紅露の写真日誌…北の大地・夢空間

小樽・札幌の風景、イベントが中心

水天宮界隈散策

2014-04-30 06:00:00 | 街中ウォッチング
                           <水天宮に向かう30度ほどの坂道を上がるのは容易ではない。途中何度も休みながら…>


4月も下旬に入ると、暖かい日が続き、セピアカラーから徐々に新緑の季節に変わりつつあります。道端の花壇にはクロッカスが咲き誇り、チューリップのつぼみが日に日に大きくなってきています。JR南小樽駅のエゾ山桜も、数日中には開花するのではないかと思われます。散策に出歩くには、ちょうど良い季節になりました。今回は水天宮界隈を散策してきました。

我が家からは、メルヘン広場を通って、堺町郵便局の横小路から相生町に出て、急な坂道を上がるのが最短距離になります。ただかなり急な坂道なので、途中何度か休みながら登ってゆきます。冬期間は、この坂道は途中までしか除雪されておらず、あとはケモノ道のような、前の人の足跡をたどって登ります。



登り切って、振り返ってみると…、冬期間道がなく、不便なことからでしょうか、両側には廃屋・空家が目立つようになりました。この坂道だけで4-5軒の廃屋・空家があります。


坂の頂上付近のこの家は、樹木が覆いかぶさり、枯れ枝が近づくのを阻止しているようにも見えます。


わずかに残雪がありますが、2-3日で消えてしまいます。


広場の片隅にある、石川啄木の歌碑。「悲しきは 小樽の町よ 歌うこと なき人々の 声の荒さよ」

<石川啄木と小樽について>
啄木は、明治40年9月家族で来樽。姉の夫である小樽駅長の官舎に寄宿し、小樽日報社の記者として記事を書きます。当時同じ新聞社に童謡詩人の野口雨情がおりました。しかし主筆との折り合いが悪く、12月に退社。翌明治41年1月家族を残して釧路に立つ。旧釧路日報社の記者となるが、ここも主筆との確執から3月に退社して東京に戻る。
明治40年1月4日、家族を残して小樽駅で読んだのが次の歌です。「子を背負いて 雪の吹きいる停車場に われ見送りし妻の眉かな」この歌碑は小樽駅そばの三角市場付近にあります。


もう一つの文学碑。セルフポートレートも兼ねました。この碑は、小樽出身の外科医・詩人の川邨文一郎のものです。


広場から外人坂を見ると、上がってきた先程の坂よりももっと急です。斜度40度ほどあるかもしれませんね。冬期間はとても怖くてここを降りることはできません。左隅は、カメラを縦位置で構えた自分の影。


かつてこの坂の麓にドイツ人が住んでいたことから「外人坂」の名がついたとか…。今はアパートの名前に、名称が残っているだけです。


水天宮は標高53m、小樽眺望地点の一つにあげられています。



水天宮周辺の案内標識を転載しました。赤文字は標識に追加したものです。

水天宮に至るには主に4つのルートがあります。①私がたどったメルヘン広場から郵便局の横小路を通って上がってきた坂道。この坂道には名前がありません。②外人坂を通る坂道。③花園橋を渡って、鳥居をくぐり階段を上がる道。④一方通行の職人坂の途中から曲がって旧堺小学校、旧寿原邸の前を通る道。この道が唯一車で上がれる道です。

一旦花園町方面に出てみましょう。石段を下りて、鳥居をくぐって左折すると、旅行者用の宿泊施設(Backpacker's Hotel)「杜の木」があります。


入り口の標識がユニークです。ここは有名だとみえて、JR南小樽付近で外国人旅行者によく所在を聞かれます。


杜の木のもう一本手前の細い道を上がると…宅配便のCMに出てきた尾道の町を思わせるような小路です。


その坂道から鳥居のほうに出る途中に、屋敷のような、かつては豪邸だったような廃屋があります。一本の木のために、壁の途中から木を外側に出しています。


鳥居付近から花園町方面を見ると、昔懐かしい三つ馬ゴムのアーケードがあります。


ここの交差点には老舗の喫茶・洋食店「ミレット」があります。以前は10件ほど国道寄りにありました。私が50年前の学生時代からありましたから…店主も代わっていないですね。


花園銀座街の端っこ、ミレットの向かいで見つけたとリスの看板。昭和30年代後半にTVのCMで人気になった「アンクルトム」ですね。トリスバーの止まり木で、飲むたびに顔が赤くなっていく宣伝でした。もう一つアンクルトムは、ASAHI PENTAXの宣伝にも出ていました。フランス語風に、「アサヒポンタックス」と発音していたのが記憶に残っています。

さて、再び水天宮に戻ります。境内には上がらず、車の通行が可能な左手に向かいます。社務所の横にあるのが旧寿原邸です。偶然にもクラシックな外車が駐車しています。


旧寿原邸は歴史的な建造物ですが、かなり痛みが激しく、維持費がかかるとして小樽市が保有していません。維持管理は民間に任されてはいますが…


旧堺小学校です。数年前に統合されて今は、市の関係機関が入っているようです。


小樽の財閥の子弟や有名人が数多く卒業した小学校ですが、周辺人口の減少から統廃合されてしまいました。


さらに進むと大きなマンション数棟の前に古い建物があります。旧板谷邸です。一時、正面見える海宝楼で、風呂&高級レストランを営業していましたが、積雪被害を機に廃業。広い敷地を利用して高層マンションが数棟建てられました。


