9月1日(月曜)に、雨竜中学校第11回卒業生(昭和34年3月卒業)の同期会に出席しました。同期会は原則として、本拠地の雨竜町と札幌など他市町村を会場として2年ごとに行われています。前回旭川市内で行われた同期会には欠席したので、今回は当初から出席する予定でおりました。案内状を見ると、今回の同期会は、滝川市内のホテル三浦華園となっています。滝川市は、高校時代に通学した町でもあり、三浦華園も、高校時代の同級生の実家であって、何度か遊びに行ったこともあります。多分、地元の雨竜町では宿泊の確保等が難しいことから会場を移したものと思われます。
本来は一泊したかったのですが、翌日2日は、持病の定期検査があって、どうしても受診する必要があったので、やむなく日帰りしました。案内状によれば、記念撮影が午後5時、祝宴開始が午後7時で(ん?2時間も間がある)、ともかく午後3時頃自宅を出て、車で2時間もあれば滝川に着くはずです。途中景色のいいとこに立ち寄って撮影しても…
小樽から国道5号線を走って銭函に入り、石狩市の八幡から当別町、月形町にに出ます。あとは275号線沿いの田園地帯を両側に見てまっすぐ進めば、滝川市の隣町新十津川町に出ます。石狩川の橋を渡れば、滝川市です。銭函から石狩の八幡までは道の両側は雑木林ですが、八幡を過ぎれば、見渡す限りの米作・畑作地帯。幸い好天で、東側の山々からは夏雲が立ち上っています。
当別市市内を過ぎたあたりに、いつも不思議に思う光景があります。本来なら直線道路になるはずが、そこに大きな送電線の鉄塔が立っているために、その周囲を半円を描くように迂回します。しかも、いつ通っても(ここ数年)道路工事の最中で、この辺りは砂利道が続くのです。
当別を出て中小屋あたりでしょうか、手前は収穫後の畑作地で、耕されていました。この後何か植えるのかもしれません。
275号線と並走するように国道12号線が走っています。この道も12号線に出る道のようです。入道雲らしき雲がいくつも湧き立っています。田圃の稲穂も徐々に黄金色になってきています(撮影時9月1日)。中・下旬頃には稲刈り時期を迎えます。
あちこちで停車してパチリ、パチリしていると、時間があっという間に過ぎてしまいました。浦臼町あたりで午後5時が近づいてきました。まあ、記念写真なんぞ、もれたって別に…と思いながらも、ついスピードが出てしまいます。
午後5時を幾分過ぎたころにやっと会場である三浦華園に到着しました。会場入り口で会費を納入するとすぐに、記念写真撮影ですとのことで、写真撮影専用の部屋へぞろぞろ移動します。
髪の毛が白くなったり、薄くなったり、禿げたり…、中学校を卒業して55年を経過すれば…それ相応の滑降になります
午後7時までの宴会開始まで時間がありますので、三浦華園の中を見せて頂くことにします。このホテルは明治時代に創業し、皇族方や文学者などにも利用された由緒あるホテルです。母屋の方は、滝川市の歴史的遺産にも指定されています。検索サイト「やど日本」のによれば次のように記されています。
<三浦華園>
創業120年の歴史と伝統があり、皇族はじめ著名人の宿泊が多い。
滝川市は、札幌から60分、旭川まで45分、富良野まで車で60分と、道央の拠点です。国木田独歩の名作「空知川の岸辺」や林芙美子の「摩周紀行」など、小説の中でも、三浦華園が登場し歴史の深さは滝川の街と共に歩んでまいりました。
この画像は、三浦華園のHPから借用しました。ホテル部分は近代的な建物ですが、母屋の方は年代を感じさせるものがあります。
フロントに、かねてからの知り合いである先代の社長を訪ねましたが、あいにく外出中でした。営業部長の稲葉氏が雅子さまが宿泊された部屋や滝川の観光大使である横綱白鵬のコーナーを案内しくれました。
