Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

いいや、ト短調だよ!

2007-01-28 | 文化一般
昨年の8月にシュヴェーリンのアルノ・ブレッカーというヒットラーの愛した彫刻家の展示会が開かれた。初日を以って大荒れだったが、改めて映像などを見ると、サロンに 綺 麗 に 展示してあって、大変違和感がある。

主催者は民主的な議論を託したとするが、既に展示の企画自体が十分でなかったようである。ナチスの芸術とは、またそれをどう扱うか?ギュンター・グラスなどは、そろそろ落ちついて公に議論出来るのではないかとするが、現実はスキャンダルを呼び興すだけである。ご自分でも経験されたところである。

特定の危険思想の芸術もしくは表明を、焚書のように焼き払うことは出来ない。しかし、そうしたものを議論のために中立を装って公に差し出すことは誤りである。それは、安物ジャーナリズムのように、行動に責任を持たないことと同義である。

企画者は、学術的資料や専門家の美学的評価のみならず、受け手から効果的な議論を引き出す努力をしなければいけない。国家社会主義リアリズムであろうとも、社会主義リアリズムであろうとも、受け手はそれを自身で判断しなければいけない。これは議論以前の問題である。民主主義精神の真髄である。

お馴染みのシュトュンツ氏が、1月25日付けFAZのフォイリトン一面に作曲家ハンツ・プフィッツナーの幻の「クラカウワー・グリュースンク 作品54」について書いている。今回その楽譜は、新聞社の主導で、金庫から取り出されて初めて陽の目を見た。 検 閲 したマインツのプフィッツナー協会副会長ラインハルト・ヴィーゼント教授の報告を記事としている。この曲は、終戦前の1944年12月2日、時のポーランドの古都クラカウ市のナチの為政者で、ニュールンベルク裁判で処刑されたハンツ・フランクに捧げられ、同地で初演されラジオ放送された。初演後、自らの王国の宮殿に赤軍が迫っている中で、フランク法学博士は:

「イ短調の葬送行進曲にすべきだったよ」と言うと、作曲家は答えた:

「いいや、ゲーエン(Gehen・行く)モル(G-moll・ト短調 )だよ」

そして、1945年1月17日に「司法無きは国家に非ず」として総統に左遷されていた、ニッチェをそして芸術を愛し、ユダヤ人を最終処理したこの生え抜きの党員は、ミュンヘンへと逃走する。しかし、一方作曲家は、その出来を理由に、非ナチ化での不利を恐れたか、ミュンヘンのオルテル出版にこの曲の門外不出を命じた。個人的な友好関係と、ワインやシャンパンをはじめ、恐らくユダヤ人から強奪した銀の入れ物などを受け取ったお礼としての友人への献呈であった。

6分ほどの二つの主題を持つファンファーレであるからして元来上等の音楽芸術ではないが、今回その全容と作曲の経緯が戦犯フランクを調べたディーター・シェンクの著書の出版を契機に明らかになり、この作曲家の重要な資料となる。その年齢からして、このモスクワ生まれのヴァイオリニストの息子は、リヒャルト・シュトラウスが座った第三帝国の音楽監督を狙っていたようだったが、ゲーリングやゲッベルスに見縊られて、その後は自ら世を拗ねた「不幸な天才」を演じたとある。

その作曲家は、1921年に代表作「ドイツ精神について」を作曲、また1917年には宿敵ブゾーニの音楽論「音響芸術の新たな美学への試案」に対抗して「未来の危険」と題して「進化無用の保守主義音楽芸術」を標榜している。作品の幾つかは、特に指揮者ブルーノ・ヴァルターによって1918年にミュンヘンで初演されたオペラ「パレストリーナ」や歌曲を含めて、現在でもレパートリーとなっている。上記彫刻家ブレッカーよりも、我々に馴染みあるだけでなく、その世代からしてその作品は決して「ナチズムの芸術」とはなっていない。そのようなノイエザッハリッヒカイトのリアリズムをあるイデオロギーへと収斂させた強靭さは、当時の第三帝国の文化・宣伝省が「役に立たない」と判断したように、この陳腐な保守的作曲家には微塵も無い。それどころか、保守派のトーマス・マンはそうした芸術活動を賞賛して、自らプフィッツナー協会の初代会長となった。「魔の山」の出版の前の事である。

そこで、シュテュンツ氏は、プフィッツナー熱狂者として知られる指揮者ティーレマンに、この曲を知らないのを承知で、今日これを演奏する考えがあるかを尋ねてみる。

「基本的にはね、いい音楽なら、私は演奏しますよ」とティーレマン。

これはなんと幸せな人であるとしながらも、「ただ良い作品とはいいながら、それだけでナチの要人を称えた作品をレパートリーにするかな」と、疑問に思うと、

「そりゃ、これを演奏するとなるとね、まあ、歴史的なコンテクストでもって、何れにせよ説明しなきゃならないわな」と答えた。

我々は、ミュンヘンで指揮活動をするこの指揮者のリヒャルト・シュトラウス解釈を知っている。そして、何を期待するか?それは、聴衆の感性と判断力に任されている。そのように、1983年のホルスト・シュタイン指揮ヴィーナー・フィルハーモニカー演奏の「ドイツ精神について」のエアーチェックを聞きながら、考えるのである。



参照:Holger R.Stunz: "Für hundert Flashen Sekt und Wein" vom 25.01.2006
コメント (2)
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