Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

カウチポテトの侍

2006-10-10 | 文化一般
ラスト侍をTV鑑賞する。特別に観ようとは思わなかったが、この夏のイタリアでの様にこれついて話しかけられても困るので、偶然に番組を知った以上時間を割く。

ハリウッド映画も経済的に厳しいのか出演者への人件費が高すぎるのか、大分安上がりのチャチな制作になったものだと言うのが第一印象である。高名な映画監督のような美的な映像の出来上がりは求められなくとも、少なくともCGなどを使う限りは、子供だましのような幼稚な映像はやめて頂きたい。

映画館で観ていないとしても、最近はDVDで簡単に観る人が多いので、決して不公平な鑑賞方法ではないであろう。TV画面で一度だけ観ても、荒が目立つような映像は困りものである。演技指導も十分に出来ていないようである。

エンターテェイメントにとやかく文句をつけるのは野暮であるが、途中流れるマクドナルド他のCMを見ていると、思考停止の質の悪い二時間ばかりの時間をTVの前でカウチに座ってポテトチップでも食べて健康までを損ねる。

それにしても、上述のイタリア人に想像で適当に語ったように、戦うことを主題としていて、日本の自衛隊を印象づける飾りは不要で本格的な戦闘集団を持つべきとのタカ派的な主張が満ち溢れている。こうしたものが流される限りは影響も大きいので、十分な批評が必要であろう。若いイタリア人が、なぜ反暴力を訴えていたかのかが今初めて合点がいった。

映画の枠組みは、嘗てのヤクザ映画を踏襲していて、黒澤の戦闘シーンなどをも参考にしているようだ。エピソードや救出討ち入りのシーンなどは全く、高倉健が一暴れして賭場から抜け出す情景そのもので、歴史物としてはTV「将軍」の方が遥かに上手に出来ていた。そう言えばマイクル・ダグラスの「ブラック・レイン」の方が、ロケが多い割に擬似空間を上手く演出していて出来がよかった。ただ、戦闘シーンだけは無国籍で時代を超越していて、この映画のクライマックスを効果的に形作っている。

主演の渡辺謙は初めて観ると思うがなかなか良い。協演の演技の不味いトム・クルーズは、二十年前に列車待ちのハンブルク駅前の深夜映画館で観た「トップ・ガン」以来である。とても当時の見る影もない。

ハリウッド一流の脚本の構成で、世界中の誰にでもわかるような話の展開と興味の持たせ方は、制作者が観衆の理解度を値踏みしているようなところがあって嫌味である。しかし、画像が悪い、演技が悪い、台本も生半可であると、どうしても学芸会の映画化のようにしか見えないのは致し方ない。日本も含めて世界的に、優秀な映画も時々制作されているので、DVDで観るようなこのような映画を作っているのをみると、ハリウッドの映画産業は尻貧に違いない。

朝鮮民主主義人民共和国の核実験のニュースが世界に流された。平和利用の核開発からこうした脅迫的な示威行動まで長い時間をかけて虚偽の説明をしてきた外交戦略は、どうにも受け入れられない。核弾頭搭載はまだ準備していないといっても、今までの経緯から押さえの効かない政治体制のように見える。国家戦略と言うより、個人的な体制の維持に全てが傾けられている典型的な独裁国家であるようだ。(続く
コメント (14)
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