歴史的な建造物から高層マンションへ、時代の流れですね。


旧寿原邸の後ろ側にも廃屋・空家がいくつかあります。冬期間交通の便が悪く、しかも山坂が多いとなれば…、この瀟洒な建物も新しいようですが住んでいる気配が感じられません。眺めは抜群でしょうね。なお、右手の大きな建物も空き家でした。


さて板谷邸に前の坂を、堺町通りの方へ降りてゆくと、勾配20%の標識があります。冬期間は車両交通止めとなります。


その道を降りてゆくと、堺町通りに出ますが、以前は、出たところに多喜二亭と言う寿司屋がありました。ここは旅館も兼ねていて、女性専用の「風旅篭」と言い、旅行雑誌にも取り上げられ、TVでも放映されたことがあります。ところが数年前に閉鎖され、今は寿司等の飲食店になっています。


まだまだご紹介したい画像がありますが、別の機会に取り上げたいと思います。次回は街中ウォッチング・南小樽市場界隈」を取り上げり予定です。
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モノクロで見る苗穂公園の春

2014-04-25 06:00:00 | 写真


4月も下旬に入ってようやく晴れ間が続き、春らしくなってきました。あれだけ道路の両側に積もっていた雪も、今はすっかり解けて、小路や日陰に残るだけとなりました。我が家の花壇でもやっとクロッカスが咲き始め、水仙が蕾を日に日に大きくしています。花壇は、幅50cm程奥行き3mほどの、申し訳程度の広さですが、花が芽吹くと、なんとなく気分が爽快になります。

今年は、この狭い花壇に昨年植えた行者にんにく(アイヌ葱)が、数十株根付き、15㎝ほどに成長、さっそく酢味噌和えが食卓にのりました。実にうまい!の一言でしか表せません…にんにくの匂い?退職後ですから気になりません。さて話は変わって、この時期話題になるのが、水芭蕉です。Facebook上でも都度都度水芭蕉の画像を見かけるようになってきました。内地では、尾瀬にまで行かないとみられない水芭蕉も、小樽では郊外の湿地帯であれば、どこにでもあります。身近な群生地は、長橋の苗穂公園が一番かもしれません。

と言うことで、4月19日(土曜)に一番下の孫娘(小5、綺里)を連れて撮影に行ってきました。なお、水芭蕉はみなさんが思うほど綺麗なものではありません。湿地の中で朽ちた葉っぱの下から顔を出しますので、周囲が汚れているのはもちろん、花自体にも汚れがついている場合が多いからです。なので汚れが目立たないように、今回はオールモノクロで撮ってみました。カラーも数枚ありますが、それは孫娘がコンデジで撮影した画像です。



まずは公園の入り口付近で一枚。なお苗穂公園は通年オープンとなっています。


奥に続く1本道の横には、雪解け水が小川となって流れています。


川のふちには、フキノトウも今が盛りと咲き誇っています。


100mほど進むと小さな沼があります。正式には「水生昆虫類ビオトープ沼」と言います。ここには水芭蕉が少しあって、右側にはオタマジャクシの卵が群れを成しています。


オタマジャクシの卵に手を触れる孫娘。全部元気に育てば、何十万匹かな?


孫娘がここで撮ったオタマジャクシの卵のカット。


ん?孫娘が、私を呼ぶので見ると…


孫娘が撮ったのは、この画像。


さらにここから30mほど先に水芭蕉の湿地があります。


モノクロだと分かりにくいかもしれませんが、水がちょろちょろ流れています。


センターフォーカスフィルターを使いました。流れる水の波紋が面白い模様になってます。


同じくセンターフォーカスフィルターで周囲をぼかしました。


同じ場所で、フィルターをソフトクロスに変えてみました。


クロスフィルターを使うと、水のきらめきがクロスしました。


水芭蕉の池を出てさらに奥に小道を進みます。500~600mほど先に、これまた春を代表する湿地に咲く花ザゼンソウの群生地があるのです。その間にも、撮影スポットがいくつもあります。運が良ければ、エゾリスがクルミを食べに降りてきます。またアカゲラが木をつつく音や姿も見ることが出来ます。残念ながら、今日はどちらも不在のようで…

突然孫娘が真上の枝を指さしました。指差ししたほうを見ると、灰色の小鳥が今にも飛び立とうとしています。ヤマセミのようにも見えますが、頭頂部が違うような気がします。森の自然観の職員に聞いて、図鑑で見てもらうと、コアカゲラにも似ていました。


私が撮った一枚。


孫娘がコンデジ(LUMIX TZ30)で撮った一枚。


小道の両脇には、あじさいに似たドライフラワー「蔓アジサイ」がたくさん落ちています。


苗穂公園を縦に横切るこの1本道は、近隣住民の憩いの路でもあり、散策する方々が多いのです。


オオバユリでしょうか、秋も終わりになると胞子が割れて、中の種が飛び出します。


熊笹の葉が、水たまりに影を落としています。よく見ると、オタマジャクシの卵が、びっしりと見えます。


よく見ると、三木のりへいに似ているようにも見えて…


ザゼンソウの群落が見えてきました。でもそのほとんどが朽ちた葉っぱや泥をかぶっていて、カラーだと汚く見えます。


カラーですと、周囲の泥が目立ちすぎます。


ついつい、近くに寄って小枝や汚れた落ち葉を取り除きたくなりますが…これ以上は立ち入り禁止区域です。禁止の看板も雪に埋もれ、破損していますが、入っていった足跡がいくつかあります。ルールは守りたいものです。