昭和63年皇太子妃殿下雅子さまが宿泊された部屋で、のちに黒柳徹子の母黒柳朝「NHKTVドラマちょっちゃんが行く」に関するコナーもありました。現在はブライダル関係のコーナーとなっていました。
さて肝心の同期会ですが、記念写真を撮影後2Fライラックの間にて開始です。152名の卒業生のうち物故者が8名おり、黙とうをささげました。続いて発起人を代表して南君が挨拶、出席者を代表して浅田君が挨拶、恩師である大西先生の挨拶と続きます。その後はビールとウーロン茶で乾杯、祝宴の始まりです。車で帰る予定の私は、一切アルコールに手を付けませんでした。もっとも下戸なので…
乾杯の跡は入り乱れて…昔話に花が咲きます。
中には何十年ぶりに会う人もいて、外見は老けても、一旦学生時代の話になると…
中学2-3年生頃の写真、懐かしい思い出がいっぱい詰まっています。音信不通の方も何名かいて…、右側中段の画像、弁当を食べている左側の人物は源君、今回も出席してますが画像がない。彼は道内でも有名な俳諧師(徘徊ではありません)で「源 鬼彦」と言うペンネームで北海道新聞の芸能俳句コーナーを受け持っています。
最遠隔地の広島市から、駆けつけてきた鈴木(旧姓梅津)さん、過日の豪雨災害の話も出ました。
その旧姓梅津さんを囲んで、後方は横山君と伊藤君。横山君(左、黄色のシャツ)は東京都内の大手スーパーを定年退職後、埼玉の自宅での菜園作りに飽き足らず、軽井沢の農村地帯に転居、本格的な晴耕雨読の生活に入った変わり者(私の目から見て)。伊藤君(後方右)は、タクシー会社の観光事業部を担い、退職後も時折観光客を乗せて小樽に来ます。その折にはメルヘン広場でよく雑談をします。
左は森木君、大手精密機械のコンピューター部門で活躍、イギリスの工場に4年間駐在、異色の経歴を持つ。退職後大病を患ったものの完全に回復、私が東京の本店勤務時に、彼のお宅に何度か泊まったこともありました。右は浅田君、中学校の時は生徒会長で、常にリーダー役を担っていました。大手電機メーカーの札幌支店長時代は、私も札幌勤務で、よくお会いしました。退職後はダンスとかっぽれを踊るのが趣味とか…
恩師大西先生を囲んで、左は大熊君、彼については4月20日付ブログ「故郷は近くにあっても…」(さっぽろ雨竜会に出席して)に詳しく述べましたが、機械式時計の修理に関しては右に出るものなしで、NHKの全国放送でも取り上げられました。
まだまだ話は尽きないのですが、予定の時間が迫っており、あとは二次会へと場所を移して語ろうということになりました。校歌とふるさとを全員で合唱して締めとなります。
校歌合唱の後は、全員手をつなぎ、ウサギ追いし、彼の山、小鮒釣りし彼の川…
なお、酔った勢いでしょうか、次回の同期会を2年後ではなく、来年の8月下旬、沼田町でおこなわれる「夜高(ようたか)あんどん祭り」に合わせて開催するという。ううん?大丈夫かな、関東以西からの参加者もいるんですが…
さて、二次会には出席せずに、一旦江竜橋付近で夜景を撮影することにしました。江竜橋は滝川市の江部乙と石狩川をまたいで、雨竜町を結ぶ橋です。中学生の頃は、橋がなくて、夏は渡船、冬は馬そりで渡った記憶があります。数年前にそれまでの古い橋から立派な橋に建て替えられています。この時季は空気が澄んでいるので夜空の星が綺麗に撮影でます。
正面に北斗七星が映り込みました。左へ行くと雨竜の市街地に出ます。右は橋を渡って菜の花で有名な江部乙に出ます。
ここで夜景を数カット撮って、母校の雨竜中学校に行って見ました。午後9時過ぎでしたが、教室には照明がともっていました。
上段が現在の中学校で、下段が卒業アルバム(S34年3月)から転写した中学校
思い出は尽きないのですが、また会う日を楽しみに、小樽へ直行です。
本来は一泊したかったのですが、翌日2日は、持病の定期検査があって、どうしても受診する必要があったので、やむなく日帰りしました。案内状によれば、記念撮影が午後5時、祝宴開始が午後7時で(ん?2時間も間がある)、ともかく午後3時頃自宅を出て、車で2時間もあれば滝川に着くはずです。途中景色のいいとこに立ち寄って撮影しても…
小樽から国道5号線を走って銭函に入り、石狩市の八幡から当別町、月形町にに出ます。あとは275号線沿いの田園地帯を両側に見てまっすぐ進めば、滝川市の隣町新十津川町に出ます。石狩川の橋を渡れば、滝川市です。銭函から石狩の八幡までは道の両側は雑木林ですが、八幡を過ぎれば、見渡す限りの米作・畑作地帯。幸い好天で、東側の山々からは夏雲が立ち上っています。
当別市市内を過ぎたあたりに、いつも不思議に思う光景があります。本来なら直線道路になるはずが、そこに大きな送電線の鉄塔が立っているために、その周囲を半円を描くように迂回します。しかも、いつ通っても(ここ数年)道路工事の最中で、この辺りは砂利道が続くのです。
当別を出て中小屋あたりでしょうか、手前は収穫後の畑作地で、耕されていました。この後何か植えるのかもしれません。
275号線と並走するように国道12号線が走っています。この道も12号線に出る道のようです。入道雲らしき雲がいくつも湧き立っています。田圃の稲穂も徐々に黄金色になってきています(撮影時9月1日)。中・下旬頃には稲刈り時期を迎えます。
あちこちで停車してパチリ、パチリしていると、時間があっという間に過ぎてしまいました。浦臼町あたりで午後5時が近づいてきました。まあ、記念写真なんぞ、もれたって別に…と思いながらも、ついスピードが出てしまいます。
午後5時を幾分過ぎたころにやっと会場である三浦華園に到着しました。会場入り口で会費を納入するとすぐに、記念写真撮影ですとのことで、写真撮影専用の部屋へぞろぞろ移動します。
髪の毛が白くなったり、薄くなったり、禿げたり…、中学校を卒業して55年を経過すれば…それ相応の滑降になります
午後7時までの宴会開始まで時間がありますので、三浦華園の中を見せて頂くことにします。このホテルは明治時代に創業し、皇族方や文学者などにも利用された由緒あるホテルです。母屋の方は、滝川市の歴史的遺産にも指定されています。検索サイト「やど日本」のによれば次のように記されています。
<三浦華園>
創業120年の歴史と伝統があり、皇族はじめ著名人の宿泊が多い。
滝川市は、札幌から60分、旭川まで45分、富良野まで車で60分と、道央の拠点です。国木田独歩の名作「空知川の岸辺」や林芙美子の「摩周紀行」など、小説の中でも、三浦華園が登場し歴史の深さは滝川の街と共に歩んでまいりました。
この画像は、三浦華園のHPから借用しました。ホテル部分は近代的な建物ですが、母屋の方は年代を感じさせるものがあります。
フロントに、かねてからの知り合いである先代の社長を訪ねましたが、あいにく外出中でした。営業部長の稲葉氏が雅子さまが宿泊された部屋や滝川の観光大使である横綱白鵬のコーナーを案内しくれました。
昭和63年皇太子妃殿下雅子さまが宿泊された部屋で、のちに黒柳徹子の母黒柳朝「NHKTVドラマちょっちゃんが行く」に関するコナーもありました。現在はブライダル関係のコーナーとなっていました。
さて肝心の同期会ですが、記念写真を撮影後2Fライラックの間にて開始です。152名の卒業生のうち物故者が8名おり、黙とうをささげました。続いて発起人を代表して南君が挨拶、出席者を代表して浅田君が挨拶、恩師である大西先生の挨拶と続きます。その後はビールとウーロン茶で乾杯、祝宴の始まりです。車で帰る予定の私は、一切アルコールに手を付けませんでした。もっとも下戸なので…
乾杯の跡は入り乱れて…昔話に花が咲きます。
中には何十年ぶりに会う人もいて、外見は老けても、一旦学生時代の話になると…
