Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

止揚もない否定的弁証

2006-10-07 | 歴史・時事
承前)西洋の価値観との共生について、イスラム改革への提言として、先ずは人権について合意が出来るのではないかとする。なぜならばモハメッドは神ではなく、神の教えを告げる一人の人間だからとする。しかしそれ以外のアラブ半島の歴史的なコンテクストには触ることは出来ないとする。そして第二段階として、コーランがモハメッドの死後150年後に人間によって書かれたことを認めることを挙げる。そして三つ目に、女性の婚前交渉の認可が女性の自由を保障するとしている。

この第一段階は、民族の歴史としても文化としても認めやすいテーマであり、西洋としても最も重要と思われる。第二段階は、その書のオーソリティーが保てるものかと不思議に思われるが、法規や規約と考えると可能なのだろう。第三段階の処女性の放棄についてはなにか米国のジャンダー論を見るようでおかしな感じもする。なぜならばカトリック圏においても避妊が暗黙裡に行われ、人権が尊重される限り問題は起こらない。問題が起こったのはエイズによる感染である。

背教行為の実態やエジプトなどでのイスラムからの脱教の傾向がある反面、サウジアラビアなどの保守化は、グローバリズム下の傾向とする。つまり、ビン・ラーデンは来るべきときに現れたとする。反対に、旧僭主国は排撃されるが、彼らの去った国に民主主義の存在しないのは、ヘンリー・キッシンジャーのリアル・ポリティックが招いた災難であるとしている。それらの国では、専制君主の下、失業の民が宗教に曝されて、今後も多数決の民主主義は育たないと観る。

なるほど、彼女がオランダ人であるとすればこうしたリベラルな思考は納得出来るが、石油に頼らず、これらの地域と異なった形で交流するもしくは関係を断絶する方法があったもしくはあるのだろうか?民主主義の多数派の形勢と合議制ということでは、欧米以外で機能している地域はもともと無いのではないか。欧州内に住むムスレムは、フランスを含め経済的な事情があるとしても、今後共存して往く方法はあるのだろうか?

イスラム教の慎まなければいけない法シャリアについて、フランスのムスリム居住地域のスーパーでは豚肉の販売はされていなくて、ワインも売っていない。英国では、貯金箱の豚も不浄なものとして撤去されていると言う。つまり、ムスリムが多数を占めるにしたがって、こうした現象は増えていて、オランダでも議論されるようになっていると言う。

西洋において少数派として差別している限り、多数派の憐憫や同情が示されるのだが、そうした具体性を持たない対応は間違いであり、真実を見ることで大人にならなければいけないとする。先日のローマ教皇の発言に対して、暴力的な反応を諌めた改革派のラマダン氏にしても、片目を閉じて最終的には有耶無耶にしていると批判を加える。

まさしく、これが今や西欧のそれも最も自由な国オランダであって、それほどに自由ではないベルリンにおいては違う方向から議論されるのが現状である。先日のイドメネオ騒動では改めて、ドイツェオパー・ベルリンに人々が集まり、舞台にはドイツ・プロテスタント代表理事長ヴォルフガンク・フーバーなどが居並んだ。そして、この牧師は次のように滔々と語る。

「中止になったイドメネオについて話しましょう。」、

「それも芸術の自由ではなく、自由そのものについてです。」、

「イズミールでこうしたものを語るのではなくて、ドイツで今語るなどと言うことはありえないことなんですよ、それも一握りのイスラムの阿呆どもの不寛容と未開のお蔭だけではないのです。」、

「教皇が凱旋門の上に鎮座するでもなく、イスラムがその暴力を授けると。」、

「もちろんですよ。だれもがノイエンフェルツのイドメネオの終景に腹立てる権利はありますよね。キリストやブッタやムハマドやポセイドンの出番じゃなければ、まあ、例えば私服でですよね。」、

「支配人の彼女が権力中枢の圧力の下で中止を決定したならば、関係責任者に仕えたと言うことになりますわな。」、

「当然のことながら演出は直ぐに再演再開されるべきで、そうして自由と寛容と芸術と信仰を護るのです。」、

この日曜午前中の臨時 教 会 の大スターだったようで、一言一句に大喝采を浴びたと言う。このような浅はかで軽薄な舞台は、一日も早く潰した方が良い。プロテスタントは、モハメッドとの対峙と暴力で弁証法的接触を図るつもりなのだろうか?一体何を恐れているのだろう。

アヤーン・ヒルシ・アリ女史は、誤りを指摘する。西洋がイスラムに対して議論を持ちかけるとき、必ずや戦略としてのものであって、対話ではないとする。つまり、どうした効果があるのか、何を求めるのか、何が生まれるのかが絶えず計算されていると言う。これは、間違いであると明言している。そして、何らかの融合が為さられるには数代の世代交代の月日が必要になるとしている。


再演12月18日、29日に決定



参照:
歌劇の谷町、西東 [ 文化一般 ] / 2006-11-05
リベラリズムの暴力と無力 [ 歴史・時事 ] / 2004-11-06
キッパ坊やとヒジャブ嬢ちゃん [ 歴史・時事 ] / 2004-11-06
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