この少し先で、苗穂公園の出口に突き当たります。出口からさらに300-400m先に進んで右に折れると、沢地に出ます。その沢地に水芭蕉が群生しております。ただ群生地の隣には粗大ごみが山積みになっていて…、廃タイヤ、冷蔵庫、テレビ、そのほかベッドのスプリングが飛び出しています。孫娘がそのベッドに乗って上下にジャンプして…、およそ自然とは調和しない廃棄物に違和感を覚えますが、私有地とあれば…


奥に廃タイヤが山積みになっています。


上の画像で、孫娘が撮った1枚。


周囲が汚れているのでどうしてもアップの写真が多くなってしまいます。


あるいは周囲を大きくぼかすか…ソフトクロスフィルター使用。


枯れた実の付いた枯枝をもってご機嫌な孫娘。

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故郷は近くにあっても…

2014-04-20 06:00:00 | 日記
                                 <雨竜暑寒ダム『残雪の頃』 昭和59年5月3日撮影モノクロをカラー変換>


4月13日(日曜)に、札幌及び近郊に住む「雨竜町」出身者たちの会合・懇親会が、札幌市内のホテルで行われました。毎年この時期に行われ、会合案内が来るのですが、今回久しぶりに出席しました。会合は、第45回とありますので、昭和44年から行われているようです。現役で札幌に勤務していた十数年前に、1度出席したような気もするのですが…、案内状に、同級生の幹事浅田君から「いいスナップ写真が撮れる…」との添え書きがあって、ならばと出席することに…

なお、雨竜町は、空知(そらち)支庁管内にあって、ひまわりで有名な北竜町と接しています。このブログでも何度か撮り上げた「雨竜沼湿原」もここ雨竜町にあります。雨竜町に隣接する滝川市の高校を卒業してから、小樽市に転居し、その後は関東以北をあちこち転勤して歩きました。最終的に家内の実家のある小樽に定着したわけです。小樽と雨竜町は車で2時間ほどしか離れておりませんが、生まれ故郷とはいえ滅多に訪れることもなく…近くにあって遠い故郷と言えるかも。

小学校、中学校時代の同級生の多くが雨竜町に残っており、今なお農業等に従事している友人も多くおります。新聞等で雨竜の記事が出るとやはり見入ってしまいます。と言うことで札幌で開かれる会合に出席してみることにしました。ついでですから、中島公園と北大にもよってみました。


(1) 早春の中島公園

かなり雪解けが進んでいますが、公園内の道路わきにはまだまだ残雪が多く残っています。芝生も緑色には程遠く、雪の下から現れた枯れ葉に覆われたままです。


藤棚の蔓が幾何学模様を描いています。


豊平館は化粧直しの工事が続いています。春の日差しを浴びて、本を読みふけっている人がおりました。


奥の広場では、親子がボール遊びに興じています。


陽だまりのベンチでは、イヌの散歩に来た人々が集まって、イヌ談義…?


虎のジャケットを着たイヌ。


公園入口にある、幼児用演劇場「こぐま座」。

公園内はまだ残雪が多く、木々も新芽を吹くのはまだまだ先のようです。次は札幌駅前通りの地下歩行空間に行ってみることとします。地下鉄南北線に乗って、大通駅で下車します。大通駅と札幌駅を地下で結ぶのが、地下歩行空間です。毎日何らかのイベントが行われています。


ところどころにある光採り窓から差し込む陽がまぶしいほどです。


酪農関係の講演会が行われていました。おりからのTPP問題もあって、牛乳消費拡大キャンペーンの一環らしいです。


こちらはパフォーマーによる演技。周囲の人々の笑いを誘っていました。


(2) 北大構内には、休日にもかかわらず大勢の学生が…

日曜日なので閑散としていると思ったのですが、大勢の学生が行きかっていました。講演会でもあったのでしょうか。


歴史ある白亜の校舎(古河記念講堂)の前を正門出口に向かう学生の列。


学生食堂・レストランエルム横の沼(沼の名前不明)の周囲は残雪が多い。ベンチに座るのは外国人留学生でしょうか。


構内は広く、自転車で行きかう学生も多い。


男子学生4人と女子学生一人、リズムを取ながら、何かを食べているのかな、とよく見ると、アカペラの練習でした。足でリズムを取ながらマイクに向かって歌っているようでした。


北大博物館の入り口付近の看板に「イザベラ・バードの旅の世界写真展」とあります。


写真展なら入らない手はないと…、ここの博物館にも入ったことないし…


写真展の一部。写真展のチラシから古い写真の数々を予想していたら、古い写真だけでなく、最近撮影されたようなカットに、さらに銅版画のような絵もあって…

☆イザベラバードとは…
イギリス王立地理学会初の女性特別会員で、史上屈指の旅行家とのこと。22歳の時から70歳までの約半世紀にわたり、日本を含む全大陸を旅して旅行記を執筆した女性と言うことです。その旅をたどって、京都大学の地理学名誉教授の金坂清則氏が撮影した写真を展示したものです。5月11日(日曜)まで北大博物館で展示されています。


