Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

枝打ち作業の行動様式

2008-01-12 | アウトドーア・環境
ワインの枝落しをまた見学した。天気は良いが、お湿りが少しあり散歩の者は殆ど皆無であった。兎に角、運動不足解消に散歩をしているのだが、これだけ見ものがあるとどうしても予定時間以上歩いてしまい、帰宅する頃には陽が暮れていた。

前々からフランクフルト在住の方のワインのHP「WEINGAU」を知っていたのだが、今回キーワード「ダイデスハイム」の検索で再会して、なるほど剪定へのかなりの拘りと、アマチュアーのワイン愛好家としての基本姿勢とその観察眼が改めて好印象を与えた。逆L字型の這わせ方の記述などなるほどと思わせるのであった。

こちらは、そう言えば昨年の試飲会の見学で詳しく手入れ方法にも言及されていたのだが、まだまだそこまでの関心がなくその内容はよく思い出せない。また春にはその話を質問することになるだろう。

そのような事情で、いたって観察眼も拘りもなく好い加減に散策していても、突如の発見もある。地所ウンゲホイヤーの斜面の最上部に小さい区画があり、酒場でお馴染みの醸造所のその葡萄を見ると、枝を切りながらもそのまま残しているではないか。つまり、剪定だけを終えて、針金を揺らす枝を取り除く作業を後まわしにしているのである。遠く目には、まだ枝落しをしていないように見えるのである。

しかし、これが素人には面白い。その枝落としの過程と選択がそのまま残されているのであるから、何を切り何を残すかの価値基準が見て取れるからである。そうして見ると、昨年に残された枝こそが太く老朽化して役立たずになっているのが一目瞭然である。葡萄は摘みとられた。そして、新たな枝こそが残される。

面白いのは、こうして切断後に枝が枯れて蔓から落としやすくなるのかどうかは判らないが、その横着のように見える作業工程である。想像するに、剪定は目のある者がやり、後の掃除はなにも分からない者にやらせるのだろう。

そのように思ってみていると、マイクロバスが大きな音を立てて上がって来る。暫らくする内に四・五人の男が、エアーのコンプレッサーの騒音の中で枝落としを猛スピードの流れ作業で行なっていた。農協ではなかったが、なるほどこうした行動部隊がもしかすると請負で作業をしているのかもしれない。

先日からの手作業でこつこつと庭師の如く働く枝落とし作業とこうした効率とマスを上位においた方法の差異がどうしても気になるのである。当然の事ながらこうした効率優先はそのワインの醸造コンセプトにも表れているに違いない。

しかし、その作業の差は摘み取りの差ほどに異なるのだろうか?しかし、少なくとも馬に牽かせて土壌を改良するか。トラクターにやらせるかの差よりも大きいとは思われるのである。見学する者にとっての大きな差は、その騒がしさの環境音でしかない。

枝落としの考え方は、再び春に詳しく尋ねるとして、先ずここではその作業態度の相違に注目しておけば良いであろうか。これはなにもワインの質の良し悪しの問題でなくて、環境の中での行動様式として先ずは見ておくべきであろう。



参照:ワインの質は剪定が重要! (ソムリエドイツ特派員便り)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする