Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

熱いシャワーの美学

2014-11-12 | アウトドーア・環境
相変わらずヒーターの無い室内で暮らしている。ここまでやれば、2014年度の光熱費支払いを拒否する意志が揺るぐことはなくなる。そもそも十数件のアパートメントの全体の光熱費の二割強をその居住面積案分から私が支払っているので、先の冬に使用していた支払いたくない光熱費も二割以上負担することになるのだ。

ヒーターの無いことでどうしても床に就きがちになり、タブレットとの付き合いが増え、ワインの消費量が伸びるが、一方で暖かい部屋では味わえない愉悦もあるのだ。これは、HIFIファンならば知ってるように、スピーカーからの音質が向上するのである。機械は時間をかけて温める一方、室内温を下げることでより素晴らしい音が煌めくことになるのである。これはなにもHIFIに限らない物理現象であり、当然のことながら録音される場所の空気も温度が低ければ低いほど録音の音質は良くなる。文学的に「澄んだ空気感」と呼ばれるものなのだ。

そうした環境で、先日購入したCDからマーラーの交響曲などを鳴らすと、驚かされるものがある。シカゴ交響楽団でのアバド指揮によるマーラーの録音シリーズは馴染みのものであったが、デジタル録音は七番しか所持していなかったので今回追加購入して改めてビックリした。アナログ録音では聞き取れなかった細部やダイナミックスの絶妙さなどが究極の美しさであり、西欧化した磨かれた美しさに唖然とするのである。

録音の1980年ごろは、マーラールネッサンスのバーンスタインの指揮やシカゴの交響楽団を鳴らし切るショルティー指揮などの極め付けがあったのであるが、このシリーズも比較的早くレフェレンス録音として扱われていたことも思い出す。今回、新しい再生機でこうして鳴らすと、当時の管弦楽団録音の頂点であったことが確認されるのである。同時に、バーンスタインが日本などで披露したマーラー解釈実践の強烈な印象の呪縛から ― その解釈実践の説得力は権威でさえあった ― ようやくこうした録音芸術の美学で解放される思いなのだ。

しばしば陽射しがあった。沢沿いをキュロットとフリースで走る。往路13分2208歩、往復27分4438歩であった。沢の奥では陽射しが届かなかった摂氏6度ほどであったが、結構汗を掻いた。部屋にヒーターが無くても陽射しがあって、汗を掻いて熱いシャワーを浴びれば幸せだ。バルコンの内側で、膝に乗せたノートブックが温かい。



参照:
エリートによる高等な学校 2014-11-03 | 文化一般
原音再生を意識させるCD 2014-08-08 | テクニック
コメント
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