(3) 札幌うりゅう会は…

案内状によれば「当会は、会員相互の親睦を深めるため4月の『総会』と8月の『雨竜暑寒祭り』に、日帰りバスやマイカーで参加するふるさと応援団です」とあります。会合には雨竜町長はじめ数名の来賓も出席され、総勢55名となりました。


お会いしたことのあるような、ないような顔が…

札幌うりゅう会会長に続き、雨竜町長の挨拶があって、懇親会の始まりです。合間を縫って議会副議長、商工会副会長等の挨拶がありました。中でも話題となったのが次の2点でした。まず1点は、雨竜町出身の書道家「辻井京雲」氏のギャラリー墨響が道の駅「田園の里うりゅう」にできたということでした。


ギャラリー墨響について語る辻井京雲氏。辻井氏とは、雨竜町追分小学校で氏のお姉さんと私が同級生で、自宅数軒おいて隣どうしでした。


辻井氏のギャラリー墨響のチラシから。
(注:追記)H26.4.21(月曜)の北海道新聞・道央版に、道の駅「田園の里うりゅう」に辻井氏のギャラリーがオープンしたという記事が掲載されました。



宴会が進んで…、メインテーブルの辻井氏(右端)。


お酒をついで回る町長。


余興の始まり。まずは割り箸とタオルのハンカチで人形を作って…人形がユーモラスに踊る。


宝引きが始まりました。景品は雨竜町特産のお米、お菓子などいろいろ。


同級生の大熊君。もう一つの話題の主人公が彼です。なぜお祭りの豆絞りの鉢巻をしてるかって?それは、この後の余興のためです。

☆大熊清君
雨竜中学校昭和34年卒の同級生です。現在は札幌市発寒で時計店を営んでおります。北海道新聞朝刊に「匠の技 息づく」と言うシリーズで彼の技術が大きく取り上げられました。その後はNHKの全国ニュースでも取り上げられました。一躍その技術力が全国に知られるところとなり、遠く九州からも100年前の時計の修理依頼が来たと言います。


ちなみにHPのアドレスを紹介しておきます。古い機械式の時計ならいくら古くても修理が可能とのことです。
オオクマ時計眼鏡店:http://www.ookuma-watch.com/

さて宴会もたけなわ、事前に配られた豆絞りの手拭いを鉢巻に、昔懐かしい曲に乗って盆踊りです。全員で会場内を練り歩きます。なるほど幹事の浅田君が言っていた「いい写真が撮れるかも…」はこのことであったか。


幹事の一言「最優秀演技者には、8月24日の本番”雨竜暑寒祭り”で踊れるよ」


盗人かぶりも出て最高潮…


最後は、雨竜中学校校歌の合唱で締めです。


同じ町内の出身者とはいえ、世代間の違いもあって顔を見知った方は少ないものの、52年ぶりに隣人の友人に出会うなど、とても楽しいひと時でした。機会があれば次回以降も出席してみたいものです。




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美瑛の丘に広がるミステリーサークル~その2

2014-04-15 06:00:00 | 旅行


前回のブログ「美瑛の丘に広がるミステリーサークル~その1」では、小樽を出発してから、途中の三笠の旧炭鉱跡地、そして富良野マルシェ、鳥沼、八幡丘、富田ファーム、青い池を紹介してきました。今回は、白金温泉地区の模範牧場、美馬牛のクリスマスツリーの木を、ツアー二日目に回った地域をご紹介します。


(1) 白銀の中の白金模範牧場

青い池から白金模範牧場へは、白金インフォメーションセンターの手前にある皆空窯の横を通り、美望橋を渡ります。さらに15分ほど進むと、今は珍しくなったサイロが6棟横につながって立っています。夏場であれば放牧牛がのんびりと草を食んでいるのですが、冬場は厩舎の中で過ごしているのでしょう。ここも観光マップに紹介されている撮影スポットの一つなのですが、いつ来てもカメラマンは見かけないですね。


午後4時半過ぎ、陽の光がだいぶピンク色に染まり、影が長くなってきました。


日中の暖気で緩んだ雪原が、夕方再び締まると、細かなさざ波模様と、大きな筋が入ります。

さらに進んで、白金ゴルフ場を通って白樺街道に出ようとしましたが、冬期間は通行止めになっていました。やむなく来た道を引き返すことになりました。


後方の十勝岳連峰の一部から、白煙が立っています。


(2) たそがれ時のクリスマスツリーの木

時間が午後4時50分になりました。日の入りがほぼ5時半ですので、これから美馬牛のクリスマスツリーの木に向かえば、ちょうどツリーと夕景が撮影できます。5時20分ころ着くと、すでに5-6台の車両が道の両側に停車していて、カメラを構えている方が10数人おります。日中は割と暖かった温度も、急に冷え込み、素手でカメラを構えられないほどです。多分氷点下になっているようです。


