レーゲンスブルク大学での教皇の講演発言がイスラム世界で問題となっているらしい。今回のドイツ訪問でのメッセージは、カトリック教会を欧州のものとして他の世界と切り離した考えに基づく、ミサでの発言や言動が基本となっているようである。ヴァチカンの新方針と言うか、旧世界に根を下ろした宗教として、その文化の核として欧州と心身ともに一体化するのが目的であろう。
さて問題の発言は、理性と信仰の対話の中で、ミュンスターのコウリー教授の著したビザンチンの皇帝エマニュエル二世とペルシャ人との対話内容に啓発されたとして語られる。
つまり1391年、アンカラにある冬の館でキリスト教とイスラム教が対比される。そしてコンスタンチノーブルで聖書とコーランの全域に渡って、神の姿と人の姿が、また新旧のテスタメントとコーランの掟が対話の中で交換されていく。
その中の七話にて皇帝は聖戦ジハードを話題とする。皇帝はもちろんスーレには信仰は強制ではないように記されていると承知していたが、その当時はモハメッドも力なく圧迫されていたころのことである。皇帝は、書の所有や非信仰者に対する扱いの細部を受け入れることなく、驚くほど毅然とした態度で「信仰と暴力」の中心的疑問に立ち向かったと言う。
「モハメッドが一体何を齎したか示してみなさい。そこにはただ非人間的で邪悪なものを見出すだけだ。それは、彼が剣にかけて説教をして創設した信仰なのである。」。
ここで皇帝は、暴力による布教の不毛を説いている。もちろん現教皇がこれを語るときは、十字軍運動などの婉曲的な自己批判でもあるのだろうが、主旨は全く別な所にある。信仰の理性を説くことがここでの主題であって、その基礎に先ずギリシャのロゴスを置く。
つまり、キリスト教の基礎にギリシャのロゴスを置くと同時に、その後の脱ヘレニズムの経過を説いている。16世紀の宗教改革における脱ヘレニズムを、そして19世紀20世紀の脱ヘレニズムを示す。
「神に対して耳を持たない、宗教をサブカルチュアーとする理性は、文化の対話には役立たない。」―
「そこで私が指し示そうと試みているのは、現代の自然科学的理性が、そこに有するプラトニズム的要素そのものが疑問を呈していると言う、その方法論的可能性を証明する事なのである。」
そして、最後に再び、西洋が自らの理性の翻意に苦しめられており、それがただ大きな被害を齎らすこと、更なる理性への勇気と、偉大なもへの非拒絶、そうしたものが信仰に必要な神学を現代の議論に持ち出すプログラムなのであるとする。
「理性の延長線上に、この偉大なロゴスに、文化の対話として他者を導こう。」として、異文化との対話として解釈できる。モハメッド批判は上手に皇帝の発言の引用となっていて、これはヴァチカンの言葉ではない。これは幾らイスラム世界で批判されても謝りようが無い。
実は、結論の前に敢えて、一節を挿入して強調している。それは、現在三度目の脱ヘレニズム化が進んでいるとする見解と、マルチカルチャー時代に、人はギリシャ文化との合成を異文化へのキリスト者の最初の教化とする考えについてである。
「この背景には、新約聖書のメッセージそのままに、各々が教化されるのを避けると言うような権利があるとする考えがある。この考え方は、決して全くの誤りではない。ただ、いささか大雑把過ぎて正確ではないだけなのである。新約聖書はギリシャ語で書かれていて、旧約聖書にて熟しているギリシャ精神を有しているのは当然なのである。古代教会がなり行く過程において必ずしも全ての文化に当てはまるものを抱合して行った訳ではない。」。
また、プラトニズムスやカーテニアニズムスと経験論間の合成のなかでの技術的成果を現代の理性として手短にまとめ、一方においては言う所の内的な合理性が物質の数学的構造を前提としていて、そうした形態を扱いやすくしているので、カントが信仰を実践理性に閉じ込めて、現実全体に理性を定義したとする。
