ショスタコーヴィッチの交響曲全集を聞きはじめた。ばら売りで十年以上にも長きに渡り発売された物の、初の全集化のようである。よって一部の録音は馴染みであったが、新たに先ず二曲ほど聞いてその全貌が窺えた。
非常に良く出来ているのは、第一番が第十五番とコンピレーションされていて、その後も第二番と第十二番というように前期と後期が直接対照出来るようになっていることであろう。
こうすることで既に聞いていた最後の交響曲が最初の交響曲に照らされて、その実態を示すことになっている。具体的には、この全集の指揮者であるマリス・ヤンソンのブックレットのインタヴューが全てを物語っている。
第五番終楽章に関しての質問で、解釈ではテンポが決定的なものとしながらも、作曲家のメトロノーム指示には正直に従うべきでないことを、最も当時習った重要なこととしている。そしてこれは何処にも書かれていなくて、ただ作曲家と個人的に親しい人から聞き知ることが出来るとしている。
音楽的言語を、感情的示唆に富んでいるがそれにも係わらず抽象的であると主張しているのが大変面白い。指揮者本人の弁ではこれが「全体主義的独裁政権に対する民衆の声」とするが、それはどうだろうか。なぜならば、我々現代人はそこに、「グローバリズムに均一化された芸術」に首まで浸かっている己の影を見るからである。
寧ろ重要なのは音楽というメディアが、ソヴィエト否ロシアにおいて感興によって人から人へと伝播とする基本姿勢である。まさにこれは、音楽分析的な方法によって解き明かされる表現ではなくて、その社会に属する者にしか共感を与えないというような反普遍性に富んだ表現となる。文化のミームと呼ばれるものである。
確かにこの指揮者の演奏解釈は秀逸でこれを実証するようなニュアンス付けやアーティキュレーションは本場物の強みを窺わせて、スコアに示される表情記号をしばしば想起させてくれさえする。
このソヴィエトの交響曲全集を片目の視界に入れながら、考えたのが本年逝去したジョルジュ・リゲティーの作品や作風である。全くソヴィエトとは芸術的に無関係のハンガリー出身のユダヤ人作曲家ではあるが、緊張 ― 痙縮、痙攣、弛緩を伴う症状 ― といった表現概念では妙な関連を見出せる。シュスタコーヴィッチの金切り声の悲鳴などはしばしばグロテスク表現などと見做されるが、後者のそれと比べるまでもなく西欧のグロテスクは計算された制御されたものであり、そこに大きな差異が存在する。
前者の作曲に対して、ソヴィエトでベルクの「ヴォツェック」が当時頻繁に上演されていたことが資料として契機されるが、これやベルクの遺作「ルル」を、スターリン下でスキャンダルとなった「マクベス夫人」などと比較して見るのが良いかもしれない。またリゲティーの、初期成功作のクラスターによる表現に態々触れなくとも、後年の代表作アンチ・アンチオペラ「ル・グラン・マカーブル」に表出する意識下と無意識下間の彩は、前者では感興という表現母体の中に埋没している。前者の手本とする交響曲作家グスタフ・マーラーが、その境を彷徨ったのとは大違いである。
これこそが、上の音楽言語に対する主張の一節の真意である。つまり、「知的分析に耐えるもの」こそが西欧のファーマリズムとして糾弾されなければいけないもので、だから推奨される表現は「弛緩した精神の大地に水が吸い込まれるようなもの」でなければいけないのである。そして、それはこれ以上にないプロレタリアート芸術の翻意であるに違いない。不思議にも最初の交響曲も最後の交響曲もその意味から相似形であると、この全集は証明している。プロレタリアートのためのプロレタリアートによるプロレタリアートの芸術である。
ついでながらザルツブルク音楽祭における「ル・グラン・マカーブル」上演終了後の作曲家の怒りは、スェーデン人の指揮とアメリカ人の演出の痙攣が解放されて弛緩したままのグロテスクに向けられたもので、否定的弁証法どころか意図した二つ目の定義の否定に至らなかったことに向けられていたのであろう。その点から、それは西洋音楽芸術におけるポストモダーンの一大事件であったように思われる。
ショスタコーヴィッチに戻れば、その作品は所謂西欧の普遍性への希求からは甚だ遠く離れ、レーニン・スターリニズムの世界観やその事象自体がこれらの交響曲の内容となっている。それは、社会主義リアリズムの勝利でもなく、民衆の墓碑銘でもなく、ロシア文化を土台としたソヴィエトそのものであるのだろう。
ヤンソンス指揮の全集を更に聞いて行くが、強引な管弦楽団のドライヴ感と分析的な思考を麻痺させるような圧倒感こそが、この指揮者の芸術でもあって、ソヴィエトと一体化した作曲家の実物大の肖像を描く時にこれ以上もないメディアになっている。