寒さで震え、足踏みしながらシャッターチャンスを待つ人々。


コンデジ・PENTAX WG3で撮影し、内臓HDR機能で加工してみました。


ツリーの木の後ろに日が落ちる位置まで移動して撮影。


ツリーの木の左側、なだらかな丘の向こうに松林が見える。


撮影地の後ろ側も空が赤く焼けてきました。ミステリーサークルの向こうに木々が見えます。

やがて陽が丘の向こうに沈み、その後の夕焼けを待ちましたが、とにかく冷え込んで、これ以上車外に立っているのが辛抱できなくなりました。とりあえず旭川市内のビジネスホテルに向かうことにします。


ツリーの木の右手の林の向こうに日が落ちました。これ以上待っても暗くなるだけのようです。

<参考>
過去に撮影したクリスマスツリーの木を参考までにアップしておきます。


平成18年7月撮影 フィルムカメラからデジタルカメラに切り替えた直後に撮影したものです。やはり雲が少しあった方が映えるようです。
 

(3) パッチワークの丘に広がるミステリーサークル…

さて、二日目は、旭川市内のホテルを出て、美瑛町の北瑛に出ました。国道237号線を通れば、美瑛のぜるぶの丘に出ますが、ナビは近道を示し、北瑛のパッチワーク経由を示しています。ナビの通り進むと、この辺りは北西の丘展望台を中心に、丘陵地帯が続きます。ケンとメリーの木やセブンスターの木、親子の木など有名スポットが目白押しです。

さて、途中で朝日を撮影しようとしましたが、空模様が今一つはっきりしません。事前の天気予報では29日(土曜)、30日(日曜)ともに、ピカピカの晴れマークが出ていました。ところが今朝は、どんよりとして、霞がかかったような、曇り空です。午前5時半頃やがて東の空がピンクに染まり始めましたが…


この後一向に太陽が顔を出しません。太陽が顔を出さずとも、周囲の丘は一面ミステリーサークル状態です。


これで日が射してくれればいいのですが…


セブンスターの木も、こころなし淋しい限りです。


遠方にケンとメリーの木が見えています。周囲の丘には融雪剤の幾何学模様が広がっています。


セブンスターの木の駐車場の高台から、機とは反対側を見ると、同じような作りの家が見えます。


(4) パノラマロードを進む

国道237号線をまたいで南東側の三愛の丘や拓真館のある丘陵地帯を、パノラマロードとよんでいます。一面の牧草地や麦畑、そして遠くには雄大な十勝岳連峰が広がっています。撮影スポットはたくさんありますが、美瑛の市街から、拓真館方面に進むと福富にCMに使われた赤い屋根の家があります。撮影するも、残念ながら光の具合が悪く、絵になりません(参考までに、過去に撮影したカットを掲載)。少し進むと、丘の頂上に木が数本あって周辺が黒々としています。融雪残が散布された直後のようです。


手前は数日前に散布されたようで、模様がかなり崩れかけています。こうして見ると、融雪剤は、黒だけでなく、赤、青などの色があれば…などと勝手なことを思ってしまいました。


一本農道に入ると、ご覧の通り、道はアイスバーン状態。表面の氷と路面の間を雪解け水が流れている。歩くとつるつる状態で、早速写友のO氏がスッテンころりん。幸い怪我はなく…


周囲の丘を見渡すと、いたるところにサークルがある。

<参考>
CMに使われた赤い屋根の家の画像をあげておきます。手前の豆畑はその年によって、とモロコシになったり、ジャガイモになったりします。


やはり青空だと絵になりますね。

さらに先に進んで前田真三ギャラリーの拓真館に突き当たります。時間があれば、拓真館のギャラリー内の正面に掲げられている「麦秋鮮烈」を見たいものです。時間がまだ早いので周辺を回って…と思って案内板をよく見ると、なんと冬期間閉鎖の文字が…残念でした。この近くには、柳川押し花学園のおとぎの国のような家があります。


やはり曇天と冬であるために、家の美しさが出ません。

<参考>
夏のラベンダー最盛期に撮影した柳川押し花学園の画像は下のとおりです。


絵本から抜け出したような可愛い家です。

拓真館の横道から四季彩の丘に抜ける道路の両側も丘陵になっています。あちこちに融雪剤散布跡のサークルが見られます。


この二つの農作業小屋のある風景もよく見かけます。夏場は牧草ロールが点々としていますが、今は大きなサークルが描かれています。


オレンジ色のアウディが止まっています。車の中からオレンジ色のジャケットを着た若者が、カメラを構えていました。撮影後は颯爽と過ぎ去っていきました。


ハイキー調に撮影してみました。


この後四季彩の丘に行ってみましたが、開園時間前でしたが係員に無理を言って入らせていただきました。残念ながら前年撮影した風景以上の写真は取れませんでした。やはり曇り空で、メリハリのない画像になってしまいました。どうもこれ以上撮影スポットを訪れても、傑作が撮れそうもありません。時間はまだ午前9時前ですが、富良野・美瑛の撮影を終わって小樽に戻ることになりました。


