Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

批判的に叙述する記録?

2008-01-26 | SNS・BLOG研究
BLOGを巡っていて、中級ドイツ語文法問題に行き当たった。参考になったかどうかは怪しいが、書き込みさせて頂いた。例文が誤っていたり、大変な誤解が生じかねないとみるとどうしても口を突っ込んでしまう性分なのである。「よく犯人に刺された人を振り返って、そう言えば子供の頃から正義感の人一倍強い子だったから」というようなやっかいな性分である。

内容は未だに定かではないが、文法的に接続法の現在と過去が話題となっている。前者は、直接話法から間接話法に変えると英語では時制の一致があるので複文内では現在とは往々にしてならないが、ドイツ語の場合は時制の一致がないので現在形がとられる。後者の場合は、現在の状況からみて、起らなかったことなどを仮定して因果律などを考えて利用される。

つまり後者は、英語で言えばIFを使ったり使わなかったりする動詞の過去形をあてがう仮定法過去である。つまり、一般的には過去に起っていないことを接続法にする場合が一般的である。しかしここに来て、実はそのIFによる仮定法ではなく、直接話法から間接話法に言い換える、つまりここでは記録者としての第三者のジャーナリスティックな視点が強調される文例の前者の問題と気がついた。

しかし、その部分的に引用された今回の例題は、過去に起った記録を接続法過去に書き換えてあるのでおかしいと思った。その例文である。

― 彼らは、各々に指示した。「一本づつワインを持ってくるように」
― Sie baten jeden Gast, „Bring bitte eine Flasche mit!“

それは、第三者的な批判的な様相を帯びる叙述である接続法を用いて以下のように書き換えられている:

― 彼らは、各々に一本づつワインを持ってくるように指示していただろう。
― Sie hätten jeden Gast gebeten, er solle eine Flasche Wein mitbringen.

この二つは、前者が起った事象を叙述しているのに対して、後者は起っていない事象をなんらかの条件が揃っていたならば事象が起っていた可能性を仮定しているので、事実関係としては正反対の過去の二つの事象を説明している。

一般的にこうした書き換えはありえないので、先ずは前の例題のbatenがウムラウトによってbätenとなる接続法過去形となる印字間違いと疑った。それとは違うと言うことで勝手に書き換えの後の文章を否定した。

― 彼らは、各々に一本づつワインを持ってくるように指示していなかっただろう。
― Sie hätten jeden Gast nicht gebeten, er solle eine Flasche Wein mitbringen.

これならば、如何なる文節においても二つの文章は同じ事象を異なった視点から叙述することになる。更に後半の文章は、原因となり得るIF文が除かれているので、次のように勝手にIF文章を補った。

― もし、このようなことになるならば。

そう、各々が安物ワインを持ち寄ったから乱闘騒ぎになって、警察が駆けつけてこう呟いたのである。

しかし、どうも例文には前後があって接続法過去で肯定つまり事象を否定しているようだ。また例題の文章は、友人が語ったことを記録者が綴ったもののようだ。

例えば記録者は、現場にいた友人から聞いた内容をここに綴っているとすれば、その友人は上の持ち寄りの指示を聞いてその事実を語ったようだが、記録者はその信憑性に不審を持っているかもしくは批判的に第三者としてその事象を伝える必要が生じる。その場合、友人の証言を自らの言葉として記録する方法は、新聞記事のように間接話法で接続法現在を使用するが、接続法現在が接続法過去によって取り替えられる場合も考えられる。

次のようにな直接話法の場合である。

― 友人は、「彼らは、各々に指示した。『一本づつワインを持ってくるように』」と語った。
― Der Freund sagte: Sie baten jeden Gast, „Bring bitte eine Flasche mit!.“

これを間接話法に纏めると次のようになる。

― 友人は、「彼らは一本づつのワインを持ちよる指示を与えた」と語った。

― Der Freund sagte, sie haben jeden Gast gebeten, er solle eine Flasche Wein mitnehmen.

しかし、これでは英語のように時制の一致がないので、通常の叙述と変わらなくなるから、ここで接続法過去を使うと言うことがこの例題の焦点のようだ。結論:

Der Freund sagte, sie hätten jeden Gast gebeten, er solle eine Flasche Wein mitnehmen.

しかし、これを部分的に初めのように比較すると全く異なる意味にしか聞こえない。このような、現実の叙述と記録もしくはジャーナリズムの手法が全く異なる事象を叙述するのはただの偶然なのだろうか?それともドイツ語特有の問題なのか、分からない。
コメント
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