こうして語られる内容は、決してイスラム社会に向けられたものでも古い神学的解釈でもなくて、今日の文化・文明論であると共にむしろ政治的な意図を多く含んでいる。
参照:テヘランからの恋文 [ 文学・思想 ] / 2006-09-15
さて問題の発言は、理性と信仰の対話の中で、ミュンスターのコウリー教授の著したビザンチンの皇帝エマニュエル二世とペルシャ人との対話内容に啓発されたとして語られる。
つまり1391年、アンカラにある冬の館でキリスト教とイスラム教が対比される。そしてコンスタンチノーブルで聖書とコーランの全域に渡って、神の姿と人の姿が、また新旧のテスタメントとコーランの掟が対話の中で交換されていく。
その中の七話にて皇帝は聖戦ジハードを話題とする。皇帝はもちろんスーレには信仰は強制ではないように記されていると承知していたが、その当時はモハメッドも力なく圧迫されていたころのことである。皇帝は、書の所有や非信仰者に対する扱いの細部を受け入れることなく、驚くほど毅然とした態度で「信仰と暴力」の中心的疑問に立ち向かったと言う。
「モハメッドが一体何を齎したか示してみなさい。そこにはただ非人間的で邪悪なものを見出すだけだ。それは、彼が剣にかけて説教をして創設した信仰なのである。」。
ここで皇帝は、暴力による布教の不毛を説いている。もちろん現教皇がこれを語るときは、十字軍運動などの婉曲的な自己批判でもあるのだろうが、主旨は全く別な所にある。信仰の理性を説くことがここでの主題であって、その基礎に先ずギリシャのロゴスを置く。
つまり、キリスト教の基礎にギリシャのロゴスを置くと同時に、その後の脱ヘレニズムの経過を説いている。16世紀の宗教改革における脱ヘレニズムを、そして19世紀20世紀の脱ヘレニズムを示す。
「神に対して耳を持たない、宗教をサブカルチュアーとする理性は、文化の対話には役立たない。」―
「そこで私が指し示そうと試みているのは、現代の自然科学的理性が、そこに有するプラトニズム的要素そのものが疑問を呈していると言う、その方法論的可能性を証明する事なのである。」
そして、最後に再び、西洋が自らの理性の翻意に苦しめられており、それがただ大きな被害を齎らすこと、更なる理性への勇気と、偉大なもへの非拒絶、そうしたものが信仰に必要な神学を現代の議論に持ち出すプログラムなのであるとする。
「理性の延長線上に、この偉大なロゴスに、文化の対話として他者を導こう。」として、異文化との対話として解釈できる。モハメッド批判は上手に皇帝の発言の引用となっていて、これはヴァチカンの言葉ではない。これは幾らイスラム世界で批判されても謝りようが無い。
実は、結論の前に敢えて、一節を挿入して強調している。それは、現在三度目の脱ヘレニズム化が進んでいるとする見解と、マルチカルチャー時代に、人はギリシャ文化との合成を異文化へのキリスト者の最初の教化とする考えについてである。
「この背景には、新約聖書のメッセージそのままに、各々が教化されるのを避けると言うような権利があるとする考えがある。この考え方は、決して全くの誤りではない。ただ、いささか大雑把過ぎて正確ではないだけなのである。新約聖書はギリシャ語で書かれていて、旧約聖書にて熟しているギリシャ精神を有しているのは当然なのである。古代教会がなり行く過程において必ずしも全ての文化に当てはまるものを抱合して行った訳ではない。」。
また、プラトニズムスやカーテニアニズムスと経験論間の合成のなかでの技術的成果を現代の理性として手短にまとめ、一方においては言う所の内的な合理性が物質の数学的構造を前提としていて、そうした形態を扱いやすくしているので、カントが信仰を実践理性に閉じ込めて、現実全体に理性を定義したとする。
こうして語られる内容は、決してイスラム社会に向けられたものでも古い神学的解釈でもなくて、今日の文化・文明論であると共にむしろ政治的な意図を多く含んでいる。
参照:テヘランからの恋文 [ 文学・思想 ] / 2006-09-15