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美瑛の丘に広がるミステリーサークル~その1

2014-04-10 06:00:00 | 旅行


3月の29-30日に、写友に誘われ、初春の富良野・美瑛の撮影ツアーに行ってきました。昨年の4月のブログ(注)でもご紹介したことがありますが、この時期富良野・美瑛の丘陵地帯では、残雪を溶かすために、融雪剤がまかれ、それが幾何学模様を描きます。美瑛町の観光協会に照会したところ、3月の下旬が融雪剤散布のピークだということでした。天気予報もこのところ晴れマークが続いています。と言うことで、1泊の撮影ツアーとなりました。
(注)2013.4.30「旭岳・美瑛を回る~その2」

撮影ポイントが多岐にわたるので、大まかな行程だけをあらかじめ決めて、あとは現地で判断・調整します。初日は、小樽~富良野~鳥沼~八幡の丘~富田ファーム~美瑛白金温泉~青い池~白金模範牧場~美馬牛界隈~旭川のホテルと言う行程。二日目は、旭川~北瑛の丘~マイルドセブンの丘~美瑛市街~拓真館~四季彩の丘~高速にて帰樽と言う行程です。


(1) 三笠の炭住と旧炭鉱跡地

小樽から高速道路を使って富良野・美瑛に向かうとなると、高速道を三笠で降りて、道道116号線を使うことになります。市の郊外の幾春別地域には旧炭鉱跡地がいくつもあります。また炭住も残っていて、今なお住宅として使われています。


幾春別川の向こうは朝モヤが立ち込めて、なんとなく幻想的な雰囲気。画面中央、左遠方に旧幌内炭鉱の立坑櫓が霞んで見えます。


道道から外れて進むと遠方に立坑櫓が見えました。幌内の看板がかろうじて残っています。手前にはかつて石炭積み出し列車として使われたであろう車輪等が放置されていました。


立坑櫓が、雪解けの水たまりに映り込んでいます。


廃屋に続く雪原には、動物の足跡がくっきり残っています。5本?指の足跡がありますが、大きさからしてヒグマではないようです。なんの足跡かわかりません。


炭住のそばを通りかかると人がいたので緊急停車。近寄って挨拶をすると…


干した唐辛子のそばで、モデルになってくれました。いろいろと炭住の話をしていただきましたが…先を急ぐので、礼を言って立ち去りました。


(2) 富良野市街のフラノマルシェで「なまら棒」を食べる

「なまら」と言う北海道弁は、テレビ等でも取り上げられていますので、いまさら説明の用もありませんが、標準語で言う「非常に、はなはだしく」と言う副詞です。いわゆるスラングです。なので北海道でもほとんど使われていません。ごく一部のヤンキーっぽい若者言葉と言えるかもしれません。ま、それを逆手にとってネーミングにしたのがヒットするわけですから…


中身は、餃子のような春巻きのような…、1本300円ですが腹の足しにはならないですね。


このマルシェには、4つのゾーンがあって、富良野特産品の販売他…詳しくは、リンクを読んでください。


ガラス戸から外を見ると、ダンディーな紳士が犬と散歩、絵になります。


(3) 鳥沼から八幡丘へ

富良野駅から道道253号線に沿って麓郷の森に至る道は、別名「北の国からロード」と呼ばれています。ご存知、倉本聡原作・脚本による「北の国から」全8篇のロケ地となったことからついた愛称です。富良野市内から、大きく山側へ入る道路の付け根付近にあるのが鳥沼です。湧水で出来た沼ですので、水はとても綺麗で透明感があります。また冬でも全面結氷することがありません。


公園の脇に放置されたバスの車体に素敵な絵が描かれていました。


夏はボート遊びも出来ます。

さすが冬期間は沼以外の広場は積雪に覆われていて、訪れる人もまばらなようです。さて、鳥沼から麓郷の森方面に入っていきます。しばらくすると、丘に一本の木が見えてきました。CMに使われた春よ来いの木です。


丘の斜面に一本だけぽつんと立っています。


CM化ポスターに使われた、三好牧場の農作業小屋です。聞くところによると、この風景は造られた風景で、以前は断りなく撮影してはいけませんと言う立て看板があったように記憶しています。今はないですね。

さらに道道を進みますが、布礼別からは、黒板吾郎の住んでいた麓郷には向かわず、中富良野町の富丘に向かいます。向かいに冠雪した十勝岳が見えてきました。この辺りの丘陵地帯にも、融雪剤散布のあとが見られます。


バス停の看板がとても綺麗に見えたので…十勝岳連峰をバックに一枚。


畑地にできた水たまりと、十勝岳連峰。


十勝岳に続く直線道路。


丘の斜面には、融雪剤で出来たミステリーサークルが現れました。


(4) 富田ファームはまだ雪の中

富丘から一旦中富良野町の街中を抜けて、国道237号線に出ます。美瑛・旭川方面に少し進むと、富田ファームの看板が出てきます。案内に沿って進むと、富田ファームの駐車場に突き当たります。やはり観光シーズン外、駐車場には数台の車があるのみ。冬期間閉鎖はしておらず、何か所かのエリアは営業中のようです。案内に従って、ラベンダーハウスに向かいます。ハウス内には、ラベンダーをはじめいろんな花が咲き誇ってます。


