Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ボゼーナの胸中を覗く

2006-10-09 | 
一人のポーランド娘のことを、印象が新鮮なうちに記しておこう。年齢は判らない。心理的にあどけなさが残る分、実年齢よりも若く見えていると思う。

ドイツ語が不自由な彼女であるから、敢えて詮索せずに想像するのが好い。ヴァルシャワの近くの町からやって来ている。姉がいて、その旦那らしき人がいる。初めは口利き業の親仁かと思った。

名をボゼーナと云い、典型的なポーランドの名前のようである。名前の多くはキリスト教関連が多く、大抵はどの言葉でも多国籍語に訳されている。この名の他国名はないようである。

手伝って貰うようになって、三ヶ月以上経ったが、こちらの目論み通り時間内での作業効率が上がって来ている。少々言葉が出来ても減らず口しか利けない者に比べると遥かに優秀である。

こちらの教育的意思と思惑を理解して呉れるのが何よりも嬉しい。実際は、勘違いや思い込みのようなものもあって、そして何より意思の疎通の問題があって、なかなかすんなりとは行かないが、こうした不確かな意思のコミュニケートを最近は経験していなかったので面白い。

事務的に用件をこなせばよいといっても、マニュアルで済ませれるようなことではない。いい加減説明するのが面倒なことがあるが、こちらも以前に比べると大層気が長くなっている。そんな按配であるから、余裕をもって心理的なものまでを覗き込もうとする。

ドイツ語が不自由なことから来る不安感は、直に容易く見抜ける。その昔、語学学校に通っていたころは回りだけでなくて自分自身にもそのような心理状態にあったろう。自らの経験から、そうした不安な経験の無い通常の生活者よりも理解できる。

さらに、彼女の場合、想像される家庭環境や社会的環境から来る心理的な幼さがあって、これもとても珍しい。最近は何処の先進国でもこうした素朴な人間は少なくなっている。その昔、小学校時分の心理的に幼い児童を思い出す。

特にドイツプロテスタントの牙城では、教育程度に関わらず、みっちりと叩き込まれて人格形成がされているので、素朴とは正反対な啓蒙がなされている。それはそれで素晴らしいのだが、必ずしもそこに利点だけを認めないとしても、こうした自己の提示が弱い人格に応対すると、こちらが大変不安になる。美徳のような素朴さも必ずしも利点ではないのは真実である。
コメント
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