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マンハイム市は、その円形碁盤の市街地整備の粋に係わらず米軍の空爆によって灰となり、戦後はドイツで最も醜い大都市の一つとなっている。そして、この教会もつい三年前にバロック様式をもって復興したのであった。
そのカソリック共同体は、ミサを営み、祝祭的ミサも晴れやかに執り行っている。イエズス修道会の創始者聖イグナチオ・デ・ロヨラと聖フランシスコ・ザビエルを教会のパトロンとしている。
そして丸天井を見上げるとそこにIHSと大きく書かれているのである。日本人にとっては教科書等で馴染みのあるイエズス会の徴で、ギリシャ文字でiota, eta, sigmaの三文字はラテン語でIesum Habemus Socium(我らイエスと共にあり)を意味する。この美しいバロック様式の教会は、その強固な信念にこそ相応しい。
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ニュルンベルクへと抜ける古城街道の出発地であるこのマンハイムを訪れる、特に日本のカトリック信者には、是非とも訪ねて欲しい教会である。大学の宮殿も何れ修復を終えるだろうから、そのときは、嘗ては青年作曲家が歩んだ土地に、駅からプロムナードを歩く感覚で訪れることが出来る新たな観光対象が登場する事になる。
イエズス会は、宗教改革に対して、反動的に活動したのであるが、音楽芸術で言えば数十年遅れてやはり反動派のオルランド・ディ・ラッソーが行った創作と平行している。その強靭さと灰汁の強い押し付けがましさが、想像出来るザビエルの雰囲気でもあるとしても良いだろうか。もしイエズス会の献身的な宣教活動以外によってキリスト教が極東に伝えられたとするならば、そこでの布教状況は違っていただろうことが、そのような文化芸術からも容易に演繹出来るかもしれない。当然ながら、それは歴史的カトリック精神に付け加えられた、これまた硬質の新教の信仰に対抗する、特質でもあったのだろう。歴史的必然性を無視しての、サイエンスフィクションとして「たら、れば」のお話である。
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