Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ああ、私の愛しいお父さま

2007-01-27 | 雑感
昨晩電話が掛かり、電話口で歌われた。その曲が何かと言う質問であった。プッチーニの三部作の一幕「ジャンニ・スキッキ」と判ったのだが、その歌詞まで覚えていないのでネットで調べる。

「O mio babbino caro」であった。何処でこれを聞いたかと尋ねると、アンドレ・リューの番組と言う。それから、続々とVIDEOが出て来て二時間以上も遊んでしまった。結局、youtube.comにて、十種類近くの映像や録音を見た。

プッチーニであるから、編曲されていない限り、死後70年の著作権には係わらないが、演者や制作者の放映権の問題は残されている。その多くが、各国の公共放送の制作と映像らしきところが、制作費用のかさむ映像の場合特徴となっているようである。

公共放送の自主制作かもしくはその依頼で適当にライヴ映像化を請け負って制作するため、その映像制作のあらゆる権利は公共放送等の支配となる場合が多いのだろう。またネットに投稿する方は、非利潤目的を主張して、ポータルの方は維持と経費を広告で賄っていると主張しているのであろう。ネット聴視料を強制的に徴集しようとする考えはここにある。

更に、こうしたライヴの映像は、他の制作作品とは一線を隔しているので、一般の利用者側はその差異が理解し難く誤解を招き易い。しかし、そうしたサーヴィスが存在すれば、上のように興味を持った一般視聴者は、必ずしも製品化された録音や映像を必要としないことは明白である。

少なくとも、全曲が公演される機会の少ないこうした有名作品であるから、この部分の観比べをすれば、事足りる場合が殆ど全てであろう。

それにしてもこの曲の映像の多さには驚く。マリア・カラスは得意としていたようで、晩年まで歌い続けており、高度なベルカント芸術となっている。

発見は、パトリツィア・チオーリの舞台映像とその歌唱で、生を体験した覚えは無いが、その方面では大実力者であることが知れる。何よりも明快なイタリア語の響きとリズム感が楽しい。

それに比較すると、モンセラ・カヴァリエの歌唱はこの楽曲の面白さを犠牲にしているので期待外れである。同様にレオンタイン・プライスの歌唱も最後まで聞いていない。

変わりものでは、日本語による歌唱もあったが触りだけを聞いて、恐らく韓国人の歌手スミ・ジョーを観るが、そのまるでアーリランの歌謡を聴いているようなフレージングや編曲より以前にオープンエアーとはいいながら歌詞が発声出来ていないのが辛い。

ミレッラ・フレーニのものに期待したが、思っていたよりも優等生的な歌唱で立派ではあるが、当時フォン・カラヤンに重宝がられていたのが思い出される。どこかのBLOGに魚屋のおかみさんみたいな容姿が気になるとかかれていたが、イタリアのおばさんだから仕方ない。

ドイツのかばん屋さんのおばさんの様なのが、リタ・シュトライヒの映像であり、その歌唱もそのような質実剛健な感じである。それに比べると、ヴィクトリア・ロスアンヘレスの歌唱はいつも雰囲気がありなかなか良い感じである。

アンジェラ・ゲオギュウは、主要コンサートレパートリーとしているようで、思い入れたっぷりに歌い込んでいる。このオペラ喜劇のシーンとは合わない事など一切無視しているのはこの曲にたいしては大変合理的であるが、こうして無料でその容姿と共に視聴されるということが、その営業の形態と矛盾している。


観聴き比べ:
Maria Callas -1954
Maria Callas-George Prêtre
Maria Callas
Maria Callas IN JAPAN
Patrizia Ciofi-Seiji Ozawa
Montserrat Caballe
Montserrat Caballe
Leontyne Price
Sumi Jo
Mirella Freni
Rita Streich
Victoria de Los Angeles
Anna Netrebko
Angela Gheorghiu
Angela Gheorghiu-Lorin Maazel (Lincoln Center 2005)
Angela Gheorghiu
Angela Gheorghiu-NOS

Chritsty YAMAGUCHI
コメント (7)
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