Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

夜長をタブレットで観劇

2014-11-05 | マスメディア批評
ヒーターを点けていないので - 点けたいのだがメーターが故障していて止められてしまっている -、夜は八時過ぎに床に入る。となると、ベットで映画などを見る時間ができる。残念ながら読書とならないのは、読書はもう少し快適な環境が望まれるからである。そこで観たのは前回の「逃亡者」に続いて「刑事コロムボ」シリーズである。これも新しいシリーズはドイツ語で古いシリーズは日本語で観ている。今回観たのは「セックスと既婚刑事」と称するエピソードである。見覚えが無かった。

やはりその筋運びや見せ方などが見事だと思った。これも逃亡者や寅さんシリーズと同じでパターンや時間運びは決まっているのだが、殺人犯の刑事の視線と第三者の視線が交差するようになっていて視聴者をあきさせない。科学的証拠や監視カメラになれた現在の我々からすれば荒唐無稽に見えるような犯罪や捜査が展開するのだが、この台本作家の真骨頂は犯罪心理を描くことにあるのだと改めて気がつくのだ。

その昔も二国語放送の初期にチューナーを購入して観た記憶があるのだが、今回改めて観ると、LAが舞台でも各界有名人の殺人犯の台詞がとても魅力的なことに気がつく。流石にハリウッドの歴史や人材がこうしたところに活かされているのだろう。かつて英語の勉強と思って試みていたときには筋を追うのがやっとで分かりようも無かった台詞回しである。そもそもこのシリーズは何語で観ようと筋もややこしくて全体における意味をつかむのが難しいように出来ているのだが、もともとそこに力点が無いとすれば敢えてそのように拵えてあるのだろう。だから、有名俳優が演じるそれがお茶の間で楽しめるというのが売りでもあったのだろう。

コロムボを演じるピーター・フォークもいかにも馴れ馴れしいイタリア系移民らしい感じであるが、毎回のように主役が変わるというのが凄い。その後に「スパイ大作戦」のピーター・ブレーブスの中頃のシリーズを観たが、ジム・フェルプスの銀髪(プラチナブロンドとは呼ばれていなかった)ほどには強い個性が無かった。「スタートレック」の船長のウィリアム・シャトナーが出ているエピソードであったが、騙されて過去に戻るような情景の演技はまるでスタートレックのタイムマシン効果と同じ演技で、まるでそれを専門としているようで面白かった。

先日亡くなったジェームズ・ガーナーの「ロックフォードの事件簿」や「新聞記者コルチャック」など、クリント・イーストウッドの「ローハイド」までは戻らないでも多くの観たいシリーズがYOUTUBEに盛沢山である。

一夜明けて、週明けの一走りは沢沿いを奥までつめた。往路13分2200歩に対して、往復26分で5350歩の少ない歩数が興味深かった。登り主体のはずだが、往路の短いピッチが影響しているのだろう。



参照:
証人喚問を終えて摩訶不思議 2014-07-24 | 生活
先駆けの合理的判断 2014-05-24 | 文学・思想
コメント
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