先日来、東欧文化圏の特異性が気になっていた。大雑把に纏めると、重要な東欧文化圏は、ただ単にスラヴ文化圏でも、ユダヤ文化圏でも、ドイツ文化圏でもないと言うことであろう。それ故に、中欧のヴィーン文化などが普遍性を持つに至った経過がある。オーストリアの交響楽文化などもそれを代表している。そうした普遍性がなければ、高度な芸術形態や文化には発達しない。
ユダヤ人ゲットーやシナゴークの所在地とプロテスタントの発生・発展を垣間見るといくつもの不思議に出会う。この関係では数多の研究書が存在するのだろう。それは、その後の非構造主義的な見地からも、欧州内における数多の文化層を丁寧に拾い上げていくことに繋がる。ユダヤ文化は、骨肉の関係の宿敵に魔女裁判などで弾圧されながらも、欧州文化の一端を担いなおかつ宿敵の文化にも深く流れこんで世界に多大の影響を与えて来た。これは昨日のテーマ「イスラム教と共生できるか」という問いにも関連する。
東欧出身の東京で活躍した二人のユダヤ人音楽家が前後して話題となった。第三帝国によるユダヤ人駆逐の出来事と双方とも直接関係していて、ユダヤ人であろうとも敵国の外国人とは違い最後の一時期を除けば日本で活動出来た特別な事情が語られている。敵国米国企業が閉鎖に至った状況と大きく異なっているのが興味深い。それでも東京のドイツ外交部による妨害活動が盛んになったと言う。
クラウス・プリングスハイムはマーラーの弟子として話題になったが、トーマス・マンとの義弟関係だけでなく、プリングスハイム家の歴史も興味深い。ドイツ語圏であるシュレージン地方の鉄道網や炭鉱を開拓したユダヤ人成功者であり作曲家リヒャルト・ヴァーグナーパトロンであったルドルフ・プリングスハイムの孫で、父親の数学者アルフレッドもマンの「ファウスト博士」のモデルのようなの人物である。この父は、辺境や特異点の定義や解析ともなるボルツァーノ・ヴァイヤーシュトラウスの定理で御馴染みの分野で活躍した。ミュンヘンのアルチスシュトラーセの豪邸は、ブルーノ・ヴァルターが書くように当時の大社交場になっていたようで、同様なヴィーンのヴィットゲンシュタイン家のサロンの質はともかく規模をはるかに超えているようである。晩年にはナチに接収されてチューリッヒに逃げている。この辺りは、昨今「マン家の人々」で題材となって詳しいようだ。
さて、女性裁判官ヘドヴィック・ドームの娘とこの数学者の子供として生まれた、マン夫人カ-チャの双子の兄弟クラウスは、WIKIでは同名の養子の息子さんの著書で、夫婦関係は名義上で同性愛者だと記してある。同性愛や近親への性的コンプレックスや、その環境が、類を呼ぶのは分かるが面白い。当時の東京での若い恋人などの顔が浮かぶ。トーマス・マンの家族を描いた人気ドラマシリーズは、こうした下世話な話題が満載に違いない。
ヨゼフ・ローゼンストックと言う日本の新交響楽団のプリングスハイムの後任の指揮者もクラカウ出身のユダヤ系ポーランド人であった。先日ラジオで耳にしたのは、マンハイムの歌劇場の音楽監督でオペラ学校の教授であったときにカイザースラウテルンのブルーメンタール出身のユダヤ人女性歌手を育成したことである。
その歌手はヒルデ・マタウフと言い、ナチスに追われて、アルジェンチンに亡命後、そこで歌手人生を成功裡に終えた。彼女の恋人で医師のギュンステンは、ヘッセンのマールブルクに近い典型的なユダヤ人であるグラーデンバッハからナチスに追われて、カイザースラウテンで診療所を開いていた。しかしその後、患者にも横槍が入り、戸口にユダヤの星には描かれるようになる。1933年1月にはプファルツ劇場でヒルデ・マタウフの舞台ボイコット運動が起きるが、フィガロの結婚で地元紙は彼女を絶賛する。1934年には、二人の亡命先の英国で結婚するが、翌年夫はスイスをカイロへと移動中に客死する。一人帰国して1935年にカイザースラウテルンで長男が生まれている。翌年それを最後に南米へと向かう。そこで、オペラ歌手として大活躍して、1954年と1957年の二回欧州ツアーのため里帰りをして演奏会を開いている。2002年4月に92歳でアルゼンチンのマルデルパタで亡くなる。