大半のハウスはクローズですが、正面の土産品・軽食ハウスはオープンしていました。


ラベンダーハウス内では、早咲きのラベンダーが咲き誇ってました。


ラベンダーハウスの近くの写真館もオープンしていました。館内には撮影禁止のマークがありません。と言うことでパノラマ撮影。


富田ファームを代表する花園です。このようなパネル写真が館内所狭しと飾られていました。

この後は、先ほどの建物で昼食ですが、いかんせんシーズンオフ、ケーキ&コーヒーしかありませんでした。腹の足しには程遠いのですが、とにかく写材が転がっていて、みな満足げな顔で、食事どころではない様子です。


(5) 白金温泉&青い池へ

富田ファームでの撮影を終えて、次は上富良野から道道353号線を北上して白金インフォメーションセンター方向に向かいます。そこから白金温泉の白髭の滝に出ます。白髭の滝は、滝の向かいの橋の上からしか撮影できないので、毎回同じカットになってしまいます。と言うことで、次の撮影地青い池に向かいます。冬期間は駐車場が雪に埋もれたままなので、池に続く道路に止めますが、先客が数台あるようです。前の車のカメラマンが盛んにカメラを構えて…レンズの先を見ると、キタキツネが悠然とポーズを取っています。


毛並みがいいところを見ると、餌が豊富なのでしょうか。


夢中で数カット撮影すると、キツネがニカ~と笑いました。

駐車場から青い池までは夏であれば徒歩7-8分ほどの奥にありますが、春先の雪道は、ずぶずぶぬかります。足を取られながら15分も歩いてやっと池の入り口に到着です。池の周りの遊歩道もこれまた大変、注意していないと、50cmもぬかります。


枯れ木の奥の方に、雪が解けて一部池が顔を出しています。モノクロ撮影です。


さらに先に進んで、池と美瑛川が交わるあたりまで進みます。画像はWBを4000ケルビンに設定し(5200ケルビンが通常値)、青味を強調しています。


枯れ木の根元は氷が解けています。


美瑛川は、夏場のような緑色していませんが、雲が綺麗なので、数カット撮影。


コンデジPENTAX WG3で、HDR撮影してみました。左を流れる川が美瑛川、右手前の皺皺な影のように見えるのが結氷している青い池、中央奥が十勝岳連峰。

国道から青い池に至る道は、まだ1m以上の積雪があります。観光客やカメラマンが歩いた跡があるものの、暖気で溶けかかっているせいか、あちこちに抜かった穴だれけです。写友たちは、池の凍った部分を渡り、対岸で池の溶けた部分を激写しています。次は、一旦美瑛方面へ逆戻りして、美望橋から白金模範牧場へと向かいます。


美望橋からは、十勝岳連峰がくっきりと見えます。美瑛川は、普通にカラー撮影すると、砂防ダムや護岸工事跡が生々しく映り込むので、ややアンダー気味にモノクロ変換してみました。

この日夕方に撮影した白金模範牧場、美馬牛のクリスマスツリーの木等については、その2で紹介します。


























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モノクロ写真の数々~その5

2014-04-05 06:00:00 | 写真
                              <オルゴール堂のオルゴール館の壁には特大のモノクロ写真が飾ってありました>


「モノクロ写真の数々」も、今回で5回目となります。その1~3では八王子に勤務していた頃(平成12-14年)のフィルム写真を、前回のその4では、小樽及び近郊の風景等を取り上げ、小樽運河、モデル撮影会、サッポロファクトリー及び昭和30年代私が大学生のころの写真も取り上げました。そして5回目の今回は、小樽鉄路展、インディペンデンス号入港、ケーソンの進水式、孫たちの成長等をちょっと古い写真が中心となります。


(1) 24時間オープンの屋外ギャラリー「小樽鉄路展」

2001年から2012年まで、12年間続いてきた小樽鉄路展も、2013年は会場の旧手宮線跡地再整備のために中止となりました。日本で3番目に鉄道が敷かれた手宮~札幌~幌内間のうち、廃線となった南小樽~手宮間の一部を利用して、鉄路展が行われてきました。例年8月から9月にかけて、このオープンスペースに24時間展示され、すっかり市民の間にも鉄路展が定着してきました。その矢先、2013年は会場となる予定地が整備に入ったため、鉄路展が中止となったものです。

鉄路展の公式HPによれば「本年度(2013年)は中止し、これまでの形式での本展を一旦終了します」とあります。市の手宮線跡地の再整備に伴い、24時間オープン開催が難しくなったためとのことです。利用規則に従えば、夜間管理者を置くか、あるいは作品を夜間は撤収する必要があるとのこと。そのため鉄路展再開が不透明になったようです。残念なことですが…


鉄路に沿って作品が置かれています。出展者それぞれ展示の仕方が違います。なお画面が荒れていますが、ミラーレスカメラOLYMPUS PEN E-P1のアートフィルターラフモノクロで撮影しています。


赤外フィルムを使っています。緑色の草木が白く映ります。


線路わきの物置の壁を利用しています


この方(Midnight Lamp Photo Lab)の作品が気に入って、転載させていただきました。


もっと数多く作品を拝見したいのですが、毎回2点しか出品(原画もモノクロ)されていません。


お名前忘れましたが、この方の中央の作品、渚で砂を払う女性がとても印象的でした。原画はカラーですが、モノクロ作品のほうがいいかなと思い、モノクロで撮ってみました。


小樽潮陵高校写真部の方の作品です。9人の女子生徒が「未来の旦那さんへのメッセージ」カードを持っています。とてもユニークな作品で、次年度も期待していたのですが、次年度は鉄路展に出展されていませんでした。