中学2-3年生頃の写真、懐かしい思い出がいっぱい詰まっています。音信不通の方も何名かいて…、右側中段の画像、弁当を食べている左側の人物は源君、今回も出席してますが画像がない。彼は道内でも有名な俳諧師(徘徊ではありません)で「源 鬼彦」と言うペンネームで北海道新聞の芸能俳句コーナーを受け持っています。
最遠隔地の広島市から、駆けつけてきた鈴木(旧姓梅津)さん、過日の豪雨災害の話も出ました。
その旧姓梅津さんを囲んで、後方は横山君と伊藤君。横山君(左、黄色のシャツ)は東京都内の大手スーパーを定年退職後、埼玉の自宅での菜園作りに飽き足らず、軽井沢の農村地帯に転居、本格的な晴耕雨読の生活に入った変わり者(私の目から見て)。伊藤君(後方右)は、タクシー会社の観光事業部を担い、退職後も時折観光客を乗せて小樽に来ます。その折にはメルヘン広場でよく雑談をします。
左は森木君、大手精密機械のコンピューター部門で活躍、イギリスの工場に4年間駐在、異色の経歴を持つ。退職後大病を患ったものの完全に回復、私が東京の本店勤務時に、彼のお宅に何度か泊まったこともありました。右は浅田君、中学校の時は生徒会長で、常にリーダー役を担っていました。大手電機メーカーの札幌支店長時代は、私も札幌勤務で、よくお会いしました。退職後はダンスとかっぽれを踊るのが趣味とか…
恩師大西先生を囲んで、左は大熊君、彼については4月20日付ブログ「故郷は近くにあっても…」(さっぽろ雨竜会に出席して)に詳しく述べましたが、機械式時計の修理に関しては右に出るものなしで、NHKの全国放送でも取り上げられました。
まだまだ話は尽きないのですが、予定の時間が迫っており、あとは二次会へと場所を移して語ろうということになりました。校歌とふるさとを全員で合唱して締めとなります。
校歌合唱の後は、全員手をつなぎ、ウサギ追いし、彼の山、小鮒釣りし彼の川…
なお、酔った勢いでしょうか、次回の同期会を2年後ではなく、来年の8月下旬、沼田町でおこなわれる「夜高(ようたか)あんどん祭り」に合わせて開催するという。ううん?大丈夫かな、関東以西からの参加者もいるんですが…
さて、二次会には出席せずに、一旦江竜橋付近で夜景を撮影することにしました。江竜橋は滝川市の江部乙と石狩川をまたいで、雨竜町を結ぶ橋です。中学生の頃は、橋がなくて、夏は渡船、冬は馬そりで渡った記憶があります。数年前にそれまでの古い橋から立派な橋に建て替えられています。この時季は空気が澄んでいるので夜空の星が綺麗に撮影でます。
正面に北斗七星が映り込みました。左へ行くと雨竜の市街地に出ます。右は橋を渡って菜の花で有名な江部乙に出ます。
ここで夜景を数カット撮って、母校の雨竜中学校に行って見ました。午後9時過ぎでしたが、教室には照明がともっていました。
上段が現在の中学校で、下段が卒業アルバム(S34年3月)から転写した中学校
思い出は尽きないのですが、また会う日を楽しみに、小樽へ直行です。
細かいことを申し上げてすみません。
同期の皆さんは色々様々な人生を歩み中学生の頃とのギャップを喜び思い出を語り尽きない一日だったことでしょう。
また、カメラマンなので往復楽しい犬棒式で撮影されて至福の時を過ごされたことでしょう。
わずか2時間足らずでしたが楽しいひと時でした。
雨竜に残った方々のほとんどは、米作りをやめてしまいましたね。後継者難、重農業用機械の重い負担、小規模農家は立ち行かなくなっているようです。
どこの世界も厳しい現実に直面しています。写真三昧で、他人をけなしているうちが花かも…
今回は宴会が1時間半しかなくて…2次会に出席しなかったので、多少物足りなかったのですが、次回に期待です。
だんだんと、先のことよりも、過去を振り返ることの時間の方が多くなってきました。間もなく終点なのかも…
でも、末の孫の振り袖姿、見るまでは…もうひと踏ん張りです。