事は早速コピーされている(それを早速、知人のシナ人に電子メールで送りつける) ―。

南京虐殺に際して、国際緩衝地域で20万人のシナ人の命を救ったのは、ハンブルクの商人ヨーン・ラーべである。彼は、中国では胸像の立つ「南京のシンドラー」と呼ばれる英雄らしいが、何を隠そう実態はナチ党員であった。お孫さんが、在ベルリン中国大使館に対して、南京に研究所を開く準備をしていると宣言した。そこで、全ての資料が公開されるようにすると言う。

こうする事よって、1937年の日帝軍の進軍に伴う罪状や共産党と国民党との間の紛争での殺戮も、少なくとも共産党が発表するものよりは遥かに信憑性が出てくるのである。ここで、横浜国大で比較文化学の教鞭をとったジークフリード・コールハンマー氏の23日付けの記事を見る。「共産党と国民党の紛争での虐殺数は日帝軍によるものとは較べられない」と、これは胡耀邦主席も認知した事であった筈だ。

コールハンマー氏の記事は、日本の補償額は西ドイツが近隣国に支払った額には及ばないがその罪状には大きな差があるとする。しかし、膨大な補償が経済援助などでの形式でなされていると説く。それどころか、シベリアを含む多くの国での10万人の日本人捕虜で帰らずの者となったものや戦後の中国や朝鮮での日本民間人への虐殺は不問に伏されていると、貸借を一覧する。

特に朝鮮の統治については、独立後1948年のチェジュの大虐殺(四万人の朝鮮人が日本へと逃れた)から1993年まで数限りない虐殺が繰り返されている事を述べる。韓国内の調査では、陸士卒で日帝広東軍の将校であって、日本式経済成長を取り入れた朴大統領の軍事独裁政権が1995年になっても三分の二の支持の評価を得ているのを挙げ、現在までも北の同胞の独裁政権を人権では訴えない大韓民国の実態を示す。北に関しては言うまでも無く日帝植民地時代よりも人権環境は悪い大韓民国や中華人民共和国についても、西ドイツとは違って、日本が真っ当に交渉出来る相手ではなかったと言い切る。

実際、当時の朴政権を知る者は思い出す。休戦態勢にいる事を利用した政治は、西独に最終的に救助された作曲家ユン・イサン氏への死刑判決事件やホテル・グランドパレスから誘拐された金大中氏死刑判決事件など、軍事独裁体制以外ではあり得なかった。政治取引によって解決した日本からの膨大な補償に纏わる、当時の日本外交の軸であった旧友朴大統領との政治・経済的癒着は余りにも有名である。その独裁者の暗殺後に、38度線以南で繰り返された虐殺行為の数と平和裡に選ばれた大統領の数を指を折って数えてみるが良い。(終わり無き近代主義 [文学・思想] / 2005-09-03 へと続く)



参照:世界の災いと慈善活動 [ 文学・思想 ] / 2005-11-29
コメント (3)
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