インタヴューで語られる「行間を読め」というのは、弛緩した脳でもって、湧きあがる感興に身を任す行為であることを、思い出させてくれる。温泉上がりの瞳孔の開き切ったような脱力感にも匹敵する感興である。
非常に良く出来ているのは、第一番が第十五番とコンピレーションされていて、その後も第二番と第十二番というように前期と後期が直接対照出来るようになっていることであろう。
こうすることで既に聞いていた最後の交響曲が最初の交響曲に照らされて、その実態を示すことになっている。具体的には、この全集の指揮者であるマリス・ヤンソンのブックレットのインタヴューが全てを物語っている。
第五番終楽章に関しての質問で、解釈ではテンポが決定的なものとしながらも、作曲家のメトロノーム指示には正直に従うべきでないことを、最も当時習った重要なこととしている。そしてこれは何処にも書かれていなくて、ただ作曲家と個人的に親しい人から聞き知ることが出来るとしている。
音楽的言語を、感情的示唆に富んでいるがそれにも係わらず抽象的であると主張しているのが大変面白い。指揮者本人の弁ではこれが「全体主義的独裁政権に対する民衆の声」とするが、それはどうだろうか。なぜならば、我々現代人はそこに、「グローバリズムに均一化された芸術」に首まで浸かっている己の影を見るからである。
寧ろ重要なのは音楽というメディアが、ソヴィエト否ロシアにおいて感興によって人から人へと伝播とする基本姿勢である。まさにこれは、音楽分析的な方法によって解き明かされる表現ではなくて、その社会に属する者にしか共感を与えないというような反普遍性に富んだ表現となる。文化のミームと呼ばれるものである。
確かにこの指揮者の演奏解釈は秀逸でこれを実証するようなニュアンス付けやアーティキュレーションは本場物の強みを窺わせて、スコアに示される表情記号をしばしば想起させてくれさえする。
このソヴィエトの交響曲全集を片目の視界に入れながら、考えたのが本年逝去したジョルジュ・リゲティーの作品や作風である。全くソヴィエトとは芸術的に無関係のハンガリー出身のユダヤ人作曲家ではあるが、緊張 ― 痙縮、痙攣、弛緩を伴う症状 ― といった表現概念では妙な関連を見出せる。シュスタコーヴィッチの金切り声の悲鳴などはしばしばグロテスク表現などと見做されるが、後者のそれと比べるまでもなく西欧のグロテスクは計算された制御されたものであり、そこに大きな差異が存在する。
前者の作曲に対して、ソヴィエトでベルクの「ヴォツェック」が当時頻繁に上演されていたことが資料として契機されるが、これやベルクの遺作「ルル」を、スターリン下でスキャンダルとなった「マクベス夫人」などと比較して見るのが良いかもしれない。またリゲティーの、初期成功作のクラスターによる表現に態々触れなくとも、後年の代表作アンチ・アンチオペラ「ル・グラン・マカーブル」に表出する意識下と無意識下間の彩は、前者では感興という表現母体の中に埋没している。前者の手本とする交響曲作家グスタフ・マーラーが、その境を彷徨ったのとは大違いである。
これこそが、上の音楽言語に対する主張の一節の真意である。つまり、「知的分析に耐えるもの」こそが西欧のファーマリズムとして糾弾されなければいけないもので、だから推奨される表現は「弛緩した精神の大地に水が吸い込まれるようなもの」でなければいけないのである。そして、それはこれ以上にないプロレタリアート芸術の翻意であるに違いない。不思議にも最初の交響曲も最後の交響曲もその意味から相似形であると、この全集は証明している。プロレタリアートのためのプロレタリアートによるプロレタリアートの芸術である。
ついでながらザルツブルク音楽祭における「ル・グラン・マカーブル」上演終了後の作曲家の怒りは、スェーデン人の指揮とアメリカ人の演出の痙攣が解放されて弛緩したままのグロテスクに向けられたもので、否定的弁証法どころか意図した二つ目の定義の否定に至らなかったことに向けられていたのであろう。その点から、それは西洋音楽芸術におけるポストモダーンの一大事件であったように思われる。
ショスタコーヴィッチに戻れば、その作品は所謂西欧の普遍性への希求からは甚だ遠く離れ、レーニン・スターリニズムの世界観やその事象自体がこれらの交響曲の内容となっている。それは、社会主義リアリズムの勝利でもなく、民衆の墓碑銘でもなく、ロシア文化を土台としたソヴィエトそのものであるのだろう。
ヤンソンス指揮の全集を更に聞いて行くが、強引な管弦楽団のドライヴ感と分析的な思考を麻痺させるような圧倒感こそが、この指揮者の芸術でもあって、ソヴィエトと一体化した作曲家の実物大の肖像を描く時にこれ以上もないメディアになっている。
インタヴューで語られる「行間を読め」というのは、弛緩した脳でもって、湧きあがる感興に身を任す行為であることを、思い出させてくれる。温泉上がりの瞳孔の開き切ったような脱力感にも匹敵する感興である。