Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ユーモアに佇む齧り付き

2008-01-04 | 生活
元旦の午前中に、ノイシュタットのビュルガーガルテンの辛口キャビネット2005年物を飲んだ。予想通り、既に経年変化の熟成が進んでいて、最初の頂点は過ぎ去っていたようだ。更に二年ほど経てば、地所の特徴である薔薇の香りが出てくるかもしれないが、味のバランスはあまり期待出来ない。まあ、もう一本あるが、あまり面白くないと思って、今更無理して開ける必要はない。最低二年ほどは寝かしておいて、僅かな可能性に賭ける。

しかし一般的に加齢による熟成は、決して否定的なものとは限らない。今年のノイヤースコンツェルトを指揮した、あのマリア・カラスの伴奏を多く務めた当時新進気鋭のフランス人指揮者も、今や83歳の経験豊かなマエストロである。そのジョルジュ・プレートルの最近の演奏は、やはりTVで少し垣間見た覚えがあるが、なんと言っても若い頃のイメージが強い。それが、ダイナミック且つ鮮烈な演奏として記憶にあるので、あまりこうした軽い演奏会は期待していなかった。更に初登場とは全く知らなかった。

それが意外にも、チャーミングさを振りまいていた、あの当時と変わらぬ新鮮さと更に幾らかの人間的な老獪さみせる指揮振りを楽しむ事が出来た。この新年の演奏会であれほどにこの管弦楽団特有のあの美しい響きを聞いたことは未だ嘗てない。やはり音が美しくなるのは、オッフェンバックであろうがシュトラウスであろうが、美点でしかなく、その楽譜を補うバランス感覚は立派なものである。

オッフェンバックは、色々な意味で聞かせるのは容易ではないが、こうしてヴィーンでフランス人指揮者が共同作業の成果を示すのを観るのは犬猿の仲の両国の今や仲裁役であるドイツから見ると喜ばしい。

オッフェンバックは、ここでも書いたが、その音楽以上にそれが持っている文化的な背景までを含めてとても興味がある。先日、偶々BLOG「在仏熊猫日記」のひでさんがリヨンの新演出「パリの生活」に出演すると読んで、早速ライヴ放送をネットで聞いた。どちらかと言えば、あまりに立派過ぎる印象があったが、France3で放映されるので時間があれば、じっくり観てみたいと思っている。

しかし、そうした欧州の共通の価値観と趣味や生活感の差は、会場に招待されていた中共からの高官の欠伸や挑むような顔つきにより以上コントラストとして表現されていた。オリンピックを前にしたランランの宣伝ともども大変な身所であった。

一度、BLOG「ドイツ音楽紀行」で話題となった映像と音楽伝達の時間差でバレーシーンを音楽に合わせる問題も、今回は会場のライヴに繋ぐことでより一層手が込んでいた。特に、VIDEOを強調した映像は、そのライヴへ流れ込む場面とのコントラストを強くしていた。数台のカメラを切り替える技術こそがこうした映像をライヴ音楽に合わせるキーポイントのようだ。

中共官僚の前に進み出た踊り子に必死にカメラを向ける典型的な高級お役人さんの姿がとても面白かった。
コメント
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