ヨゼフ・ローゼンストックのプロフィール関連では、あまりクラカウでのユダヤ人のことなど触れていないが、ロシア統治下のポロドメなどユダヤ人排斥運動は、米国や西側への移住を進めたという。それでも職業の自由や居住の自由を持たないユダヤ社会の近代化も進み、一方ナチズムやシオニズムを生み出す準備をすることにもなる。
ユダヤ人ゲットーやシナゴークの所在地とプロテスタントの発生・発展を垣間見るといくつもの不思議に出会う。この関係では数多の研究書が存在するのだろう。それは、その後の非構造主義的な見地からも、欧州内における数多の文化層を丁寧に拾い上げていくことに繋がる。ユダヤ文化は、骨肉の関係の宿敵に魔女裁判などで弾圧されながらも、欧州文化の一端を担いなおかつ宿敵の文化にも深く流れこんで世界に多大の影響を与えて来た。これは昨日のテーマ「イスラム教と共生できるか」という問いにも関連する。
東欧出身の東京で活躍した二人のユダヤ人音楽家が前後して話題となった。第三帝国によるユダヤ人駆逐の出来事と双方とも直接関係していて、ユダヤ人であろうとも敵国の外国人とは違い最後の一時期を除けば日本で活動出来た特別な事情が語られている。敵国米国企業が閉鎖に至った状況と大きく異なっているのが興味深い。それでも東京のドイツ外交部による妨害活動が盛んになったと言う。
クラウス・プリングスハイムはマーラーの弟子として話題になったが、トーマス・マンとの義弟関係だけでなく、プリングスハイム家の歴史も興味深い。ドイツ語圏であるシュレージン地方の鉄道網や炭鉱を開拓したユダヤ人成功者であり作曲家リヒャルト・ヴァーグナーパトロンであったルドルフ・プリングスハイムの孫で、父親の数学者アルフレッドもマンの「ファウスト博士」のモデルのようなの人物である。この父は、辺境や特異点の定義や解析ともなるボルツァーノ・ヴァイヤーシュトラウスの定理で御馴染みの分野で活躍した。ミュンヘンのアルチスシュトラーセの豪邸は、ブルーノ・ヴァルターが書くように当時の大社交場になっていたようで、同様なヴィーンのヴィットゲンシュタイン家のサロンの質はともかく規模をはるかに超えているようである。晩年にはナチに接収されてチューリッヒに逃げている。この辺りは、昨今「マン家の人々」で題材となって詳しいようだ。
さて、女性裁判官ヘドヴィック・ドームの娘とこの数学者の子供として生まれた、マン夫人カ-チャの双子の兄弟クラウスは、WIKIでは同名の養子の息子さんの著書で、夫婦関係は名義上で同性愛者だと記してある。同性愛や近親への性的コンプレックスや、その環境が、類を呼ぶのは分かるが面白い。当時の東京での若い恋人などの顔が浮かぶ。トーマス・マンの家族を描いた人気ドラマシリーズは、こうした下世話な話題が満載に違いない。
ヨゼフ・ローゼンストックと言う日本の新交響楽団のプリングスハイムの後任の指揮者もクラカウ出身のユダヤ系ポーランド人であった。先日ラジオで耳にしたのは、マンハイムの歌劇場の音楽監督でオペラ学校の教授であったときにカイザースラウテルンのブルーメンタール出身のユダヤ人女性歌手を育成したことである。
その歌手はヒルデ・マタウフと言い、ナチスに追われて、アルジェンチンに亡命後、そこで歌手人生を成功裡に終えた。彼女の恋人で医師のギュンステンは、ヘッセンのマールブルクに近い典型的なユダヤ人であるグラーデンバッハからナチスに追われて、カイザースラウテンで診療所を開いていた。しかしその後、患者にも横槍が入り、戸口にユダヤの星には描かれるようになる。1933年1月にはプファルツ劇場でヒルデ・マタウフの舞台ボイコット運動が起きるが、フィガロの結婚で地元紙は彼女を絶賛する。1934年には、二人の亡命先の英国で結婚するが、翌年夫はスイスをカイロへと移動中に客死する。一人帰国して1935年にカイザースラウテルンで長男が生まれている。翌年それを最後に南米へと向かう。そこで、オペラ歌手として大活躍して、1954年と1957年の二回欧州ツアーのため里帰りをして演奏会を開いている。2002年4月に92歳でアルゼンチンのマルデルパタで亡くなる。
ヨゼフ・ローゼンストックのプロフィール関連では、あまりクラカウでのユダヤ人のことなど触れていないが、ロシア統治下のポロドメなどユダヤ人排斥運動は、米国や西側への移住を進めたという。それでも職業の自由や居住の自由を持たないユダヤ社会の近代化も進み、一方ナチズムやシオニズムを生み出す準備をすることにもなる。