Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

統廃合される地方文化

2007-01-14 | 文化一般
ラジオでいつもの夕方の討論番組を小耳に挟んだ。途中を少し聞いただけであるが、バーデン・ヴュルテンブルクの文化予算削減に関して、マンハイムを中心とする劇場・美術館関係者が論争していた。

マンハイムにおけるノイエ・ザッハッリッヒカイトの美術とナチスとの攻防などを通して、今やローカル文化都市の過去と現在と今後を訴えていたり、ハイデルベルクなどを統廃合した場合のマンハイムの劇場の価値を考察していた。また、マンハイム・ハイデルベルク音楽学校の取り組みなども交えて、市民層の相違をも強調していた。

詳細は、全てを聞いていないので分からないので触れないが、そこから重要な幾つかの定理が見出される。その幾つかを思い出すままに列記しておく。

• 大都市文化圏の擁立とその衛星都市のローカル性との文化的関係
• インターナショナルで高尚な大文化とコミュニティーに立脚した庶民文化
• 大小・高低や官僚主義・肌感覚を、文化社会面で対照させない主客の転換
• 学習劇場と実験劇場の公的意味と公的美術館の社会的価値

どれも大変難しいテーマであって、美学的にも社会学的にも論じ続けられている課題である。その中で、文化圏を考えるのは特に注目に値するように思われる。

例えば、ベルリンで受け入れられるものはマンハイムで受け入れられる可能性が無いとするとき、それは各々の市民の群を指すのか、文化的歴史的背景を指すのか、もしくは三つ目の市民の社会層を指すのか?反対に劇場職業アンサンブルの質の高さは、一義的に経済力によって左右されるのだが、三流都市の三流のアンサンブルが必要ないとすれば、それはそもそも共同体に必要な芸術は決してインターナショナルで高尚なものではないと言うことにもなる。

逆にベルリンのような中央集権的な都市において、社会を映すような文化の発展は実際は期待出来ない。そこにあるのは、官僚主義的でインターナショナルで直接社会に還元出来ない文化となる。そもそも市民の生活観と掛け離れた文化の存在意義は無いに等しい。

前者を進めると、東側に嘗て存在したプロレタリアートのための文化運動となり、中央をそのままに質を落として、「三流の市民のための、三流の芸術家による、三流の文化享受」が施されて、後者においては首都の芸術は国外へと国家を代表して売られていく事になったのである。こうして文化的発展は崩壊した。

それからまだ二十年も経っていないのである。
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