鉄路展入口にある、車輪の形のオブジェ。


(2) 小樽港湾日誌から

小樽市の資料とは全く関係ありません。自分勝手に名づけたフォト資料からピックアップしたものです。まずは懐かしい写真から、平成9年9月に、日本の民間港に初入港した米軍のインディペンデンス号です。小樽港への入港には賛否両論ありましたが、それはともかく大いに話題となりました。わずか5-7日の3日間で、入場者が40万人を超えました。小樽市の人口が当時13万人程でしたが…。当時自宅から小樽築港駅まで歩きで、築港駅からJRで札幌へ通っていました。途上で、カバンからカメラを出して撮っていました。なお掲載した画像は、望洋台から撮ったものです。


勝納埠頭に係留された空母インディペンデンス。8万トン、乗員3900名。


艦載機はF16かな?

 
保存状態が悪く、スキャンした画面が少し荒れています。


埠頭手前のマリーナも、その後ウィングベイ(当時は小樽マイカル)建設に伴ってかなり改修されました。

次はケーソンの進水式の様子です。小樽築港で建設されたケーソンの進水式が行われるというという新聞報道で、滅多に見られないシーンをカメラに収めてきました。ケーソンとは、コンクリート製の大形の箱のことです。防波堤や漁礁用の水中構造物あるいは地下構造物のことを言います。


ケーソンの大きさは、その下にいる作業員と比べると分かると思います。こんな大きなコンクリートが海面に浮かぶのかと一瞬疑いましたが…


ケーソンを乗せている台座の砂袋を破って砂を出すと、橋の上を滑り落ちていきます。


滑り落ちて海水につかりました。


さらに加速して海中へざぶ~ん、この後はタグボートに引かれ、湾外に出て行きました。古平漁港で、漁礁に使われると解説がありました。


(3) 祝津の展望台へ

祝津の展望台は、小樽観光名所の一つとなっていて、観光タクシーが必ず立ち寄るところです。水平線が広がっていて右手には、石狩新港が、左手には積丹半島が望めます。また眼下には小樽水族館があって、時折とどの鳴き声も聞こえてきます。


春先に見られる日和山灯台の、この白黒模様。中央にカップルがいました。


大型バイクにまたがった、髪の長い女性、声をかけてモデルになってもらいました。笑顔がとても素敵なYさんでした。


これからどこへ行くのと尋ねると、地図を開いて、積丹方面にドライブですとのこと。


冬の日本海を象徴する雪雲。5分ほど前まで好天だったのが、あっという間に雪雲が押し寄せてきました。雲の裂け目から灯台付近に日が射しこみました。


同じ日、市内に戻る途中の祝津漁港に来てみると、灯台付近に日が射しこんでいました。


(4) 孫と遊ぶ

我が家の2世帯住宅には、孫が3人おります。上から中学3年、同1年、小学校5年の3人で、一番上が男の子、下二人が女子です。小さいころはよく写真撮影のモデルになってくれたのですが、高学年になるほど、モデルを嫌がるようになってきました。まあ、年頃になるので、当然と言えば当然なんですが、主な理由は私がブログに掲載するかららしいんです。

今の子供たちは、小学校ですでに、パソコンの授業があるし、ニンテンドーのDS3は何とPCルーターのそばだとインターネットが可能なんですね。孫の名前を入力すると…なんと私のブログがいくつも出てきて、ページをめくると、孫の写真が出てきました。その写真を見た友達が大笑いするとか…これが原因でした。と言うことで、名前入れずにおきます。


三人そろって遊具で遊ぶ。


遊びが大好き。逆上がりも得意。このカットは明治安田生命のマイハピネスフォトコン佳作に入りました。


魚眼レンズのフードの中を覗きこもうとする、一番下の孫娘。


マージャンゲーム機の画面を見て、笑う。はて?六ピン自模ったの?


ペコちゃんとどちらが、目が大きいかな?


はじめて海につれて行ったら、波がおっかないと逃げ惑う。


(5) 堺町通りは観光街

JR南小樽駅に近いメルヘン広場から運河ターミナルのある交差点までの、約1㎞あまりが観光街となっています。この堺町通りに、オルゴール堂、洋菓子店ルタオ、北一硝子など小樽を代表する店舗のほか、すし屋をはじめ様々なお土産関連店舗が立ち並んでいます。とても絵になる通りです。そんな中から数点を紹介します。


画像が荒れていますが、GETしたばかりのOLYMPUS PEN E-P1のアートフィルター「ラフモノクロ」の試し撮りです。


オルゴール堂の2Fから店内を見渡せば…


大仏、子大仏3体を怪訝な思いで通る幼児。なんだろうこの人は、と言う声が聞こえそうです。


おい、おい、金庫番が寝ていていいのか?と聞いたら、鉄パイプがあるから大丈夫、って答えたよ。


これらのほかにもご紹介したい画像がたくさんあります。次回、その6で紹介します。




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